人気ピアニストの人生に触れるドキュメンタリー映画『フジコ・ヘミングの時間』
60代後半で成功した
遅咲きピアニストの現在と過去
人気ピアニストであるフジコ・ヘミングさんの人生を見つめたドキュメンタリー映画『フジコ・ヘミングの時間』が公開されます。フジコさんは、60代後半で花開いたピアニスト。彼女の私生活と演奏旅行を追いかけながら、写真と絵日記でフジコさんの過去も振り返ります。彼女が有名になるまでの紆余曲折の人生は、シニア世代必見です。
物語
パリに住むピアニストのフジコ・ヘミングは、日本人ピアニストの母とスウェーデン人デザイナーの父との間にベルリンで生まれました。しかし、父はフジコがまだ幼少期に「必ず戻ってくる」と出て行ったまま戻りませんでした。
ピアノは5歳から始め、世界的ピアニストのレオニード・クロイツアー氏に師事。クロイツアー氏は「将来、フジコのピアノは世界中を魅了する」と才能を認めていました。高校、大学を経て、28歳でドイツに留学。有名音楽家からも支持を得て、ついに一流のステージに立つというときに、フジコは風邪をこじらせて、聴力を失ってしまうのです。
不遇の時代をあっけらかんと語るフジコさん
フジコさんは、パリ、東京、京都、LA、ベルリンに住まいを持っています。演奏旅行で世界各地を回る際に、それぞれの家に帰るのです。住まいはそれぞれフジコさんのセンスが活かされ、クラシックでお洒落なお部屋。その自宅で猫とくつろぐフジコさんは、生活を楽しんでいるようです。でもフジコさんが成功を手に入れたのは60代後半。彼女の人生は、幼い頃から大変でした。
東京で両親と弟と4人家族で暮らしていましたが、父が突然出て行ったため、母と弟と3人暮らしに。学校へ行けばハーフだといじめられ、戦時中は外国人扱いをされて食べ物の配給をもらえませんでした。彼女の支えはピアノだけ。懸命にピアノと向き合って生きてきたのです。
映画では、フジコさんが幼い頃の思い出を写真と当時の絵日記を見ながら話してくれますが、大変な苦労だったにもかかわらず、けっこうあっけらかんと語っているのが印象深いです。「本当にまいっちゃったわよね~」みたいな感じなのですよ。自分の人生を客観的に見ているのですね。そこにフジコさんのメンタルの強さが垣間見られます。
演奏シーンもふんだんに盛り込まれた
音楽ドキュメンタリー
人気ピアニストの映画なので、演奏シーンもふんだんに見られます。各地でのステージのシーンで演奏される曲は「月の光」(ドピュッシー)「ノクターン 第2番 変ホ長調」(F・ショパン)「トルコ行進曲」(W・A・モーツアルト)。そして「ラ・カンパネラ」(F・リスト)は、彼女が「日々の行いが表れる曲」として大切にしているもので、フルバージョンで収録されています。
演奏旅行は各国、満席で大喝采ですが、場所によってはピアノの状態が万全でなく、バックステージでフジコさんがぼやく……なんてシーンも! フジコさんはいつも正直で素直でちょっと毒舌。そこが実にチャーミングです。
フジコさんが教えてくれる
“人生、何が起こるかわからない”
ピアニストして活動しながらも、貧しい生活をしていたフジコさんが脚光を浴びたのはNHKのドキュメント番組がきっかけでした。この番組が大反響を呼び、フジコさんはデビューCD「奇蹟のカンパネラ」をリリースして大ヒットしたのです。彼女は成功するまで時間がかかりましたが、くじけなかった理由をこう語っています。
「君はそのピアノで今に成功者になるよという人がときどきいたんです。そう言われると一生懸命やってね。そんなことなるはずない、どうしたもんかとも思っていましたけどね。生活にも困っていましたし。でもそういう言葉に勇気づけられたのは確かです。あと私は信仰心があるので、今に神様の国に認められて、ちゃんとした演奏会ができると信じていました」
神様を信じても何もしなければ何も起こらない。けれど、彼女は神様を信じて、毎日ピアノに向き合った。その一生懸命音楽に取り組む姿勢が、フジコさんに幸運をもたらしたのでしょう。
何より、80歳を超えても元気に演奏旅行をしているというのが、とても勇気づけられます。「自分も頑張ろう」「まだまだイケる」というパワーを、映画を通してフジコさんからもらってください。