かっこよい人

1万枚描いても、自分の作品に満点は1枚もない。83歳の銭湯絵師・丸山清人さんインタビュー

朝8時。銭湯は定休日。がらんと乾いた浴場の入口に立つと ふだんは湯けむりに覆われた富士山が、くっきりと目に映る。

東京都足立区、北千住の銭湯「大黒湯」。

1929年の創業時から変わらない荘厳な木造建築の外観に比べて、
浴場は晴天を思わせるペンキの内装で、そのギャップに驚かされる。

今回お話を聞くのは、丸山清人さん。
これから1日かけて、弟子の勝海麻衣さんと共にこの銭湯の壁の絵を描きかえる。

丸山さんは、2019年で84歳を迎える日本最年長の銭湯絵師だ。
2017年9月には、藝大生でモデルでもある勝海さんが弟子入りし、ますます注目を集めている。

今回は、銭湯絵師として活動し続ける丸山さんのかっこよい生きかたに迫る。

丸山 清人(まるやま きよと)
昭和10年東京都杉並区生まれ。昭和28年に(株)背景広告社に入社、昭和48年に独立。65年以上に渡り銭湯絵師として活動。
目次

銭湯絵師の仕事

朝9時、丸山さんたちが到着した。
勝海さんが、身長よりも大きな板を担いで、黙々と運びいれていく。
ちゃきちゃきと進む準備の様子を、わたしたちは浴場の隅で、じっと見守るしかない。

丸山さんが、浴場の真ん中に新聞紙を広げて、ペンキとバケツ、刷毛を並べ始める。

2人で浴場の壁に梯子をかけ、風呂に板を渡し、最後に丸山さんが足場の具合を確かめる。3,40分ほどで足場の準備が終わった。

そして、壁画を一望できる位置に戻り、やっと腰を下ろす。

富士山を眺めながら一服する丸山さんに、ドキドキしながら声をかけてみる。
「お話、いいですか?」先ほどまでの真剣な表情から一転「いいよ」と笑顔が返ってきた。

銭湯絵師は日本に3人しかいないと聞きました。

丸山
そうそう。もともと同じ師匠の下で働いていた中島盛夫、その弟子で2013年に独立された田中みずきさん、それとわたしだね。そもそも銭湯絵師は、全盛期でも少なかったんだよ。多くて12,3人かな。

今この壁に描かれている絵は中島の作品なんだけど、見てのとおり大胆で淡い色調が特徴なんだ。わたしの絵は、これと全く違う画風なのよ。中島の絵は師匠の絵に似てないんだけど、わたしは師匠の絵とよく似ていると言われるんだ。だから麻衣ちゃんの絵も、いつかわたしに似てくるんじゃないかと思うけど、なんせまだ1年目だからわからないね。1人前になるのは3、4年くらいかかるよ。かんたんそうに見えて難しいんだ、ペンキ絵って。特にグラデーションが難しいのよ。冬はペンキのノリが悪いし、さらに大変。見ていたらわかると思う。

使うペンキは5色のみ

丸山さんはなぜ銭湯絵師に?

丸山
昔は絵の下にずらっと広告看板が並んでいて、うちの親戚がその広告専門の会社をやっていたんだよね。わたしも小さいときから絵を描くことが好きだったから、それですんなり会社に入っちゃったわけ。それが18歳のときかな。もちろん、銭湯以外にも絵を描くことに興味があったよ。若いときは、油絵で公募展に出していたしね。

会社に勤めているときは、中島と組んで一緒に絵を描いていたんだけど、会社がなくなってからは、それぞれフリーでやってるよ。今は銭湯から直接依頼を受けて描いているんだけど、たまに老人ホームとか個人のお宅の絵を描いたり、イベントでライブペインティングすることもあるよ。

描いて描いて1万2000枚

一服を終えた丸山さんは、足場へ戻る。

幅50cmほどの足場の板の上に立つ丸山さん。
ペンキ絵の上から、チョークで線をザッザッと引き始めた。

かかった時間は10分ほど。ほとんど下絵はない。
驚いて「下絵は?」と尋ねると、丸山さんは「ここの中よ」と頭を指差した。

剥がしたり白色で塗らず、元の絵の上から描き重ねるんですね。

丸山
そう。銭湯の壁の絵は上からどんどん重ねていくの。だからどんな絵も必ず消される運命なんだよ。昔なんて銭湯の数も多かったし、どこの銭湯も毎年描きかえがあったから、日曜日以外は毎日描いていたけどね。どの絵が一番印象に残っているかって? そんなこと聞かれると困っちゃうね。だってもう、1万2000枚以上描いているんだから。

今回描くのも富士山なんですか。

丸山
だいたいどこも富士山だよ。でも富士山をたくさん描くようになったのは、2013年に富士山が世界遺産に選ばれてからだね。そもそも昔は広告を掲載してもらう見返りに絵を無料で描いてたのよ。だからわたしたちの自由に描かせてもらってたんだけど、最近はそうもいかないよね。とにかく最近は、富士山。

でも富士山って描くのがむずかしいんだよ。いろいろ決まりごとも多い。派手すぎても落ち着かないし、飽きないシンプルなものがいいんだよな。あとは5月くらいの気候のいいときの富士山を描くことが多いね。

弟子と個展、新たな挑戦

ローラーを手にした丸山さんが、再び足場へ戻る。
消しゴムのように、ペンキをのばすと
元の絵がどんどん空色で塗りかえられていく。

ざっと塗ったあと、勝海さんにローラーを託し、塗る場所の指示をする。

勝海さんが描く部分は決まっているんですか?

丸山
弟子はね、最初は空から描いてもらうんだ。あとは端っこのほうからちょっとずつ任せていく。陸の部分とかね。

弟子をとるのは初めてだけど、麻衣ちゃんは本当に真面目で熱心でいい子だよ。今までに「弟子になりたい!」と言う人、実はいたんだけどさ、あれこれ教えるのは面倒くさいじゃない?(笑) でも長年の知り合いに(勝海さんに)会ってくれと頼まれちゃってさ。それで会ってみたら、すごく一生懸命でしょう。この子なら、教えがいあるなと思ったよ。

勝海
師匠は「教えるのは面倒くさい」なんて言っていますが、わたしじゃなくても「弟子になりたい!」と言われたら、よっぽどの理由がない限り断らないと思います。とても優しい方なので。(笑)

わたしが銭湯絵師になりたいと思ったきっかけですか? もともと絵を描くことが好きだったのと、小学生のころ、家族旅行した先で銭湯の壁の大きな絵を見て以来、銭湯絵師になりたいと思ったんです。そのために、大学でも美術や空間デザインを学んできました。

師匠(丸山さん)は、庶民文化研究家の町田忍さんが紹介してくれたんです。「この人の下で教えてもらうといいよ」と推薦をいただいて。わたしは本当に恵まれています。師匠は技術だけでなく、人柄のすばらしい方です。何か注意するときも声を荒げるようなことはせず、きちんと教えてくださいますし、いつでも孫のようにかわいがってくださるし、そういった人間的な面でも勉強させてもらっています。

丸山さんが勝海さんくらいの年齢に戻れたら、やりたいことはありますか?

丸山
別にないんだよな。若いころに戻りたいと思わない。今挑戦していることはあるよ。 個展を年に2回、始めたのは3年くらい前かな。これはちょっとした冒険なんだ。こういう銭湯の壁にある富士山じゃなくて、夕日や暗いトーンの富士山だったり、あとは小さい絵だったり。銭湯で描けない富士山をプライベートで描いているんだ。こんなに富士山を描いていても、まだまだ描きたくなるから不思議だよ。絵を描くのが、好きなんだよなぁ。

ものづくりに「これでいい」はない

空色で、浮かび上がった富士山の頂上の輪郭。 足場の台を勝海さんがおさえながら、そこに丸山さんが立つ。

丸山さんが、空白の富士山に青色を入れ始めた。
書道家のような刷毛さばきで、微妙に濃淡の異なる青色を壁の上で混ぜながら、上から下へとグラデーションを作っていく。

やがて白いペンキの刷毛に持ちかえ、雲と雪を描き始めると、見事な富士山が現れた。

この富士山、湯船から見たら一層美しいでしょうね。

丸山
いや、こうやって眺めるのはいいんだけどさ、自分の描いた絵を見にわざわざ銭湯には行かないんだ。時間が経ってから眺めると描き直したくなっちゃうからね。今日はたまたま中島の絵を描きかえてるんだけど、自分の絵を何年か経って自分で描きかえることもあるんだ。そのときも「よくこんな絵を描いたな」って思うね。少し時間をあけると粗が見えてくるから不思議だよ。絵を描く人は、きっとみんな同じだと思う。

今日の富士山の点数? まだなんとも言えないけど、90点くらいかな。まぁいつもだいたい90点だね。ものづくりに「これでいい」ってことはないんだ。100点だと上がないからね、いつも100点目指して描いているわけ。

今までの人生で挫折したことはありますか?

丸山
挫折したこと? 怪我とか失敗はあるけど、挫折はないよ。今のところ。これ1本でやってるからかな。まぁ、挫けたことはないね。特に毎日気をつけていることもないし、淡々と描いているだけだよ。あとはやっぱり好きなんだよね。絵を描くことが好きだから、ずっと続けられてるのかもしれない。

では最後に座右の銘をこの黒板に書いていただけますか。

丸山
そんなの考えたことないよ(笑)そうだな「生涯現役」でいくか。「涯」ってどうやって書くんだっけ? 文字はあまり書かないから忘れちゃったよ。(笑)縦書きなんだけど、サインも入れておくか。かっこいいサインがあるんだ。

丸山さんは、わたしたちのどんな質問にも、すかさず答えを返してくださる人だった。仕事は、奇を衒うのではなく、好きなことを淡々と続けること。常に100点を目指すこと。まっすぐな職人としての人柄を、お話と仕事ぶりから感じられた一方、職人としての顔とは異なる一面も、最後の最後に垣間見ることができた。

わたしたちが取材を終える直前、丸山さんがビニール袋から新品の刷毛を何本か取り出して床に並べた。プレゼントだった。言葉数少なく「麻衣ちゃんにあげるよ」と差し出すと、勝海さんは目を輝かせて「いいんですか! 恐れ多いです…… ありがとうございます!」と師匠から新品の刷毛を受け取った。「大切に育てなよ。」そのときの丸山さんは、この日いちばん優しい表情をしていた。

丸山清人さんの「キネヅカ名言」

生涯現役

完成した大黒湯の壁の絵。(撮影=キネヅカ編集部

展覧会情報

来年2019年3月14日(木)より中野GALLERY リトルハイにて丸山清人さんの個展が開催されます。開催時間など詳細な情報は、今後ギャラリーのWebサイトをチェックしてみてください。

  • 会期:2019年3月14日(木) ~ 3月25日(月)
  • 会場:GALLERY リトルハイ(東京都中野区中野 5-52-15 中野ブロードウェイ 4F)

丸山 清人

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