映画『兄消える』西川信廣監督インタビュー「失われつつある、昭和時代の密な人間関係の良さを映画で残したかったのです」
映画『兄消える』は、町工場を細々と続けていた76歳の男のもとに、40年前に家出した80歳の兄がワケありの女性を連れて帰宅したことから始まる、シニアの兄弟の関係をユーモアを交えて描いた人間ドラマです。この映画を演出したのは劇団文学座の西川信廣監督。舞台の演出は100本以上の大ベテランですが、映画は本作がデビュー作。その西川監督に映画『兄消える』について、そして今の社会を生き抜くことについてお話を伺いました。
物語
長野県・上田市の袋町で、父親から受け継いだ町工場を営む鈴木鉄男(高橋長英)は仕事と父の介護に追われ、76歳の今も独身。父が100歳で亡くなり、地域の仲間たちとの時間が鉄男にとって楽しみであり、癒しでもありました。そんなある日、40年前に家を飛び出した兄の金之助(柳澤愼一)は帰ってきました。それも娘ほどの歳の離れた謎の女性・吉田樹里(土屋貴子)も一緒に。「今晩からお世話になるよ」という金之助にとまどいながらも受け入れる鉄男。二人との奇妙な共同生活は、鉄男の人生を少しずつ変えていくのでした。
初めての映画監督のチャンスが二転三転!
西川監督は、舞台の世界では大ベテランですが、映画は本作がデビュー作。どのような経緯で監督をすることになったのでしょうか?
西川信廣監督(以下、西川監督)
この映画を企画した新田と僕は文学座の同級生なのです。その新田から3年前くらいに「芝居を一作品、演出してほしい」との話があったのですが、スケジュールが詰まっていたので断ったんですよ。そしたら突然「じゃあ、映画を撮らないか?」と。舞台がダメなら映画はどうだ? と急に言われまして(笑)。僕は、舞台を100本以上手掛けていますが、映画は演出した経験がないので「俺に撮れるのか?」と聞いたら、最近の監督は芝居よりも映像に力を入れる人が多いけれど、自分は芝居が生きる映画を制作したい。そのためには俳優にきちんと演技をつけられる監督が必要なんだと言うんです。僕に俳優の芝居をしっかり見て演出してほしいというわけですね。映画は自分にとって初めての分野ですが、その話を聞いて興味が沸いて、一回映画を手掛けてみようと思ったのです。
決まってからはスムーズに進んだのでしょうか?
西川監督
いや、全然(笑)。新田は忙しく、話も二転三転して「これは実現不可能かな。もう断ろうかな」と思っていたところに、彼から「始めましょう」という話があって何とかスタートしました。キャストに関しては、新田から、金之助役に柳澤愼一さんの名前が出たのです。柳澤さんはジャズ歌手としてデビューし、喜劇俳優として活躍していた大ベテラン。でも脚が悪いので、最近はそれほど活動されていなかったんですが新田が会いに行ったら、80歳過ぎてもかくしゃくとしていてお元気だと。何より、柳澤さんは兄の金之助役のピッタリだったので、引き受けていただけて良かったです。弟役の高橋長英さんは舞台中心に活躍していており、僕もよく知っている俳優なので安心できましたし、兄弟がこの二人に決まり、本格的に映画制作がスタートしました。
この兄弟の話は監督の自伝的要素があると聞きました。
西川監督
僕はこの映画の兄弟と同じように町工場の息子で、兄弟で育ちました。僕が兄です。弟が町工場を継いだのも映画と同じなのですが、兄弟のキャラクターは映画とは違います(笑)。実はこの映画には僕の家族も出演しているのですよ。本作に登場する兄弟の父親の写真は、僕の親父の写真です (笑)
ヨーロッパ映画のように描かれる昭和の風景
この映画に登場する袋町は昭和時代の風景ですが、あまり古さを感じなかったです。どこかヨーロッパ映画を思わせるビジュアルと雰囲気がありました。
西川監督
この映画を観てそう言われる方は結構いまして、僕もモニターで映像を見たとき、ヨーロッパ映画みたいだなと思いました。ロケ地は上田市なのですが、ここに決まるまでは大変でした。最初は僕の生まれ育った羽田で撮影する予定だったのですが、今の羽田はマンションが増えて風景が全く変わり、町工場があまりなかったんです。困っていると、新田が長野県・上田市はどうかと提案してきまして、一緒に見に行ったら、今の羽田にはない昭和の名残りを感じられる場所があったんです。それで舞台を上田市に変えてオールロケで撮影しました。
そうだったのですね。初めての映画監督の仕事はいかがでしたか?
西川監督
目の前で役者の演技を見て「よし」と思っても、モニターで見るとまったく印象が違うことがあり、それが新体験でした。あと出演者は実力派の舞台俳優が多く、みんなセリフがすべて頭に入っているので、どんな長回しにも対応してくれたので助かりました。長回しすると決めていたシーンじゃないのにカメラを回し続けることもあったのですが、俳優たちはずっと芝居を続けて、図らずもワンシーンが撮れたということもありました。照明担当の淡路俊之さんに「最近はカットを細かく割ることが多いけど、今回は長回しで久々に緊張感ある現場だった。よかった」と言っていただき、恐縮しました。
地域コミュニティの濃い人間関係を映画で描きたかった
この映画は兄弟の話とともに地域コミュニティの人との関わりについても描いていますが、監督がこの作品で伝えたかったことは?
西川監督
映画の話をいただいたとき、昭和育ちの僕は、いろいろな場所から昭和の匂いが消えていくことを考えました。僕が育った羽田は町工場の景色が原風景としてありましたが、その風景が消えていくと同時に人と繋がりも消えていく。僕が子供の頃は、近所付き合いが密でしたからね。それがうっとおしいなと思うこともありましたけど、今、人と人との関係が希薄な時代で生きていると、昭和時代の貧しかったけれど、希望があり、近所の人や仲間同士がお互いを心配しあっている人間関係や昭和の景色を映画で残しておきたいと思ったのです。
なるほど。監督は、昭和時代の方が生きやすいのでしょうか?
西川監督
昭和は戦争の時代でした。21世紀になり「世界は仲良くなれるんだ」と希望を持っていたけど、令和になってもそういう気配はありません。だからといって昭和が良かったと一概に言えない。若いときは、貧しさや家族や近所関係の濃密さから離れたい気持ちはありましたからね。でも今振り返って思うと、あの頃は、例えば人が転んで道で倒れていたら「どうした?」と声をかける近所の人がいました。そんな小さなことでも人との関わりを大切にしていたと思いますが、いまは人が倒れても見て見ぬふりのことが多いでしょう? 昭和時代に自然と成立していたコミュニティが、いまは分断されてしまっている。でも、みんな本当はそれを求めているのではないかと思うのです。ただ便利な時代になり、助け合わなくても何とかなるから、みんな便利さに流されているのではないかと。そんな時代だからこそ、映画『兄消える』が、もう一回、人間同士が共生していくために何が必要かを思い出すきっかけになればと思います。
確かに便利な時代にはなりましたが、あまり物事を深く考えなくなったようにも思います。
西川監督
便利な時代になって幸せになったのかと言えば、そうとも言えないじゃないですか。便利=豊かさかと言われれば、疑問が生まれます。小説、舞台、映画はエンターテイメントの側面もありますが、世の中の疑問について「なぜなのか、原因は何なのか」ということをさまざまな物語を通して我々が表現しなければいけないと思います。僕らの仕事は、作品で「時代について考えてみよう」と投げかけをする役割もあるからです。どういう目で時代を見て、その中で何を感じているかということを舞台や映画に投影させていくことが大事ではないかと。よく声高に政治に異を唱えたり、間違っていると強く表現したりする作品があり、そういうのも僕は嫌いじゃないんだけど、自分が表現するときは、押し付けるのも嫌なので「これっておかしくない?」「どう思う?」と相手に考えてもらうように描きます。
作品を通して「考えるきっかけ」を作るのも表現者の仕事ということですね。
西川監督
政治経済はみんな自分で深く考えて決断するより、「こっちがいいぞ」と大きな声で言う人がいたら、そっちについていくのが楽なんですよ。でも自分で考えることを忘れてしまうのはとても危険。だから一度立ち止まって考えてもらえるように、僕は作品を通して、いろいろな思いを投げかけていきたいですね。
さまざまな思いを抱きながら今回、映画監督を経験されたと思うのですが、また映画を撮りたいという気持ちになりましたか?
西川監督
話があったら考えようかなとは思いますが『兄消える』の仕事に満足しているので、今は映画を撮りたいという強い欲はないですね。でも監督二作目があるとしたら、芝居のバックステージものがいいかと考えています。僕は長年、舞台演出をやっているので、華やかに見える舞台の裏側の人間関係をたくさん見てきました。。そんな舞台の裏側をドタバタコメディではなく、今の時代に失ったものを浮き上がらせるように描きたい。舞台はいつの時代もアナログで、役者がセリフをすべて自力で覚えないといけない。でもほかのメディアと違って、アナログな舞台には古さと良さが共存している。そんなアナログの世界を支えている人を中心にした物語もありかなと思います。
人生に悩む読者の皆さんに“金之助の言葉”をおくります
キネヅカの読者はシニア世代。今後の人生について悩んだり、考えている方も多いと思いますが、そんな読者に監督からメッセージをいただけますか。
西川監督
この映画の中で、金之助が弟の鉄男に、工場を守ってきて大変だったなと言いながら「お前、自由になれ。ここだけが居場所じゃないぞ」と言うシーンがあるのですが「ここだけが居場所じゃない」という言葉を読者の皆さんにおくりたいですね。「一歩踏み出すきっかけがない」と言う方もいるかもしれませんが、きっかけは自分で作ればいいと思います。そうすれば「ここまで」と線を引いていた場所から、もう一歩、二歩と進むことができますから。これが僕から皆さんへのエールです。
- 西川 信廣(にしかわ のぶひろ)監督
神東京生まれ。文学座附属演劇研究所16期、1981年座員となる。1984年、文学座アトリエの会『クリスタル・クリアー』で初演出。以降、文学座を中心に商業演劇から小劇場までストレート・プレイ中心に数多くの舞台を演出してきた。1992年文学座アトリエの会『マイ チルドレン! マイ アフリカ!』にて紀伊國屋演劇賞個人賞、芸術選奨・文部大臣新人賞。 1994年文学座公演『背信の日々』で読売演劇大賞優秀演出家賞など多数の受賞歴がある。映画『兄消える』は、映画監督デビュー作となる。