かっこよい人

万葉学者・上野誠に聞く【前編】
日本人の「おもてなし」のルーツは、神と人との関係

年号・令和の由来ともなった日本最古の歌集『万葉集』の世界を生きた古代人の生活や文化を、独特な語り口で身近に感じさせてくれる万葉学者の上野誠先生。
昨年で60歳を過ぎた今、古巣の奈良大学を離れ、母校でもある國學院大學の特別専任教授に就任している。
そんな上野先生が今年の4月、『折口信夫「まれびと」の発見 おもてなしの日本文化はどこから来たのか?』(幻冬舎)を上梓した。
2023年で没後70周年となる折口信夫(おりぐち・しのぶ/1887~1953)は、古典学者、民俗学者、歌人として全国を旅した知の巨人である。上野先生に、その魂の折口古代学をわかりやすく解説してもらうと共に、現代人が古典からいかなることを学べるのか、教えてもらおう。

インタビューは前編と後編に分けて公開します。

上野誠(うえの・まこと)
1960年、福岡県生まれ。國學院大學大学院文学研究科博士課程満期退学。博士(文学)。奈良大学名誉教授。國學院大學教授(特別専任)。『古代日本の文芸空間-万葉挽歌と葬送儀礼』を中心とする業績で第15回上代文学会賞を受賞。『魂の古代学-問いつづける折口信夫』(角川財団学芸賞)、『万葉文化論』など著書多数。オペラ『遣唐使』の脚本も手掛けた。2020年に上梓した自伝的エッセイ『万葉学者、墓をしまい、母を送る』(講談社)では、第68回日本エッセイスト・クラブ賞を受賞し話題に。万葉文化論の立場から、歴史学・民俗学・考古学などの研究を応用した『万葉集』の新しい読み方を提案している。
目次

折口信夫のメッセージは
現代人にも通じるものがある

折口信夫は、「釈迢空(しゃくちょうくう)」と号して歌人として、詩人として活躍しましたが、もともとは國學院大學に学び、同大学教授、慶應義塾大学教授として、その生涯を日本人の魂の探求に費やしました。学問の上では、大学の先輩にあたる人だと思いますが、上野先生にとってどんな存在ですか?

上野
それはそれは、とてつもなく大きな存在です。奈良大学で29年間、専門分野である万葉集を語ってきた私にとって、研究の先が重なることは多かったけれども、日本の古典文学にとどまらず、民俗学、芸能、神道などを構造的に研究した折口のスケールの大きさには計り知れないものがあるように見えます。

明治、大正、昭和の時代を通じて日本は近代化を達成するため、西洋の哲学や科学技術を取り入れ、新しい生活様式、新しいものの考え方を組み立ててきました。
ところが、そうした時代の流れのなかには、日本人がもともと持っていた考え方や、中国も含めた東洋の考え方を軽視する人が多くいました。折口はそんな人々に向けて、そんなことをしたら、日本人は日本人でなくなるじゃないかと訴えました。

昭和20(1945)年の敗戦のとき、日本人の多くが自信を失い、自分たちの文化に対する誇りというものをなくしてしまいました。そのような時期に折口は、むしろ今こそ日本的なものが大切になると説きました。

「華道学学術講座」という講座で、折口は次のように語っています。
「信頼していいことは、我々の祖先から我々に伝わっている日本人の生活力の強さというものです」と。

それは、西洋的なものを拒否せよというメッセージではありません。
昔から日本には「和魂漢才」という言葉があります。日本人の魂をもって中国の文化を取り入れてゆくという考え方を示した言葉です。生活の質をあげ、思惟を深めていくために日本人は昔から日本的でないものも取り込んできたのです。

それと同様、「和魂」の精神を大切にしながら、西洋的なものをうんと取り込んで、その上に立ち直っていけばいい、そう述べているのです。おそらくそこには「もうこれ以上、日本を悪くしてはならぬ」という当時の問題意識と使命感があったことでしょう。

折口のこのメッセージは、現代の日本人の心にも強く響くのではないでしょうか。
重厚長大といわれる重化学工業を発展させ、日本は大量生産、大量消費をモデルにした高度経済成長を達成しましたが、そうしたモデルは今や崩壊して、持続可能な新しい社会を築く道を探していかねばなりません。
そしてもちろん、コロナという世界的な災禍によっても、これからの社会のあり方というのは確実に変わっていくでしょう。

そんな時期に求められるのは、折口のいう、日本的なものを大切にしながら、日本的でないものを貪欲に取り入れ、新しい社会を築いていく態度なのではないでしょうか?

折口は日本の文化を
「鳥の眼」をもって研究した

折口信夫が語っている「日本的なもの」とは、どんなものなのでしょう?

上野
学問研究には、文献を舐めるように観察して、動かぬ証拠を見つけ、積み上げていく「虫の眼」タイプの研究があり、それとは逆に、研究対象を俯瞰して、そこに流れる大きな潮流のようなものをとらえてゆく「鳥の眼」タイプの研究があります。

折口は、典型的な「鳥の眼」タイプの研究者でした。というより、はるか上空を軌道しながら、地球全体を俯瞰する「人工衛星の眼」といってもいいかもしれない。

ですから、全37巻、別巻3巻におよぶ『折口信夫全集』を読もうとすると、いたるところに「?」マークがついて、途中で挫折してしまう人が多いのです。私自身、折口の思想のすべてを理解しているかといわれると、わからないこともたくさんあります。

にもかかわらず、語弊を恐れずにいうとすれば、「生活の古典」というキーワードが浮かんできます。折口は、日本の隅々に暮らしている多くの人々が持っている「しきたり」や、代々伝えられてきた「伝承」や「習俗」を「生活の古典」と呼びました。

「生活の古典」という言葉は初めて聞きました。つまり、日本人が何気なく暮らしている生活のなかにヒントがこめられているということでしょうか?

上野
そういうことです。例えば日本には、四季を通じて全国津々浦々、さまざまなお祭りがあります。どれをとっても異なる「しきたり」があって、同じようなものはひとつもないように見えます。

その一方で、共通点もあります。お寺には仏さまをまつる本堂があって、神社にはご神体が鎮座するお社がありますが、多くのお祭りでは、仏さま、神さまはお神輿に乗って旅をします。なぜなのか?

それは、日本の神がもともと、客として、遠くから、他界からやってくるものだと信じられてきたからです。そして、稀にやってくる人、すなわち「まれびと」をおもてなしすることが日本のお祭りの本質だと折口は考えました。


日本人の「おもてなし」文化は
神と人との関係性から生まれた

日本人の「おもてなし」の文化は近年、外国人から賞賛されることが多いですね。

上野
お客さんとしての神さまを十分におもてなしするには、どうすればいいのか?

まずは、ここちよい空間をつくって、ゆっくり休んでもらわねばなりません。その心が、お寺の伽藍や神社の社殿などの建築物の様式を生みました。

それから、おいしいお酒と食べ物を味わってもらおうという心から宴の形式が生まれ、料理が発達し、茶道が生まれました。

語り物、神楽、能、狂言といった諸芸能は、神さまに舞や音楽を楽しんでもらうために生まれたものです。
庭や絵も堪能してもらおうという心から、室や庭のしつらえ、華道、絵画や彫刻などの芸術、工芸が生まれました。

そうした芸能は、神さまが喜んでくれるのだから、人も喜ぶものに違いない。そうした考えのもと、代々と伝承されて、現在に残っているのです。つまり、日本文化というものは、そういう客をもてなす文化から生まれたのだと折口は考えたわけです。

「虫の眼」で研究をするタイプの研究者から見れば、「建築にしたって食文化や芸能にしたって、その発展の仕方はそんなに単純じゃない。起源がひとつだなんて、乱暴じゃないか」といいたくなるかもしれませんが、全体をひとつと見るのが折口の考え方なんですね。

「全体をひとつと見る」といっても、決して簡単なことではないですよね?

上野
そうですね。ですから、今の学問の主流として認められているのは、「虫の眼」タイプの研究です。

建築も、茶道も華道も芸能も、個別に研究しなければ論文として通用しないのです。でも、そのように細分化していく学問のあり方に異を唱えたのが、折口信夫という人でした。

いざお客をもてなすとなったら、建築だけではできないだろう。茶道も華道も芸能も含めた日本文化の構造を、総合的に考えていかなければ本質的なものは何も見えないのではないか、神と人との関係性こそが日本文化の本質なのではないか、と。

5月5日はかつて
「男児の祭り」ではなく
「女祭り」だった

ここまでのお話を聞いてみると、「生活の古典」を研究する大切さがわかってきたような気がします。

上野
折口が「生活の古典」、すなわち日本の「習俗」を研究するにあたって重要視したのが「年中行事」の変遷です。

なぜなら、年中行事の古いかたちを考えるところから、古代の生活がどのようなものだったかを考え、それがどのように現在につながっているかを考えることにつながるからです。

おもしろい例をひとつ、挙げてみましょう。
今日、5月5日の端午(たんご)の節句は一般的に、男児の祭りであると考えられていますよね。この季節になると、家のなかに五月人形を飾り、庭先に鯉のぼりを掲げて男児の成長をことほぐ風習が全国各地で見られます。

ところが、折口は昭和5(1930)年から7(1932)年にかけて発表した『年中行事─民間行事伝承の研究─』という論文に「5月5日、実は女を中心とした女祭りである。女だけが家に居り、男はみな家から出払って、どこかに籠もっている日である」と述べています。

5月5日は、旧暦では田植えがはじまる日と考えられていました。そこでの主役は男性ではなく、女性でした。女性が持っている力、子を産む豊穣の力というものが、稲に豊穣をもたらすと考えられていたのです。そこで、5月4日の真夜中から5日の夜明けまで家に籠もっている女のもとへ、村の男は神に仮装して訪問したのです。

一方、この日は古来から邪気をはらうという意味で菖蒲を軒につるし、家の内にも飾る風習がありました。それが武家の時代になって、「菖蒲(しょうぶ)」が武を重んじる「尚武(しょうぶ)」という意味につながって、いつしか甲冑や武者人形などを飾り、庭先に幟旗(のぼりばた)や鯉のぼりをたてて、男児の成長をことほぐ祭りに変遷していったのです。

なるほど、おもしろいですね。

上野
こうした日本文化の変遷は、地域によって大きく異なります。ですから、折口信夫の書いたものを読んで、地域ごとの文化の変遷を知り、それを代々伝えていく語り部になる人がひとりでも多く増えてほしいと思っています。

現代人に残された
最後の秘境は「過去への旅」である

古くからの日本文化を知るには、本を読む以外にも手段はありますか?

上野
私は学生たちに、古典や近現代文学にあらわれる故地を訪ねたり、伝統芸能を鑑賞することを薦めています。

寄席に落語を聞きにいくときは、「おもしろい話を聞きに行くだけじゃないんだよ」とアドバイスします。
落語家さんたちの着物の着こなし方に注目してみると、まだ修行中の前座や二ツ目さんたちに比べて、真打の落語家さんは見事に着こなしています。その仕草に注目してみると、日本人が昔から着物をどう扱ってきたのかを感じとることができます。

歌舞伎を見に行くときは、「安い席でもいいから、少し早く行って、ロビーにいる人たちの様子を観察してみなさい」といいます。
こういう場所のロビーには、和装をした人がたくさんいます。なかでも注目すべきは、目立つところにいる人ではなくて、隅のところで来場してきたお客さんにあいさつをしている女の人。
たいていの場合、その人は舞台に出ている役者さんの奥さんだったりするんです。ご主人の歌舞伎役者を贔屓にしてくれているお客さんにお礼のあいさつをしているわけです。
そういう人は、決して羽織を着ていません。羽織というのは身分の高い人が着るものだから、ご贔屓さんにごあいさつをする場面には向かないのです。

そして、その丁寧な言葉遣いに耳を傾け、名入りの手ぬぐいを渡すときの所作などを観察してみると、日本人がどうやってお客さんをおもてなししてきたか、その一端に触れることができる、そう学生たちに教えています。

身近なところに、古くからの日本文化を知るきっかけがあるんですね?

上野
現代の日本には、世界中の料理を味わうことができる、恵まれた環境があります。

アフリカのクスクスでも、南米の少数民族の料理でも、調べればそれを提供している店が必ずといっていいほど見つかります。
フレンチやイタリアン、中華料理といった有名な料理なら、現地の味と少しも変わらないものを出す本格的な店もあれば、日本人の舌に合うようにアレンジしたものを食べられる店まである。

また、今はコロナで旅行は制限されていますが、飛行機や鉄道、自動車などが整備されていて、どんなに遠い国の辺鄙な場所だって行く手段があります。

そんな選りどり見どりの世の中で、私たちに残されている「最後の秘境」は、何でしょう?
私はそれは、「過去への旅」だと思うのです。古典を通じて古代の人々と心を通じる旅ほど豊かな体験は、ほかにないのではないでしょうか。

興味深いお話、ありがとうございます。後編のインタビューでは、上野先生がお祖父さんとお母さんを看取った経験談を中心に、ご自身の死生観などについて、お話をうかがっていきたいと思います。

後編記事はこちら→ 万葉学者·上野誠に聞く【後編】変転する日本の葬送文化。「死の外注化」は是か非か?

『折口信夫「まれびと」の発見
おもてなしの日本文化はどこから来たのか?』

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  • 著者: 折口信夫
  • 出版社:幻冬舎
  • 発売日:2022年4月27日
  • 定価:1,540円(税込)

温故知新、それは歴史を知ること
まれびと、姿の見えない神さま、ご先祖さまを知ることが、
自らの足元を見つめることになる

折口信夫没後70年――今読みたい教養の書
古典学者、民俗学者、歌人として全国を旅し、
日本人の魂のありようを見つめ直した知の巨人

目次

  • 第一章 神と人との関係こそ文化だ
    • 他界への憧れ
    • 日本の踊りは宗教のみなもと
    • 「やしろ」とは何か ほか
  • 第二章 いのちのみちしるべ
    • 「たま」と「たましい」
    • 魂と肉体
    • 「消える言葉」と「残す言葉」と ほか
  • 第三章 男と女とお客さま
    • お客さんが文化をつくる
    • 「いはふ」
    • 神と神の嫁 ほか
  • 第四章 精霊との対決
    • 「もののけ」とは何か?
    • 「たたり」は神さまのデモ
    • かっぱ ほか
  • 第五章 年中行事があるからこそ
    • ひな祭りと人形
    • 魂とお正月
    • 月見になぜ花を供えるのか ほか
  • 第六章 歌と語りと日本人
    • 「かたり」と「うた」と
    • 日本の恋歌の特徴
    • 俳句と短歌の違い ほか
  • 第七章 日本の芸能のかたち
    • ものまね
    • 「かぶき」とは何か
    • 隠者文学 ほか
  • 第八章 折口信夫が目指したもの
    • 民俗学の目的
    • 万葉びと
    • もうこれ以上、日本を悪くしてはならぬ ほか

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取材・文=内藤孝宏(ボブ内藤)
撮影=桑原克典(TFK)

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