かっこよい人

通天閣がそびえる街でヒョウ柄専門店「なにわ小町」を切り盛りする高橋真由美さん

大阪メトロの戎橋駅を降り立つと、すぐ目の前に通天閣が見える。ここは新世界。そのすぐそばにある新世界市場に入っていくと、ひときわにぎやかな店先が目に留まる。そこは、大阪のおばちゃんたちが愛してやまないヒョウ柄専門店「なにわ小町」だ。還暦を迎えたときに高橋真由美さんがオープンした店だ。高橋さんは大阪生まれの大阪育ち。大阪のおばちゃん=ヒョウ柄好きというイメージがいつの間にかついてしまったが、ヒョウ柄専門店となると、大阪府内にあるのは2店舗のみである。一度、会ってしゃべれば、ヒョウ柄ファンじゃなくてもまた会いに来たくなるような高橋さんのトレードマークはトラの顔が前面にプリントされたTシャツ「ガォー」Tシャツだ。元気印の高橋さんは、いったいどんな人生を歩んできたのか、周りを元気にしてくれる高橋さんの人生の軌跡を追った。さあ、元気を分けてもらってください。

高橋真由美
1951年生まれ。大阪生まれの大阪育ち。生粋の大阪のおばちゃん。通天閣のすぐそばの商店街「新世界市場」のヒョウ柄専門店「なにわ小町」店主。2022年4月オープンの「OMO7 大阪 by 星野リゾート」のアクティビティのひとつ「なにわ小町/人生を楽しむ達人に学ぶ大阪のおばちゃん講座」(日曜日)を担当している。
目次

大阪のおばちゃん、阪神大震災の年に自分自身を大整理

ここは、通天閣がそびえる新世界。シャッターが下りた店が目立つ新世界市場でひときわ輝き、目立っているのがヒョウ柄専門店「なにわ小町」だ。店内には所狭しとヒョウ柄が並んでいる。服だけでなく、マスクにバッグ、財布も多種多様なヒョウ柄、アニマル柄がほどこされており、その数、なんと一万点。ここの看板娘であり店主が高橋真由美さん71歳だ。なぜ、ここにヒョウ柄専門店をオープンしたのか、そのいきさつを伺った。

ヒョウ柄はずっとお好きだったんですか?

高橋
ずっと好きです。18歳のときに上田安子服飾専門学校に通ったんです。ちょうど大阪万博のころかな。学校を卒業したら記念に「ヒョウ柄のスカーフ」がもらえたんですよ。卒業してへんけど。(卒業してへんのか~い)ほら、当時はヒョウ柄いうたらイタリアのものだったし、高級で憧れだったんです。高かったけど。

ヒョウ柄は舶来もの?

高橋
そう、高かったで、昔は。

「なにわ小町」は、お手頃価格ですよね。

高橋
誰もが気軽に着て元気になってもらいたいでしょ。大阪のおばちゃんには、安い、着やすい、おもしろいもんでないとあかんねん。

お店を出すまでは、何をされていたんでしょうか?

高橋
いろいろやってましたよ。ヤクルトのおばちゃん(ヤクルトレディのこと)、服飾関係の仕事や人材派遣会社の営業とか、スナックとか。人としゃべるのが好きなんですよ。

いろんな仕事を経験されていたんですね。

高橋
人としゃべるのが好きなんです。結婚して子育て中は、ヤクルトの販売とかパートをしていたんですけど、子どもが小学校四年生の頃、社会復帰がしたくなって、人材派遣会社に就職したんです。39歳の時かな。毎日、何本も電話するんで、恰好なんかつけてられへん。ええ恰好いわれへん、心のないしゃべり方ではあかん。私、人のことならなんぼでも謝れるし。人材派遣の会社では、ほんまにいろいろ勉強になりました。阪神淡路大震災の前年に父が亡くなって、母親が一人で暮らし始めることになって、寂しいからと毎日電話がかかってきたりして、母親がかわいそうで気になってしゃあない。「ほっといたらこのままぼけるんちゃうか」て思て。そしたら、父親の一周忌の時に阪神大震災、「えらいこっちゃっ」「もうええわ!」てなって、自分自身の整理をして、母親と一緒に住むことにしたんです。

阪神大震災を契機に、「もうええわ!」と、人生の整理をしたという高橋さん。離婚を決意し、子どもを連れて、母親の住む堺に引っ越した。

高橋
子どもも一緒に堺に来てくれるっていうんで、思い切れた。夫は単身赴任だったし、子どもは一人で育てたようなもんだし、社会復帰もしてたから。とにかく、じっとしているんが嫌なんですよ。人材派遣会社に勤めながらスナックを友達と始めたんです。スナックも嫌いやなかったんです。人と接することやから。以前から友達と年を取ったらなかなか雇ってもらえなくなるし、食べ物商売とかしたいなあって話してたんですよ。そのことを友達が覚えてて「あんた前にいうてたやん。食べ物商売したら」て。それはそれでよかったんですけど、「この子に介護されるんいやや思たんか、それからすぐに母親が亡くなってしもて。

母のことがきっかけで、人生の大整理をしたのだが、人生は何が起こるかわからない。しかし、悲しんでいる暇がないほど、高橋さんに次々と仕事の誘いが来る。人材派遣会社で知り合ったメーカーとの縁で、浴衣の販売をしたり、人材派遣会社で人材の指導をしたりと「仕事をいうてくれるうちが花」と思った高橋さんは、とにかくなんでもやった。

「私、ヒョウ柄が好きやねん」

堺市に住んでいたのに、どうして今まで縁のなかった新世界に店を出すことになったんですか?

高橋
息子が新世界市場内のビルの2階で仕事を始めて、1階が空いたままだったんですよ。「どうせ同じ家賃払うんやし、お母さん、そこで何かしいや」って息子が言うてくれたんで、「店やろかぁ~」て、軽い気持ちで、浴衣の販売をすることにしたんです。ちょうどその頃、新世界が百周年を迎えることになって、注目されて。当時大阪府知事だった橋本さんがきてくれて、うちの浴衣を着て歩いてくれたりしたんです。あんな偉い人、店に来てくれたことなかったし。こんなシャッターだらけの場所やのに、嬉しくて。

今から10年前、2012年のことだ。初代通天閣と新世界の前身となる遊園地「ルナパーク」が完成したのは1912年7月3日。初代通天閣は凱旋門にエッフェル塔を載せたハイカラさで人気を博した。浴衣からヒョウ柄専門店になったのは?

高橋
近所のお茶屋のご主人が「好きなもん売ったらええやん」て言うてくれて、「そや、私、ヒョウ柄好きやねん」て思って。やり始めたら、火いついてしもた。パンドラの箱を開けてしもた。最初はヒョウ柄をかき集めて必死やった。若い頃はヒョウ柄いうたらイタリア製でデパートだったら10万円も20万円もしたもの。うちは安いで。そのうちに「おばちゃん、ヒョウ柄着て」いわれて、店では毎日、ヒョウ柄を着てます。

安い、おもろい、着やすいヒョウ柄のオリジナルシャツ

高橋
うちのヒョウ柄は、安い、おもろい、着やすいもんばっかり。キラキラもいっぱいついてる。大阪のおばちゃんは、安くて着やすいもんが好きでしょ。最初は既製服のヒョウ柄だったんやけど、ヒョウ柄のオリジナルの服を作ることにしたんです。動物園に行ってヒョウやトラを見に行ったりしたんですよ。ヒョウ柄は誰にでも似合うで。「ガォーTシャツ」はもっと似合うで。これ着てガォー、ガォーしてほしい。


「OMO7 大阪 by 星野リゾート」でまさかの抜擢

「ガォー」のTシャツを着れば背筋も伸び、元気が出ること間違いなしだ。今まで経験してきた服飾関係の仕事が「ガォー」のTシャツにも活かされた。今では全国からヒョウ柄ファンと高橋さんのファンが店にやってくる。男性客も多く、奥さんに頼まれてきた人や、お土産に買って帰る人もいる。そして、高橋さんの「ガォー」は、まだまだ加速しはじめる。2022年4月、あの星野リゾートが新今宮にオープン。「OMO7 大阪 by 星野リゾート」である。なんと、そこで高橋さんがまさかの抜擢をされた。アクティビティ「「なにわ」ってなんやねん講座」のひとつ「なにわ小町/人生を楽しむ達人に学ぶ大阪のおばちゃん講座」(日曜日)を担当することになったのだ。

高橋
OMO7ができて、私らはどう接したらええのかわからへんかったんやけど、OMO7のスタッフの方が毎日、来てくれて頭下げてくれるしねえ。ちょっとでも応援しよういう気持ちになってきたんですよ。講座で30分、楽しくしゃべって拍手までいただいて、嬉しいことです。何が好きやいうて人としゃべることが好き。しゃべらんことには相手に通じへん。いつまでもぐじぐじしていたらあかんねん。底がきたら一歩でも上がるしかない。夜はくよくよ考えへんようにしてます。朝起きて、太陽を見て考える。朝は、いろいろ考えようと思ても、洗濯もせなあかんし、朝ごはんも食べなあかん。夜は考え込んでしまうけど、朝はすることいっぱいあるから忘れてしまう。そうやって生きていかな。今、足が痛いとか言ってる場合やないねん。70歳になってこんなに輝いてええんかなって思てます。

一度、高橋さんに会えば、また会いたくなる。「なにわ小町」には、リピーターが絶えない所以だ。また、会いに行かせてもらいます。高橋さん、ありがとうございました。

なにわ小町

住所
大阪新世界市場

取材・文=湯川 真理子

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