楽器を直して57年。管楽器リペア職人・高橋一朗さんの仕事術
ジャズやオーケストラ、吹奏楽などの音楽を構成する上で、管楽器は欠かせない存在です。プレイヤーは自らの呼吸を駆使して楽器を鳴らし、美しい音色を奏でます。
管楽器は、「金管楽器」と「木管楽器」の2種類に分けられます。まずはトランペットやトロンボーンなどの唇を震わせて音を鳴らす「金管楽器」。これに対し、サックスやクラリネットなどの「木管楽器」は、音を奏でるのに唇の振動を必要としません。
一言で管楽器といっても、それぞれの楽器の音色や特徴、構造は大きく異なります。すべての管楽器に共通するのは、「息で音を鳴らすこと」と「壊れること」くらいかもしれません。
今回は、壊れた楽器に命を吹き込む管楽器リペア職人・高橋一朗さんに、お話を伺いました。
- 高橋一朗さん
管楽器リペア職人。昭和23生まれ。現在75歳。1940年に創業した日本初の管楽器リペア店「高橋管楽器」の2代目。2010年1月、長年の功績が認められ、「新宿ものづくりマイスター・技の名匠」に認定された。 趣味はクラリネットを吹くことと、油絵を描くこと。
“1mmの隙間”で音が変わる
「高橋管楽器」の仕事について詳しく教えてください。
高橋
私たちは管楽器の修理専門店です。いまは私と息子の2名体制で修理にあたっています。うちでは金管・木管を問わず、すべての管楽器を修理できますよ。でも今はサックスの依頼が中心ですね。
どのような修理依頼がありますか?
高橋
「テーブルにぶつけて楽器が凹んでしまった」「落としてから音が出ない」「原因はわからないが音程が低い」など、お客さんによってさまざまです。壊れた楽器を修理する目的で持ってくる方もいれば、定期メンテナンスとして預けてくださる方もいます。
修理依頼の中でも特に多いのは、サックスやクラリネットなどの「タンポ」に関するものです。木管楽器の不調は、タンポが関わっていることが多いんです。
タンポとは何ですか?
高橋
まず木管楽器は、管に複数の穴が空いています。その管の周りには「キー(=ボタン)」が配置されていて、各キーには棒状の金属パーツがつながっている。キーを押さえると、パーツが連動し、キーに対応した穴が塞がります。息を吹き込みながらキーを押すと音が変わるのは、そのためです。
高橋
タンポとは、穴を塞ぐパーツの裏側に接着されている、小さなクッションです。ふかふか弾力があるから、管の穴をきちんとふさいでくれる。でもタンポがズレていたり、劣化したりすると、本来ふさぐべき穴がふさげない。穴とタンポの間に隙間が出来てしまうんですよ。だから音色が変わったり、空気が漏れたような雑音が生じたりするんです。
TVやコンサートを見ていて、「あの人の楽器、タンポに問題があるな」と気づくこともありますか?
高橋
ありますね、すぐわかりますよ。1mmの隙間でも音が変わるので、完璧にふさいでやらないといけない。タンポは消耗品だから、どうしても交換や微調整が必要なんです。プレーヤーの吹き方やキーの押さえ方次第では、タンポがすぐに劣化してしまうこともあるしね。
金管楽器はどのような修理が多いですか?
高橋
“ロータリー”や“ピストン” ※ の修理・調整ですね。それから楽器の凹み直しの依頼もありますよ。でも、金管楽器は昔と比べて修理依頼が減りました。最近の金管楽器は性能が良くなって、壊れること自体少なくなった。親父の時代は楽器の質が悪かったから、金管楽器の修理依頼もたくさんありましたよ。
※ロータリー、ピストンとは…金管楽器の音を変えるための仕組み・機構
サックス職人の父が日本初の管楽器リペア店を開業
お父さんが高橋管楽器を創業したのはいつ頃ですか?
高橋
1940年です。親父はもともとニッカン(日本管楽器製造/現ヤマハ)の工場で働いていてね。色々な楽器の製造現場を経て、最終的にサックスを作る職人になりました。
サックス職人だったお父さんは、なぜ修理を仕事に?
高橋
サックスも他の楽器も、複数のパーツが組み合わさって出来ています。親父はバラバラのパーツを組み上げて完成品にする仕事をしていたから、すべての管楽器の構造をよくわかっていました。だから不具合の原因を見つけることも、修理も、親父にとっては訳ないことだったんです。
親父は「戦時中の生活費の足しに」と、個人で楽器の修理仕事も請けるようになりました。昼はニッカンの工場でサックスを作って、夜は繁華街のキャバレーを回って壊れた楽器を集める。その楽器を翌朝までに修理して、客先へ届ける。この生活を4,5年続けていたそうです。
高橋管楽器は日本初の個人の管楽器リペア店だと聞きました。
高橋
当時うちみたいな街の楽器修理屋は、日本中どこを探しても他にありませんでしたね。
戦争が終わると、日本でも爆発的にジャズが流行りました。その頃には、進駐軍や一流ジャズ・プレイヤーからの修理依頼も舞い込むようになり、さらに忙しくなりました。家の横の空き地には、全国各地から集まった楽器が山積みになっていましたよ。
ジャズ界の重鎮に頼られる父の背中を見て“2代目”に
高橋さんはなぜ管楽器リペアの道に?
高橋
私はもともと手を動かすのが好きな子どもだったんですよ。自分じゃ組み立てられないくせに「どんな構造だろう?」と不思議に思って、時計をバラバラにしてみたりね (笑) 小学生の頃には、友達と一緒に秋葉原でパーツを買い、ラジオを作ったこともありますよ。はんだごてやヤスリの使い方は、そうやって遊びながら覚えました。
何をきっかけに家業を手伝うようになったんですか?
高橋
私が初めて手伝ったのは、中学1年生の夏休み。親父から「2週間店を手伝えば、腕時計を買ってあげる」と言われてね。
私が最初に任されたのは、鉄の棒を削ってパーツを作る仕事でした。
当時のお客さんの多くは、戦前に作られた楽器を使っていました。その頃の「細い鉄製パーツ」は、パキッと折れやすい。でも戦争の影響もあって、替えのパーツは手に入りません。だからリペア職人が自分で作るしかなかったんです。
鉄の棒にヤスリをかけて、その楽器に最適なサイズに仕上げる。リペア職人の雑用係が私の最初の仕事でした。
高橋さんは高校卒業後、家業に入ったと聞きました。
高橋
私は高校3年生で大学受験をして、合格しました。ちょうどその頃、店の従業員の退職話が持ち上がったんです。それを聞いて「人手が足りないなら私がやる。私が跡を継ぐ」と言ってうちに入社しました。
入学手続きの直前に進路変更したから、運良く入学金を払わずに済みました(笑)
若者の中には「色々な世界を見たい」「家業に入るのはまだ先でも遅くはない」と考える方もいると思いますが、18歳でその決断ができるのはすごいですね。
高橋
親父から「店を継いでくれ」と言われた記憶は一切ありません。私は無意識に、親父に憧れていたのかもしれませんね。
当時のお客さんには、プロのジャズ・プレイヤーがたくさんいたんです。サックスだと、原信夫や松本伸、松本英彦。クラリネット奏者はレイモンド・コンデ。いわば、日本のジャズ界を作り上げた錚々たる面々です。彼らが「楽器を直してくれ」とうちの親父を頼って店に来るんですよ。それを間近で見ていると、やっぱり影響を受けますよね。
一流のプレイヤーから頼りにされるお父さんは、職人としての腕も一流だったのだろうなと思いました。
高橋
親父は集中力がずば抜けていました。管楽器リペアは、繊細さを必要とされる仕事です。当時は寝ている暇もないくらい仕事があったから、昼夜問わず、長時間集中して細かな作業を続けなければならなかった。あれは親父だからできたことだと思います。
うちの息子(高橋大輔さん/高橋管楽器3代目)には、親父のそういうところが受け継がれていると感じますね。
職人歴57年の高橋さんが語る 管楽器リペアのおもしろさ
高橋さんは管楽器リペアの技術をどうやって習得したんですか?
高橋
この仕事は、「見て覚える」「やって覚える」以外に方法がないんですよ。今は管楽器リペアを教える学校もあって、確かにそこに通えば楽器の基本的な構造や修復方法は学べるかもしれない。でも管楽器リペアの仕事は、感覚がものを言う世界です。
管楽器リペアには、色々な「あとちょっと」の場面があります。
例えば新人に「このパーツは、あとちょっとだけ削るんだよ」と言っても、その「あとちょっと」の程度は一人ひとり違いますから、これがなかなか難しい。表面が数ミリ削れるほどなのか、ヤスリで少し撫でる程度でいいのか。リペア職人は、それぞれの管楽器修理の場面で、自分の感覚を研ぎ澄ましながら、技術を体で覚えていくしかないんです。
高橋さんはその感覚を身につけるのに、どのくらいかかりましたか?
高橋
私は10年くらいかかりましたね。感覚と技術の習得には時間がかかりますが、それがこの仕事の面白さでもあります。夢中でやっていたら、もう57年経っていたしね。
金管楽器と木管楽器では構造もパーツも違いますし、その分覚えることも多いように思います。
高橋
確かに覚えることはたくさんあります。でも昔は質の悪い楽器だらけだったから、若い職人が場数を踏む機会も多かったんです。お客さんの楽器を手に取り「こういう壊れ方もあるのか」「ここのパーツが原因かもしれない」「直すにはこういう工具を作る必要がある」と、修理方法を考えながら、手を動かす。これを繰り返せば、技術と感覚が自然と身についてくる。
私の時代は、「修理依頼=勉強する機会」でもありました。でも今は金管楽器の品質が良くなって、お客さんが修理に出すこと自体そう多くありません。だから今の職人さんは大変かもしれませんね。
大切な楽器を待つ人のために これからもていねいな仕事を
大切な舞台を控えたプレーヤーが慌てて直しに来ることもありますか?
高橋
コンクールや本番直前に来る人は少ないですね。うちのお客さんの多くは良い楽器を持っているから、大掛かりな修理が必要なケースはほとんどありません。
でも昔、ある受験生から修理を頼まれたことがあってね。
突然大慌てで店に来て、「東京藝大の音楽学部を受けるために地方から東京にきました。本番を前にトランペットを掃除していたら、ピストンが動かなくなりました。明日の試験までに修理していただけますか?」と。すぐに作業に取り掛かり、夜中までかけてなんとか直しました。
後日「無事に合格した」と聞いて、私もホッとしましたよ。
まさに管楽器プレーヤーの駆け込み寺ですね…!
高橋
そのお客さんはプロのトランペット奏者になって、活躍されています。今もメンテナンスに通ってくれているけれど、全く同じこと(「駆け込み寺です」)を言われますよ(笑)
管楽器プレーヤーには「自分には“この1本”」という楽器が必ずあるんです。
同じ楽器を複数本持っていても、いつも好んで使う楽器は自ずと1本に絞られてきます。そうなると、どうしたって他の楽器は使えない。
その方にとっては、そのトランペットこそが“この1本”だったのかもしれませんね。最後に、高橋さんが管楽器リペアをする上で大切にしていることを教えてください。
高橋
時間がかかってもいいから、ていねいにやることです。「翌日までに修理してほしい」と言われても、手抜きして早く片付けることはしません。たとえ夜中までかかろうと、ていねいにきちんと修理して、お客さんのもとへ届けたい。
だって修理された楽器の帰りを待っている、その人のためにリペア職人がいますからね。