1つのツイートがきっかけで会社の運命が変わった⁉︎「おじいちゃんのノート」でつながる奇跡
ノートを開くと、真ん中の綴じ部分が盛り上がっていて書きにくいなぁ、と感じたことはありませんか?
そんなときは、中村印刷所が制作する「水平開きノート」を手に取って見てください。
「水平開きノート」とは、ノートを開いても綴じ部分の膨らみがなく、水平に開くノートなんです。これにより、ノートの中央部分までノンストレスで文字を書き込むことができます。
実はこの発明、2016年にTwitterで“バズリ“、世間で大きな話題を呼びました。
今回はそんな渦の中心にいた、中村印刷所代表の中村輝雄さんに、人生の物語について語ってもらいます。
- 中村 輝雄
印刷一筋84年。昭和13年に創業した中村印刷所の代表を務める。2016年に「水平開きノート」がSNSで話題になる。その後も、「脳スッキリノート」など新たな商品の開発を意欲的に進める。
幼少期は宿題をやらないで有名な元気っ子
中村印刷所が立ち上がるまでの、経緯を教えてください。
中村
印刷所を立ち上げたのは、私の父になります。父は川端康成にそっくりな文学青年でした。何かしらのかたちで、本に携わりたかったそうですよ。
中村さんも、本が好きだったりするのでしょうか。
中村
いえ、私はどちらかというと友達と外で遊ぶのが大好きで、活発な幼少期を送っていました。学校の宿題をやらないことで有名でしたね(笑)。
そうだったんですね(笑)。そこからどうして印刷所を継ぐことを決断したのでしょうか?
中村
やはり、父と母が苦労している背中をずっと見て育ってきましたから。だから、中学校を卒業したらもう家業に入ろうと思っていたんです。でも母が、「今は中学校だけじゃなくて、高校くらいまでは行った方がいいよ」と言ってくれたので、進学することに決めました。ですが、うちにはそんなお金はなかったんです。
そうすると母が、「夜間学校があるじゃないの」と言ったんですよ。そして私は、印刷科がある夜間学校に通うことになりました。印刷科がある夜間学校は1校しかなく、倍率は3.8倍でした。そもそも今と違って子どもの人口が多かったこともあり、学校の倍率自体が高かったんですよ。
学校に通うこと自体、すごいことだったんですね。学校を卒業してからは、本格的に中村印刷所で働き始めたのでしょうか?
中村
そうですね。父が亡くなって私が家業を引き継いでからは、苦労しながらもなんとか印刷所を経営していました。その当時印刷業界は、活版印刷からオフセット印刷に時代が移り変わり始めました。そのタイミングで、私は『紙フィルム』というものを発明して、特許も取ったんですよ。
『紙フィルム』とはなんですか?
中村
印刷するには、パソコンのデータをフィルムに置き換えなければいけないんです。そのフィルム化というのは、自分で行うのではなくて、出力業者に依頼をするんですよ。ですが、業者というのは土日はお休みだし、夜遅い時間なんて稼働していませんよね。そこで私の開発した『紙フィルム』を使えば、自分の設備で印刷できるんです。
それは画期的な発明ですね。
中村
それでも、印刷業界はなかなか厳しいものでした。世の中が紙媒体から電子媒体に移っていたので、うちの売り上げもみるみる落ちていたんです。赤字が続き、もうそろそろ廃業しようかなんて話しながら、悲しい気持ちで2015年の年末を過ごしていました。ところが、年が明けて2016年、ある出来事が起きたんです。
1つのツイートが運命を変える
中村
2016年の元日、恒例としております初詣をして家に帰って横になっていると突然電話が鳴り、直ぐに取りました。何とお世話になっております中小企業診断士の先生からでした。内容は「中村さんのパソコン、大変なことになっていますよ」とのことだったのです。最初はどういうことかよくわからなかったんだけど、年が明けて1月4日から仕事を始めたら、電話は鳴るわFAXは来るわ、もうパンク状態でした。あとから聞いたところ、一緒に働いていた方のお孫さんのツイートが話題になったそうなんです。
いわゆる、“バズった”っていうことですか?
中村
そうなんです。そのとき、うちは新しく開発した「水平開きノート」というのを販売していたのですが、そのノートのことをツイートしたようなんです。そのツイートは、3、4万リツイートされたそうですよ。「水平開きノート」の存在が多くの方の目に留まったみたいで、そこからは山のような注文が舞い込んできました。
中村さんの人生を変えるような出来事だったんですね。
中村
1日300冊しか作っていなかった印刷所なのに、あのときは1日で7、8万冊の注文が来たので、当時はその注文を捌くのに必死でした。でも、今となってはあの出来事は大きな励みになっています。多くの人とつながることができ、ノートを通して「ありがとう」という手紙をいただいたりしています。みんなでその「ありがとう」を分かち合いながら、今日まで頑張っていますよ。
まさに奇跡ですね。「紙フィルム」や「水平開きノート」もそうですが、中村さんは、何か新しいものを生み出すことに常にチャレンジされているんですね。
中村
新しいものを生み出すのは、好きですね。思い描いていたものができたときは嬉しいもんですよ。「水平開きノート」を開発してからも、新しいものはつくり続けています。たとえば、この「脳スッキリノート」なんかもそうですね。少し凹凸がある紙を使うことによって、書いたときに引っ掛かりを感じて、脳を刺激するんです。「OKシナプス紙」で検索して下されば、この用紙の素晴らしさがお解りになると思いますよ。
中村
「脳スッキリノート」はうちのヒット商品になっていますね。今はいろんな人から私のつくるものを必要とされています。だから時間を持て余す暇がないんです。「こういうのを作ってくれないか」と誰かに言っていただけるのは、とても嬉しいことですね。今は仕事が終わって、お風呂に入り、家内と一緒に晩酌をするのが毎日の楽しみです。
子どもたちに未来を託し、自らも挑戦を続ける人生
中村
5年前の74歳のときには、初めて国家試験というのも受けました。「知的財産管理技能検定」という、特許を取得する際に関係する資格を受験したのですが、大きな試験会場の雰囲気を味わうのは初めてだったので、新鮮でしたね。
74歳で国家試験に挑戦するのは、すごいチャレンジですね。
中村
受験しに来た方たちは、40代や50代の方がほとんどだったと思います。結果、試験は無事合格しました。まさかこの歳で国家試験を受けることになるとは思ってもいなかったので、人生は何があるかわからないですね。本当におもしろいです。
中村さんは、これからの人生や未来について、どう考えていますか?
中村
私のつくったものを、これからの未来を背負って立つ子どもたちにたくさん使って欲しいなと思っています。私たちが開発した書きやすいノートで勉強してもらって、見やすい参考書を使って欲しいです。そして、いつかのあのころのような元気に溢れる時代になればいいと願っていますね。私自身も、新たなチャレンジをしたいという気持ちは、まだまだあります。負けていられませんよ!
今もなおチャンレンジ精神で溢れていた中村さん。中村さんの商品は、Twitterがきっかけで多くの人に知られることとなりましたが、それは中村さん自身から溢れるバイタリティに引き寄せられて起きた、奇跡だったように感じます。