両親を立て続けに看取った経験が私を強くした。絵本で新境地を拓いたイラストレーターよしおかアコさん

トレードマークはカーリーアフロな七色のウィッグ。温かみとユーモアがある絵柄で90年代から活躍する人気イラストレーター、よしおかアコさん、64歳。50代になって絵本の世界に進出。さらにライブペインティングやYouTubeなど精力的に活動の場を広げている。
およそ35年にわたりイラストレーションの第一線を駆け続ける、よしおかアコさん。しかし、自分のイラストに納得できず悩んだ30代、心の恩師の言葉に支えられた40代、そして両親の介護と看取りに追われ失業の危機にさらされた50代と、これまで歩んだ道は決して平坦ではなかった。
それでも暗くならず、人々に「すまいる」を届け続けたよしおかアコさんに、お話をうかがった。
- よしおかアコ
イラストレーター。1962年生まれ。大阪府守口市出身・在住。大阪デザイナー専門学校卒業。デザイン制作会社「スタジオバンタム」勤務を経て、30歳を機にイラストレーターとして独立。大阪のギャラリー「The 14th moon」を拠点に個展を多数開催。2017年、絵本デビュー作『すまいる』(作・かくまさみ/出版ワークス)を出版。2018年、『ぼくは くいしんぼう仮面』(原作・くいしんぼう仮面/出版ワークス)、2020年、『ひいたんぴょんさん』(作・笑福亭鶴笑/出版ワークス)を出版。以降、続々と発刊を重ねる。絵本出版を機にライブペインティングや絵本作りのワークショップを各地で開催中。
画家の父を見て育ち「どの家もお父さんは絵を描いていると思っていた」

よしおかアコさんが描くイラストは、ほっとする温かな絵柄で、それでいて「ふちどり」がすっきりシャープなのが特徴ですが、画材は何をお使いですか。
よしおかアコ(以降、よしおか)
アクリル絵の具です。よく「液晶タブレットで描けば早く仕上がるのに」と言われるんですが、絵の具でないと描いた気がしなくて。作業はデータ入稿以外、全部アナログです。
絵の具でこんなにもにじみなく描けるなんて、すごいです。
よしおか
よく「不思議だ」と言われるのですが、長年やっていると、描けるようになるんですよ。もうここまで来たら絵の具でできる表現を究めたいですね。これからみんなデジタルで描く時代になるだろうから、逆にアナログでやり続けていると「希少価値が出るんじゃないか」って目論んでいます。

よしおかさんが絵に関心をもったきっかけは何でしたか。
よしおか
関心というか、父が油絵の画家だったので、生まれたときから家に絵があるのが当たり前という環境だったんです。キャンバスや絵の具、筆などが家のあちこちに散在していて、3歳くらいから自分でも絵の具をチューブから絞り出して、見よう見まねで描いていました。どこの家庭でも、それが普通だと思っていたんです。
それなのに小学生になって、お友達の家へ遊びに行くと、キャンバスや画材がどこにもないんですよ。私はそれにすっごく驚いてしまって。「お父さんが絵を描くのは、うちだけだったんだ!」って初めて気がついたんです。

ご自身はその頃、画家になりたいと思っていましたか。
よしおか
思っていなかったですね。父が描く絵は抽象画と具象画の中間のような世界があって、私は大好きなんですが、売れてはいなかったんです。父は絵だけでは食べていけないので小学校の先生をしていました。画家としてなかなか周囲から認められない父の姿を見て育ったから、幼いながら「絵を描いて生計をたてるのは、たいへんだな」と感じていたんです。
それに中学時代は合唱部、高校時代はソフトボール部に入っていて、団体でワイワイと行動するのが楽しくて。「一人で部屋にこもってこつこつ絵を描くのは性格的に向いていない」と自己分析していました。
画家になりたいとは考えていなかったとのことですが、大阪デザイナー専門学校に進学されますね。絵に遠からず関係がある学校ですが、これはどうしてですか。
よしおか
もう、消去法ですよ。高校時代、将来なりたい職業が、なんにも頭に浮かばなかったんです。絵は父の影響で幼い頃から描いていましたから、「学校で何か描いているうちに、未来への目標が見つかるかもしれない」という漠然とした気持ちでした。
イラストレーターがスターだった時代

学校でのデザインの勉強は楽しかったですか。
よしおか
楽しかったですね。デザインだけではなくイラストレーションの授業もあって。というのも、私が入学した頃は、ちょうどデザイナーとイラストレーターが脚光を浴びた時代だったんです。当時はグラフィックデザイナーだった横尾忠則さん、イラストレーターの黒田征太郎さん、安西水丸さんなどスターがズラリといた時代でした。
みんな光り輝いていてカッコよかった。すっかり感化されて、「私もイラストレーターになりたい」「彼らがいる世界に私も行きたい!」と夢を見るようになりました。
よしおかさんが専門学校で勉強しておられた1980年代、確かにイラストレーターは時代の寵児でしたね。テレビ番組の司会をしていたり、おしゃれなファッションビルの壁に大きな絵を描いて、そこが名所になったり。若者の憧れの職業でした。
よしおか
そうなんです。とはいえ、私は入学するまでイラストレーターという職業がこの世にあることさえ知らなくて。イラストの授業があって、そこで初めて知ったくらい、何にもわからなかった。
そしてイラストの授業を受けて、「画家のように自分の世界を表現して発信するのではなく、リクエストを受けて、レスポンスするように絵を描く世界があるんだ」って衝撃を受けましてね。もともと団体行動が好きだったのもあり、「誰かの役に立つために絵を描くイラストレーターという仕事は自分に向いているのではないか」と気がついたんです。
よしおかさんのイラストのタッチは優しさを感じますが、当時からそのような絵柄だったのですか。
よしおか
いえいえ、学生時代はもっと尖っていましたね。当時の若いイラストレーター志望者はみんなそうだったんじゃないかな。時代の最先端の仕事がしたいというトンガった気持ちが絵柄に表れていました。

憧れのイラストレーターになりたくてあがいた20代

専門学校卒業後は大阪のデザイン制作会社「スタジオバンタム」に入社されますね。
よしおか
専門学校の講師をしていた先生が起業した会社で、そこでデザイナー兼イラストレーターとして拾ってもらいました。
当時はコンピュータがありませんでしたから、版下のトンボ(印刷物を裁ち落とす基準となる目印)一つひとつ烏口(からすぐち)で線を引っ張って書いたり、注文した写植を取りに行って、会社へ戻ってカッターナイフで切って糊付けしたり。今だったらパソコンで数秒かからずできちゃう作業を全部手作業でやっていました。
イラストの仕事の比重はどれくらいあったのですか。
よしおか
実は入社前に想像していたよりもイラストの仕事が少なかったんです。クライアントさんや制作会社さんから「このスペースが寂しいから何か絵を描いてくれない?」と言われ、イラストで穴を埋める感じでしたね。仕事のほとんどがデザイナーのアシスタントでした。
黒田征太郎さん、安西水丸さんたちなど憧れのスターがいる世界とは、ちょっと違ったのではないですか。
よしおか
そうなんです。すごくよい会社で、楽しいし勉強にはなるんですが、「もっとイラストが描きたい」「望んでいた場所からずいぶん遠くに来てしまったぞ」という焦りはずっとありました。
焦燥感から、家に帰ると公募に応募する作品を描いたり、他のイラストレーターさんが個展を開いていると在廊日にポートフォリオを持参して見てもらったり。年齢が近いイラストレーター志望の子たちとグループ展を開いたこともありましたね。そうやって20代はずっとあがいていました。チャンスをつかみたかったんです。
尊敬する版画家に言われた「才能とは『どれだけ好きか』ということ」

イラストレーターとして独立したのはいつですか。
よしおか
30歳です。営業を頑張っていたのが功を奏して、イラストの仕事を少しずついただけるようになってきていたので、円満に退社しました。
30歳というちょうどよい区切りで、やっとイラストレーターになる夢がかなったのですね。
よしおか
仕事はどんどんいただけたし、販促のためのノベルティグッズなど大手企業からの依頼も増えてきました。独立してフリーランスになっても、収入的にはしんどくなかったです。
ただ……当時の流行で、ファッション系の大人っぽいイラストの注文が多くてね。自分が得意とする絵柄と異なっている場合が多かったんです。リクエストがあると嬉しいですから仕事を請けるのですが、できあがったイラストが内心どうも納得できなくて。
それにフリーになってみると、改めて「自分のイラストはヘタだな」って気がつくんですよ。イラストレーターの先輩たちの作品がうますぎて、「どうすると、ここまですごいイラストが描けるんだろう」と自信を失ってきていました。「この仕事をやめた方がいいのかな」と落ち込む日さえあったんです。そんなふうに30代はずっと絵柄も精神的にも安定せず、揺れ動いていました。

1990年代のよしおかさんといえば、大手自動車メーカーの媒体でイラストを手掛けていたり、神戸のファッションストリートの壁画を描いていたり、百貨店のディスプレイもやったり、関西で右に出るものがない人気イラストレーターという印象でした。ご自身は悩んでおられたのですか。どのように克服されたのですか。
よしおか
儀間比呂志(ぎまひろし)さんという尊敬する沖縄の版画家がいらっしゃいましてね。すごいパワフルな作品で、ほんと大好きでした。そんな儀間さんの個展が大阪で開催され、在廊日に会いに行ったんです。そして儀間さんに「自分には才能がない気がする。このまま続けてよいのか悩んでいます」と打ち明けました。
すると儀間さんが、「うまくなろうなんて思わなくていい。才能とは、どれだけ『好きか』ということだ。描くのが好きだという気持ちを優先しながら生きていけばいい。描くのが好きな自分を信じなさい」とおっしゃったんです。その言葉を聞いて、心がすーーぅっと楽になりました。
またその頃、よく個展をさせてもらっていた天満のギャラリー「The 14th moon」さんが、あなたのイラストが好きだからと言ってポストカードやグッズを作ってくださいましてね。私のイラストはこういうものだと一般の方に伝える術ができてきたのがありがたかった。SNSなどない時代でしたから、私を知ってもらえる機会ができたのは大きかったです。
そんなふうに自分の絵柄が広く知られ、なおかつこの絵柄で仕事のリクエストが来るようになったのは40代になってからなんですよ。
要介護となった母がイラストを見て笑ってくれた

需要と供給が一致したのが40代になってからだったとは意外です。そんなに長くかかったのですか。でもやっと苦境を脱することができたのですね。
よしおか
いやぁ、それがね……その後がもっとたいへんだったんです。イラストレーターをやっていて、もっとも辛かったのは50代でしたね。
え、40代で自分が描きたいイラストとニーズがマッチして、いよいよこれからってときだったのではないですか。
よしおか
確かに仕事は上り調子だったのですが、両親が二人同時に要介護の状態になってしまいまして。私が二人の世話をすることになり、厳密な締切日がある仕事を請けられなくなってしまったんです。ご依頼をいただいても、「お急ぎでしたら、今回はちょっと……」とお断りしているうちに仕事がどんどんなくなっていって。
そのとき離れていったクライアントさんからは現在も発注はないままです。仕事って一度断ったら、もう来ないんですよ。フリーランスはこれが怖いんです。
両親が一度にお二人とも要介護ですか。これは避けて通れないですもんね。では、もしかして、お仕事はゼロに?
よしおか
ゼロに近くなり、「私はもう終わりや。イラストレーターは辞めて、別の仕事を探さなければ」と考えていました。
そんなとき、一通のメールが届いたんです。それはずいぶん昔に一度仕事をした神戸の制作会社からの「絵本を描かないか」という打診でした。『すまいる』という原作があり、それをもとに絵を描くリクエストです。
絵本の出版はずっと念願でした。専門学校時代は実習で絵本制作コースを選んだほどです。それに、ほとんど仕事がない状態でしたから、ありがたかった。とはいえ両親が予断を許さない状況でしたので、「お請けしてよいのだろうか」と悩みました。
けれども、やっぱりやろうと。母は私が描くイラストが大好きで、「こんな仕事をしたよ」と見せると、いつも喜んでくれたんです。なので「もしも絵本を描いて見せたら、再び元気になってくれるんじゃないか」と思い、やらせてくださいと返事をしました。
捨てる神あれば拾う神ありということわざがありますが、救いの手って本当にあるのですね。
よしおか
絵本に着手した頃に父が亡くなり、想像以上にたいへんな時期となりました。ただ、絵本にするための制作途中の絵を母に見せると、すっごく笑顔になってくれて、報われましたね。
そんな母も残念ながら絵本が出版される前に亡くなったんです。残念ながら母に絵本のデビュー作の現物を見せる夢はかないませんでした。

お母様にお見せした絵本のタイトルが「すまいる」って……胸が締め付けられる思いがします。
よしおか
母に本になる前の絵を見てもらえたのが救いでした。「あのとき絵本の仕事を断らなくて本当によかった」と感慨深いものがありましたね。そして、親を二人とも立て続けに自宅で看取ったあの時期の経験は、自分自身を強くしたと思います。
50代で人生が変わったし、60代はまだまだ伸びしろがある

上梓された絵本『すまいる』(出版ワークス)以降、「絵本作家」と呼んで差し支えないほど続々と絵本をお出しになりましたね。実在するプロレスラー・くいしんぼう仮面の『ぼくは くいしんぼう仮面』や、落語家・笑福亭鶴笑さんとの『いもむしいもきち』など思いがけないコラボレーションがあって、おもしろいです。
よしおか
ほんと人生、いくつになっても何が起きるかわからないですよ。『すまいる』が3,000部ほど売れて、それが実績となって絵本を描かせていただける機会が増えました。約24ページで展開する絵本のリズム感もつかめてきたと思います。
プロレスラーの“くいしんぼう仮面“は大阪プロレスの中核メンバーで、所属31年目の現役です。とはいえ決して強い選手ではなく、ボディ・プレスのジャンプの際にぜんぜん関係ない場所に着地して膝を故障するなど、おっちょこちょいなんです彼。私は夫の影響でプロレスが大好きでね。大阪プロレスが旗揚げした日からずっとくいしんぼう仮面を応援していたんです。まさか将来、私が彼の絵本を描くことになるとは。

私は落語も好きで、人形を使ったパペット落語をしている笑福亭鶴笑さんとはSNSで相互フォローの関係でした。そこから「落語会のチラシのイラストを描いて」という依頼を受けてご縁が深くなり、鶴笑さんが考えた“いもむしいもきち”というキャラクターを絵本にしたんです。『いもむしいもきち』は文字がまったくないノンバーバル絵本なので、構成がむちゃくちゃ難しかったし、勉強になりました。

お話をうかがっていると、50歳以降に絵本をどんどん描くようになるなど、よしおかさんの人生はシニア世代になってから大きく変化しているように思います。七色のアフロウィッグをかぶるようになったのは、いつからですか。
よしおか
コロナ以降、ここ3年ほどですよ。60歳になってからですね。お子さんを対象に絵本のワークショップやライブペインティングをするようになり、「なんかインパクトがあった方がいいな」と思って、目立つウィッグをかぶるようにしたんです。

おかげで守口市立図書館のYouTubeチャンネルのお仕事もいただくようになり、自分でも変化を感じますね。イラストの新規の依頼もじょじょに増えてきました。8月には、くいしんぼう仮面との絵本の新刊も出すんです。
人って60代になっても変われるんですね。
よしおか
変われますよ、きっと。60代って、まだまだ伸びしろがあると思います。たとえばイラストを描いていても、「あれ? 私、以前よりも、うまなってるやん」と感じる瞬間が今もあるんですよ。この頃は新しいタッチにも挑戦していて、イラストの道に終わりはないなと感じます。さすがに若い頃よりも体力は落ちますが、技術や感性はむしろ進化しているんとちゃうかな。
50代で絵本に進出し、60代になってさらにアクティブに行動するようになった、よしおかアコさん。新しいジャンルに挑むのに遅いなんてない、年齢は関係ないのだと、改めて思い知らされた。
彼女が描くイラストやライブペインティング、ワークショップは、これからの日本を担う子どもたちの心に響いている。専門学校に通った10代の頃に芽生えた「誰かの役に立つために絵を描くイラストレーターという仕事は自分に向いているのではないか」という気持ち、60代になってその思いが見事に実を結んでいるのではないだろうか。

よしおかアコさんの絵本のご紹介
この記事について報告する