百年以上続く老舗珈琲店の三代目店主は歴史に魅せられた剣術士
大正から昭和初期にかけて大阪が東京を凌駕し、面積や人口、工業生産額でも日本一となり、大大大阪(だいだいおおさか)と呼ばれた時代があった。その頃、大阪で珈琲とドーナツがおいしい喫茶店『平岡珈琲店』を開店した。自家焙煎珈琲と手作りドーナツの味は初代、二代目、三代目へと百年以上に渡って受け継がれ、今も変わらず、お客さんに愛され続けている。現存する喫茶店では関西で最古といわれている『平岡珈琲店』は、移り行く時代を見続けてきた。三代目店主、小川流水(おがわ りゅうすい)さんは、創業者の小川忠次郎さんの孫にあたる。老舗の店主としての顔、そして剣術士としての顔を持つ小川流水さんに話を聞いた。
- 小川流水(おがわ りゅうすい)
1921年創業の平岡珈琲店の三代目店主。
1957年生まれ。関西学院大学文学部フランス文学科卒。北船場で平岡珈琲店の三代目店主として家業を営む。その傍ら剣術師範として剣術体験教室を開くほか、歴史の講演など、その活動範囲は広い。著書に『淀川治水翁・大橋房太郎伝』(東方出版)がある。
呼吸する街の変化の歴史を見続けてきた百年珈琲
Osaka Metro本町駅から歩いて3分ほどのところにある『平岡珈琲店』はある。創業は1921年(大正10年)、2021年に百周年を迎えた。自家焙煎した豆を一度鍋で沸騰させてから天竺木綿で濾す、昔ながらのボイリング法で淹れる珈琲と手作りドーナツは、創業当時から変わらないメニューだ。白地に珈琲とだけ書かれた暖簾がかかったドアを開けると淹れたての珈琲の香りと凛とした店主、小川さんが笑顔で出迎えてくれる。
珈琲を淹れる方法はずっと変えていらしゃらないんですか?
小川
あえて変える必要がないからこの方法でやっています。タイミングを覚えるとスタッフもやりやすいんです。ドリップだと淹れる人のクセが出てしまい、同じ味にならないんです。
ドーナツは、流水さんの祖父である創業者の忠次郎さんが常連だった日本初のカフェのひとつである「カフェーパウリスタ」で特別に教えてもらったレシピだという。今も1個1個、手で形を整えて揚げている。手作りのため1日に提供できるのは70個のみなので品切れになることもある。手土産に持ち帰る人も多い。
純喫茶や昭和レトロブームの影響もあり、台湾や韓国からのお客さんも増えている。最近、アメリカ人のユーチューバーが店を紹介してくれたそうで、一気に欧米からのお客さんも増えたそうだ。
オフィス街という場所柄、客層の変化が、時代の流れをそのまま映し出している。
『平岡珈琲店』のある場所は、電車でわずか5分で大阪の繁華街、梅田に行ける。以前は銀行や繊維商社が多かったが、最近はホテルや住宅、タワーマンションが増えてきた。
小川
ある時期に一気にお客さんが変わるんです。昔から本町は銀行や商社に勤めている人が多かったんですが、バブル崩壊後にリストラが始まった途端、パタッと減りました。毎日のように来てくれていたディンクス(※1)の女性、派遣社員の女性とかが急にみかけなくなったりしましたね。何か大きな時代の変化があると入れ替わります。タワーマンションができれば、そこのお客さんが来てくれたりと、とにかく急に客層が変わります。そのスピードがだんだん早くなって5年単位くらいの周期です。
※1)ディンクス(DINKs):結婚後も夫婦ともに仕事を続け、意図して子どもを持たない夫婦。Double Income(共働き) No Kids(子どもを持たない)の略。1980年代、ライフスタイルが多様化し始めていた米国で生まれた言葉とされている。
小川さんは、時代の流れがそのまま客層に現れるのを肌で感じ続けてきた。三代目の店主になる前は、広告代理店で3年間サラリーマンを経験した小川さんだが、生まれたときから珈琲店の三代目だったという。サラリーマン生活は印刷技術の変化が起きたときに退職し、1985年から父である二代目と一緒に店に入ることになった。
老舗の喫茶店の三代目の顔
小川
父はプライベートがない人でした。仕事も日常生活も一緒で、店が閉まる時間になってもずっとお客さんと話し込んでました。家でも同じで、お客さんと話し込んでいる側で、母と妹が洗い物をしていましたね。仕事も日常もないんです。私はこんな生活はいややなあって思ってました。父は90歳まで店にいましたが、ずっとそうでした。
店の権利や帳簿を父から受け継いだのは、53歳の時だった。
小川
とにかく百周年を迎える2021年までは絶対に続けようと思いました。店にいる時は老舗の喫茶店の三代目らしいキャラクターを演じて、老舗の三代目の顔をしてます。
店に立っているときは、老舗の三代目の顔を演じているとすれば、演じていない時の小川さんは、どんな顔なのだろうか。店の営業が終わると、三代目の仮面を脱ぎ、自分の好きなことを思う存分楽しむための時間が始まる。
歴史と剣術、そしてお酒をこよなく愛する
三代目の仮面を脱いだらどんな自分に戻られるんでしょうか?
小川
剣術家として刀を振っている自分や歴史が好きなんで歴史を調べている自分、それとときどき日本酒ですね。
日本刀を扱う技を日本古武道では一般的に「剣術」と呼んでいる。「居合術」「抜刀術」「竹刀剣術」「兵法」等、剣術には様々なものが含まれている。子どもの頃からチャンバラが好きで剣道歴は50年以上になる小川さんは、30代の頃には試し切りを始めた。サラリーマンを辞めて店に入ったときからもうひとつの顔みたいなものを持ちたいと思い、剣術の先生を探して弟子入りをした。
小川
仕事が終わると毎日1、2時間は、稽古をしています。原点は武士の戦う技術です。
歴史が好きな小川さんは、剣術をするときも下緒 (さげお)※2)はどう結ぶのか、刀は帯の何枚目に挿せばいいのかと、疑問がでる度、深く掘り下げたくなる。室町時代には室町時代の江戸時代には江戸時代の武士の作法があり、着ているものも変わる。武士はどんな時代背景でどんな気持ちで生きていたのか、深入りすればきりがなく、その興味は果てしなく広がる。
※2)下緒(さげお):日本刀 の 鞘 に装着して用いる 紐 のこと
小川
自分がやってみて武道の着付けが他とどう違うのか分かってきます。これは、自分でやってみなければ分かりません。深くて面白くて歴史に繋がってくるので永遠勉強です。
剣術や歴史の話をしているときの小川さんはまさしく三代目の仮面を脱いだ時の顔になり、実に楽しそうだ。
歴史で調べたことを人前で語るのも楽しい時間のひとつである。自分のフィールドワークとしてライブハウスで歴史講座を開いているそうだ。2023年の講座は「九州の戦いシリーズ」と題して、九州から見た歴史、2024年は、大河ドラマの紫式部にちなんだ「平安時代シリーズ」だそうだ。
小川
焙煎の合間を縫って、歴史資料などの展示があると出かけています。これが楽しいんです。歴史のことを考えているだけでワクワクします。
学んだ違う視点の歴史が浮かび上がり、リンクする。歴史の取材に行くのはめちゃめちゃ楽しいそうだ。淀川の歴史を丹念に調べ上げ『淀川の治水翁・大橋房太郎伝』(東方出版2010年初版)を出版した。淀川の治水こそ我が使命と心に決め、一生を淀川治水事業に捧げた大橋房太郎の。生涯と情熱をたどる評伝である。
歴史の講演、剣術指導などもしており、もうひとつの顔のときの小川さんは、いくら時間があっても足らないようだ。
創業百年目が大きな節目 次の百年へ繋ぐ
創業百年目を迎える3,4年前くらいから、次はどうしていこうかと考え始めたという。百年までは続けようと決めていた小川さんは、今、次の百年へ繋ぐために模索している。それまでは、ボイリング法で珈琲を淹れるのもドーナツを作るのもすべて小川さんが一人でやっていたが、徐々にスタッフに任せられるようになってきた。
小川
自分でやらないといけないと思っていましたが、そんな意地をはる必要はないと。珈琲を淹れるのもスタッフにやってもらえるようにしました。まだ、次の代へ繋ぐ明確な青写真はできていませんが、ドーナツの方もいろいろ考えて模索しています。
焙煎の技術は、生豆を購入している焙煎業者に話をつけたそうだ。ドーナツ作りは、プロのパティシェに頼めば同じようなものができたのだが、経験がない人にはなかなか同じようなものはできない。ただ『平岡珈琲店』のドーナツを再現するだけでなく、仕事として利益を生み出せなければ続かない。徐々にではあるが、自身の立場を職人から経営者に移行していくための目途が立ち始めてきたという。
小川
剣術の技の精神を残したいのと同時に店の核を残したいと思っています。店自体はなくなってもかまわないんです。
自らの店での役割を少しでも減らし、『平岡珈琲店』がどんなカタチになったとしてもその核になるものを残せば、次の百年へ繋ぐことができるはずであると小川さんは考えている。
「行雲流水(こううんりゅうすい)」からとった流水という剣術士の名前は、10年前から使い始めたという。空を行く雲と流れる水のように、赴くままに流れていきたい。そんな小川さんの気持ちが込められている。生まれたときから珈琲店の三代目だったという小川さんにとって、流水は本当の自分でいられる時間である。ぼちぼち三代目の仮面を脱いで、好きな歴史と剣術、そして日本酒の時間を増やしていきたい、それが今の希望だ。そのためにも『平岡珈琲店』を次の百年へ繋ぐための方法を考えている。
「家族の中、学校の中の自分は単なる役割でしかない。一度、整理をして裸の自分になってみたら違うものが見えてくる。自分の中のものを覗いてみてみれば、自分の中におもしろいことがいっぱいある」と小川さんはいう。
小川さんの楽しい時間はこれからまだまだ増えていきそうだ。