かっこよい人

コロッケに聞く!【前編】苦しいとき、ツラいときに僕を支えた母の言葉、「あおいくま」

2023年3月、歴史あるお芝居の殿堂、明治座創業150周年記念前月祭、
『大逆転! 大江戸桜誉賑(かーにばる)』に出演するコロッケさん。

日本人として普通に暮らしてきた人なら、誰もが知ってる爆笑ものまねスターです。
今回は、そんなコロッケさんがものまねを始めるきっかけから、これまで駆け上ってきたジェットコースター人生について、話を聞いてみました。

苦しいとき、ツラいとき、コロッケさんを支えてくれたのは、お母さんが教えてくれた「あせるな おこるな いばるな くさるな まけるな」という言葉だったといいます。

読めば必ず元気になる、感動のインタビューです!

インタビューは前編と後編に分けて公開します。

コロッケ
1980年8月、「お笑いスター誕生」(日本テレビ系)でデビュー。テレビ、ラジオなどに出演するかたわら、全国各地でのものまねコンサートを開催。また、東京・明治座、名古屋・御園座、大阪・新歌舞伎座、福岡・博多座などの大劇場での座長公演を定期的につとめる。2023年3月には明治座創業150周年記念前月祭『大逆転! 大江戸桜誉賑(かーにばる)』に出演する。
目次

ものまねのおかげで
ネクラ中学生が「夜の人気者」に

芸人さんやタレントさんの多くは、子どものころからクラスの人気者だったと聞きますが、意外なことに、コロッケさんはそうではなかったそうですね?

コロッケ
はい、そうです。クラスでは、おとなしくて暗い感じの子で、女の子にもまったくモテないタイプでした。中学2年生まではね。

というのも、中学3年生のバス遠足の日、好きな女の子に振り向いてもらうために人前で初めてものまねを披露したんです。その女の子は郷ひろみさんのファンだったので、「よろしく哀愁」を前日まで必死に練習して。

内心、ドキドキだったけど、歌い出した途端、バス中がどよめいたんです。
「誰が歌いよると!?」「似てるー!」とね。

ただ、残念ながら「好きな女の子を振り向かせたい」という当初の目的は果たせませんでした。その子は一瞬、表情が輝いたけど、僕がやっていることを知った途端、興味をなくした様子だったから。

でも、クラスメイトには喜ばれて、休み時間のたびにブルース・リーのものまねを披露したりして、男子の友だちはたくさんできました。

ブルース・リーは、クラスのほとんどの男子の憧れの存在だったし、郷ひろみさんだけじゃなくて、沢田研二さん、西城秀樹さん、野口五郎さん、それから桜田淳子さん、山口百恵さんといった、「誰もが知ってる国民的アイドル」が当時はたくさんいて、その人たちのものまねをするだけで注目してもらえる、そういう武器を手にしたことで僕は殻を破ったんですね。

その後、高校生になったコロッケさんは、家の近くにあった「ファンファン」というスナックでものまねを披露することになるわけですが、この時点でプロになりたいという思いはあったんですか?

コロッケ
いえ、憧れはありましたけど、このときは「自分を知らない人の前でものまねをやってみたい」という腕試しのつもりでした。

高二でしたが、童顔ではなかったので咎められるようなことはないだろうと、最初は下見のつもりでコーヒーだけ飲んで帰ってきました。
そして1週間後、満を持して手持ちのレコードを持っていって、「これをかけてください。僕のものまねを見てもらいたいんです」とお願いしたんです。

大人相手に披露したものまねの反響は、いかがでしたか?

コロッケ
曲が流れて、僕が桜田淳子さんの「顔」になった途端、お店にいたお客さん全員の視線が僕のほうに向いて、ありがたいことに大爆笑が起こりました。

持参したレコードを全部、かけてもらってものまねをやり終えたときは、僕の前に飲み物やらチャーハンやら唐揚げやらが次々と並んでいました。店を出るときに「お勘定は?」と聞くと、「お代はいいから。そのかわり、また来て、ものまねをやってね」と言われたんです。

それは、僕のものまねが大人たちにも認めてもらえるということを初めて知った瞬間でした。その結果、高校生なのに熊本の夜の繁華街で一晩で2~3軒の店を掛け持ちする「アマチュアものまね芸人」としての活動が始まるんです。

このインタビューは2023年2月3日、東京都・日本橋蛎殻町の水天宮の「節分祭」の場を借りて行われた。

ショックを受けたひとこと、
「似ているんだけど、おもしろくないね」

熊本で実力を評価されたコロッケさんはその後、東京のラジオ局でものまねを披露するというビッグチャンスを手にします。どんなシチュエーションだったんですか?

コロッケ
TBSラジオの「赤塚不二夫のギャグラジオ」という番組で、赤塚さんをはじめ、タモリさん、所ジョージさんが出演するすごい番組でした。その収録後、僕のものまねを皆さんが見てくれることになったんです。

「熊本から来ました、滝川広志です。ものまねやります」と挨拶して、得意の野口五郎さん、西城秀樹さん、山口百恵さんのものまねを立て続けにやりました。

すべてをやり終えたとき、3人が口々に感想を言ってくれました。半分、放心状態でしたから、その内容はよく覚えていないんだけど、「似ているんだけど、おもしろくないね」という言葉は心にグサリと刺さりました。

真剣にアドバイスしてくれたんですね。しかし、言われたほうはショックだったんじゃないですか?

コロッケ
ショックというより、「そうなんだ。東京で認められるには、もっと芸を磨かなきゃいけないんだな」と冷静に受けとめている自分もいました。

高校を卒業してからの僕は、毎晩のようにスナック営業をしていて、知り合いの紹介で就職したデザイン会社でもウトウト居眠りばかりしていたせいで3カ月でクビになる始末。

もう後戻りができないような状態で、ものまねの腕をもっと磨いて、それを自分の仕事にするしかないと思ってましたから。

そんな気持ちで熊本に戻って、スナック営業に臨んでいたある日のこと、音響を頼んでいた従業員さんが野口五郎さんの「真夏の夜の夢」のレコードの回転数を間違えたんです。33回転のLPレコードを、シングルレコードの45回転でかけちゃったんですね。

すごい早回しの音楽が流れてきて、お客さんの前で「止めて」とも言えず、とっさの反射神経で音に動きを合わせて高速度ものまねをしたんです。

すると、お客さんは大爆笑。ドッとウケたんです。
そうか、赤塚さんたちが言っていた「似てるけどおもしろくない」って、そういうことだったのかと、大きな気づきを得ることができた体験でした。

映画『燃えよドラゴン』のサウンドトラックをBGMにして、ブルース・リーが沸騰したヤカンをさわりながら「アチャ、アチャ、アチョ~!」と怪鳥音を叫ぶネタも、このころできたものです。

この気づきがなかったら、その後、リベンジ上京をして、1980年に「お笑いスター誕生!!」(日本テレビ系)でテレビデビューすることはなかったでしょうね。それは、間違いないと思います。

誰かの人生の1ページに
僕の名前を書いてもらいたい

ところで、今まで疑問に思っていたんですが、コロッケさんのものまねの基本は形態模写ですよね。でも、テレビや舞台などで見るものまねの多くは、歌い手さんの声まねをする声帯模写です。2000年代後半になって、やっと「エアあやや」のはるな愛さんや、「ビヨンセものまね」の渡辺直美さんなどのフォロワーが登場しますが、コロッケさんのその独特なスタイルはどのようにして生まれたのでしょう?

コロッケ
少年時代、僕が家のなかで姉と一緒にものまね遊びをしていたころ、「象印スターものまね大合戦」(テレビ朝日系)という番組でピーター(池畑慎之介)さんが、ちあきなおみさんの顔まねをしているのを見たんです。

それが、すごくおもしろかったので、自分にもできないだろうかと試行錯誤してできあがったのが、僕のものまね。だから、ピーターさんは、僕の唯一の師匠であり、ルーツと言える人なんです。

ものまねというジャンルにおいて、形態模写と声帯模写の違いは何でしょう?

コロッケ
ものまねには、ふたつのスタイルがあると仮定してみましょう。

ひとつは、歌唱力のスキルを磨いて、ものまねの対象となる人に限りなく近づこうとする求道的なスタイル。

もうひとつは、「似る」よりも、目の前のお客さんを「楽しませる」ということを重視するエンターテインメントなスタイル。

前者をコピー派と表現するならば、後者はパロディ派と言うことができるでしょう。僕が目指したのは、もちろん、パロディ派でした。

ただ、その結果としてコロッケさんのものまねは、真似をされる本人やファンの人たちから反感を買ってしまうこともありますよね。

コロッケ
残念なことに、おっしゃる通りなんだけど、それが自分のスタイルなんだと思って受け入れています。なぜなら、僕を評価してくれるのは、本人やファンの人たちではなくて、目の前のお客さんだから。

僕が心から幸せになれるのは、「結婚して何十年も経つけど、この間、コロッケさんのショーを見に行って、主人がこんなに笑う人なんだって初めて知りました」なんてお客さんの声を聞いたとき。

こんな話を聞いたこともあります。
「ひどい夫婦ゲンカをして、あと一歩のところでどちらかが死ぬんじゃないかというところまで行ったんです。そのときちょうど、テレビでコロッケさんが松山千春さんのものまねをしているのが映っていて、ふたり一緒に『プッ』と笑ってしまったんです。その瞬間、いがみ合っているのがバカバカしくなって、ケンカをやめました」

そんなふうに、人生の1ページに僕の名前を書いてくれたんだなぁと思うと、「これまでやってきたよかった」と心から思えるんです。

僕を支えてくれた母の言葉、
「あおいくま」

1985年、フジテレビの「ものまね王座決定戦」の放送が開始され、コロッケさんは清水アキラさん、ビジー・フォーさん、栗田貫一さんとともに「ものまね四天王」として大活躍します。コロッケさんにとってこの番組は、どんな存在でしたか?

コロッケ
漫才ブームの勢いを引き継ぐようにして、ものまねブームを起こした番組です。視聴率も20%以上が当たり前で、ときには35%を超えるようなゴールデンタイムの人気番組ですから、スナックまわりをしていた僕にとっては夢のような舞台でした。

ですから当然、番組に出演するには圧倒的にウケるネタを要求されました。
ネタ見せの場では「つまんねぇんだよ。バカヤロー!」と怒号が飛ぶような厳しさです。

ライバルを蹴落として勝ち進んでいくには、「このネタなら行ける」と自信を持ってやれるネタを1回の放送で4本、年に4回だから計16本も作っていかなければなりません。

幸いなことに僕は1回戦で負けるようなことはなかったけど、なかなか優勝できずに苦しみました。

やっとのことで優勝できたのは、2年後の1987年のこと。
衣装代でふくらんだ丸井のクレジットカードの借金を返せるんだと思うとホッとしたし、家出同然で上京して心配をかけた母にも優勝したことを報告できることにも感謝しました。

でも、その一方で、不安もありました。目標を達成した今、次に何をやればいいのか、わからなくなってしまうのではないかと。

「燃えつき症候群」のようなものでしょうか?

コロッケ
そうかもしれません。

このとき、頭に浮かんできたのが母の言葉でした。
「あせるな おこるな いばるな くさるな まれるな」という言葉です。

女手ひとつで姉と僕を育ててくれた母は、決して裕福と言えない生活のなかで、いつも明るく元気に暮らすすべを持っている人でした。
そんな母が、黄ばんだ紙に縦書きにしたその言葉を台所の柱に貼りつけていたんです。
こんなふうに。

コロッケ
いちばん上の文字だけ、右から左に読むと「あおいくま」と読めますよね。
小さいころは意味がわからなかったけど、上京して芸能界への道を模索していたころの僕の心には強く響きました。

あせったところで何も始まらない。今できることを精いっぱいやろうと、「あせるな、あせるな」と、自分に言い聞かせました。

念願の優勝を果たしたあとの僕には特に、「まけるな」という言葉が心に響きました。

優勝する前は、この言葉を励みにライバルたちとしのぎを削ってきました。
「負けるもんか、あの人よりもっとおもしろいネタを考えてやる」と。
でも、その先に目標を失う空虚感しかなかったら、それ以上は頑張れない。

ならば、「あの人に負けるな」じゃなくて、「自分に負けるな」ということを目標にすべきだったんじゃないかと、初めて気づいたんです。

すごい発想の転換ですね。意味が正反対になってしまう……。

コロッケ
ですからその瞬間、大げさではなく、目の前の景色がガラッと変わって見えました。

「自分に負けるな」という方向に道が開けたことで、僕にはまだまだ頑張らなきゃならないことがたくさんある。道はまだまだ遠くて長い。そう思えたことは僕の救いになりました。

ある日突然、
スケジュール帳がまっ白に!

「自分に負けるな」の道の延長線上には、いくつもの試練があったと思います。「あおいくま」の言葉はそのとき、どんなふうにコロッケさんを支えてくれましたか?

コロッケ
最初にやってきた試練は、1992年に「ものまね王座決定戦」を降板したときです。

人気が最高潮に達しているときだったから、真っ黒だったスケジュール帳がまっ白になったショックは大きかったです。まるで、オセロの駒がひっくり返ったかのようでした。

このときは、「あせるな」、「くさるな」とよく口にしていました。
道はまだまだ遠く、長い。ならば、立ち止まるのではなく、空いた時間を有効に使って力を蓄えておくべき。
そう考えて、僕はそれまでやってきたネタを捨てることから始めました。
美川憲一さんや野口五郎さん、森進一さん、五木ひろしさんなどのネタも、次にやるときはこれまでと違う形でやろうと心に決めて。

僕のものまねは、形態模写から始まったけど、途中から声帯模写も取り入れていましたが、ボイストレーニングにもさらに時間を費やすようにしました。以前は「こんな高い声、僕には無理かなぁ」とあきらめていた部分の練習を重ねて、フルコーラスを歌えるようにしたり。

ヒップホップダンスや日本舞踊なども練習に取り入れて、体をフルにつかったものまねにも挑戦しました。

五木ひろしさんの「ロボットバージョン」は、そうした試行錯誤のなかから生まれたのですね?

コロッケ
その通りです。この時期は、いろんな作品を鑑賞するようにしていて、映画「ロボコップ」を観たときにアイデアが湧いてきたんです。

「ジュラシック・パーク」を観たときには、森進一さんのものまねを、恐竜バージョンにすることを思いつきました。

バージョンアップすることで、新しい笑いが生まれたわけですね。コロッケさんはその後、アメリカ・ラスベガスをはじめ、全米各地、中国、韓国、オーストラリアでの公演を成功させますが、この時期の研鑚なくしてあり得なかったことでしょうね?

コロッケ
それは、間違いないと思います。

海外公演は、「自分のものまねが日本人以外の人にも通用するのか?」という挑戦でしたから、ショーの3分の1は新ネタを入れました。ガンズ・アンド・ローゼズやエルビス・プレスリー、レッド・ツェッペリンなど、海外の人にも通じるネタです。

どこでもウケたのは、ドナルド・ダックのものまね。ディズニーのブランド力はすごいですね。それから、マイケル・ジャクソンのものまねもウケました。日本人がムーンウォークをするのが珍しいみたいで、「ウォー!」と盛りあがってくれるんです。

いずれも、「あせるな くさるな (自分に)まけるな」と言い聞かせて努力してきたことの成果だと思うと、感慨深かったですね。

新しいことへの挑戦って、
いつもワクワクするよね

ところで、コロッケさんは1994年以降、フジテレビから日本テレビに活動の場を移して「ものまねバトル」、「ものまねグランプリ」に出演していますが、2022年10月25日放送の「コロッケラストパフォーマンス」で、番組からの卒業宣言をしています。どんないきさつがあったのですか?

コロッケ
「コロッケ引退宣言」みたいに受けとられて、ネットニュースなどで騒がれてしまったみたいだけど、ものまね自体を辞めるわけではないんですよ。

僕も2020年で芸歴40周年をむかえて、今年の3月で63歳になる身です。
数年前から審査員の人たちから「審査しづらい」という声を聞いていたし、引き際というものをどうするかを考えていたんです。まわりの人に気を遣わせて、いつまでも第一線にしがみつくどうなのかなぁと。

そこで、番組からの卒業とともに、これからは「若手の育成」を大きなテーマにしていくことを発表させていただきました。

尊敬する志村けんさんとよく話していたことなんだけど、昔はヴォードヴィリアンと呼ばれる人たちがいて、お芝居ができるだけではなく、ダンスや音楽もこなせるのが当たり前だったけど、今はそういう人材がほとんどいなくなってしまった。ならば、僕がアカデミーという場を設けることによって、今の若手の人たちに道を作ってあげたいと思っているんです。

僕自身がデビュー以来、ずっと我流でやってきたので、かなりの遠回りをしてしまったという思いもあります。

例えば、美空ひばりさんのものまねをする人はたくさんいますが、ひばりさんが歌うときの動きは日本舞踊がベースになっていて、そういうことを基礎から学んでいる人は少ないです。それから、BTSのものまねをするならストリートダンスのスキルは必須で、上辺の形を似せるだけでは完成度は高くなりません。

ですから、そういう芸の基礎となる部分を学べる場を若手につなげていきたいという思いがあるんです。まだ、スタートラインに立ったばかりなので、具体的にどうやっていくのかは未知数ですけど、人生の新しいテーマを見つけることができて、今はワクワクしています。

興味深いお話、ありがとうございます。後編のインタビューでは、ものまね以外での俳優としての活動について、東日本大震災や熊本地震でのボランティア活動などについて、話をおうかがいしていきたいと思います。

後編記事はこちら→ コロッケに聞く!【後編】僕を元気にしてくれる言葉、それは「相手が一番、自分は二番」

 

明治座創業150周年記念前月祭
『大逆転!─大江戸桜誉賑(かーにばる)』

明治座創業150周年記念前月祭 『大逆転!─大江戸桜誉賑(かーにばる)』ポスター

明治時代からの長い歴史を持つお芝居の殿堂、
明治座が創業150周年記念前月祭として
『大逆転! 大江戸桜誉賑(かーにばる)』を上演します。

お江戸はサンバのリズムで大騒ぎ!?
物語は江戸を舞台に、殿様と傘職人という立場の違う二組の夫婦が
入れ替わって巻き起こるドタバタ大騒動を軸に、
笑いあり!涙あり!なんでもあり!な、エンターテインメント時代劇をお贈りします。

負けず嫌いで意地っ張りな殿様・亀井御門守(松平健)と、
裏長屋に住む傘屋の万吉(コロッケ)が大喧嘩。
お互い「できるものならやってみろ!」と、殿様は傘屋、傘屋は殿様と入れ替わることに。
そんな中、万吉の女房・お玉(久本雅美)は、御門守の息子で今は勘当され浪人となっている秀宗(荒木宏文)に一目ぼれ!?
奥方付きの女中・おはる(田島芽瑠)は振り回されながらも一生懸命、お玉の世話をするが……。
一方、早々に長屋の住人と打ち解けた殿様の奥方であるお琴の方(檀れい)には、誰にも言えない秘密があって――。

  • 出演
    松平 健 コロッケ 久本雅美 檀 れい
    荒木宏文 / 田島芽瑠 / 丹羽貞仁 真砂京之介 / 上川周作
  • 脚本・演出
    細川徹
  • 上演日程
    2023 年 3 月 4 日(土)~3 月 28 日(火)
    明治座 東京都中央区日本橋浜町2丁目31番1号
  • 公式ホームページ

取材・文=内藤孝宏(ボブ内藤)
撮影=松谷祐増(TFK)

※掲載の内容は、記事公開時点のものです。情報に誤りがあればご報告ください。
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