かっこよい人

世界中の子どもたちの笑顔に魅せられたフォトグラファー・北川孝次さん

今までの巡った国は100カ国を越えているというフォトグラファーの北川孝次さん。カレンダーの撮影で訪れたタヒチで出会った子どもの笑顔に魅せられ、以来、50カ国以上の子どもたちの笑顔の写真を撮り続けている。現在、大阪市内から大阪府の緑豊かな富田林市にスタジオを移し、富田林の人たちと交流を続けながら写真の展示や講演を精力的に行っている。笑顔で話しかければ笑顔が返ってくるという北川さんに、世界の子どもたちへの思いを語ってもらった。

北川孝次(きたがわ・こうじ)
1944年、旧満州に生まれる。大阪写真工房で市橋和男氏に指示した後、1967年アドスタジオの写真部を設立。主にコマーシャル写真に従事する。40歳で独立し、フリーカメラマンとなってからは、年間半年は海外取材におもむき、世界中の風景写真、動物写真などを撮影。45歳から世界各国の子どもたちの笑顔を撮り始め、現在に至る。今までに巡った国は100カ国以上に及ぶ。日本写真家協会会員
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笑顔を見せれば笑顔が返ってくる

まだプロのカメラマンが少なかった1960年代に写真の世界に飛び込んだ北川孝次さん。今までに巡った海外は100カ国以上という。世界中の子どもたちの笑顔を撮り続けている北川さんに、そのきっかけを聞いた。

北川
元々、海外の風景写真を撮る仕事が多かったんですが、45歳のときにタヒチに行ったんです。タヒチで島から島へ向かう空港でね、嬉しそうにはしゃいでいる子どもに出会ったんです。そばで両親が見守っていて、なんともいえない幸せな気持ちになったんです。「これはおもしろいなぁ」って思ったのがきっかけになりました。ここから今まで使っていた大きなカメラを手放して35㎜のカメラに変えて笑顔の写真ばかり撮るようになりました。

それまでは、どんな写真を撮っていたんですか?

北川
いろいろですよ。家電や広告用の商品撮影もしましたし、海外の観光名所や動物も撮ってました。タヒチの空港で子どもに出会ったときは、まだ、フィルムしかない時代でカメラも「4×5インチ」の大型のもので撮影に行ってたんです。

タヒチでの出会いがきっかけで、世界の子どもの写真を撮る旅に出ることになったんですね。奥さんは何もおっしゃらなかったんですか?

北川
いつ帰ってくるかわからないのが当たり前になってました。

笑顔の撮影のスタートは、どこの国に行かれたんですか?

北川
最初は、ミャンマーです。知らない国に行きたかったんで。初ミャンマーでした。どこに行くにも身体検査をされました。今は、もっとひどいかもしれません。その次は、ブータンに行きました。ここは知人がいないと簡単にはいけないんです。

子どもはなかなかすぐに笑ってくれない気がしますが、どうやって子どもの笑顔の瞬間を撮影したのでしょうか?

北川
簡単に笑ってくれる道具があるんです。これですよ。

そう言いながら、北川さんは、ストローになにやら細工をし始め、竹トンボのようなものを慣れた手つきで作ってくれた。

北川
ほら・・・(みごとにストロートンボは宙を舞った)。こうやって飛ばしたら、どんな国の子どもでも「わ~」となって、喜んで寄ってきてくれるんです。子どもだけでなく、町中の人が来てくれて「うちに遊びにおいで」て。酒をおごってくれたりね。アフリカではヤシ酒でした。飲め、飲めって。そんなに言葉もいらないんです。どの国に行くときも一番先に「こんにちは」「ありがとう」を覚えていくんです。それと「写真を撮らせてもらっていいですか」は、世界各国語で言えます。スペイン語だと「déjame tomar una foto」。

実は、このストローと紙で作った「ストロートンボ」は、日本笑い学会で教えてもらったそうだ。北川さんが撮影した子ども達の笑顔は、無邪気な曇りのない笑顔である。見ているこちらも自然に顔がほころぶ。笑顔を撮るコツは他にもあるような気がして聞いてみると・・・

北川
こっちの笑顔が大切ですね。笑顔を向ければたいてい笑顔になってくれます。自分が笑っていないと相手も笑ってくれない。

笑顔を引き出す秘訣は、笑顔だった。

予定を立てず、どこへ行くのかわからない旅がおもしろい

笑顔の写真を見せてもらいながら話を聞いていると、次から次へと、実にさまざま国の話が飛び出した。

北川
キューバはね、レンタカーを借りたんです。地図を探したんですが本屋もないので手に入らなかったんで、どこへ行くかあまりわからないままスタートしました。ヒッチハイクの学生の女の子が手をあげるんで、乗せてあげるでしょ、で、女の子が降りたら、すぐにまた乗ってくるんです。前に1人、後ろに3人、僕を入れて5人。すぐに満席になるんですよ。バス停で待っていたおばあさんを乗せたら、道を教えてくれるし、チップまでくれたりね。バスはめったに来ないですから、みなさん喜ぶんです。それで、一番いい民宿を教えてもらって助かりました。どこへ行くのかわからないのがおもしろいから行き先を決めないんです。ガンビアの人は踊りだしたら止まらない。みんなすぐ踊るんです。ナミビアは暑かったねえ。ロシアは民宿に泊まるとウォッカが出てきてね。ウォッカがなくなったら、「旦那、買ってきますわ」って、わざわざ買いに行ってくれる。-20度ですから、ビールは凍ってしまうから飲まないです。家の中に入れてもらったりすることも多かったですね。みんなお酒を飲むしね。お酒は断らない。

どこの国もお酒の話が必ず登場する。お酒はコミュニケーションのひとつにもなっていたようだ。

キューバのさとうきび畑で出会った男の子
ロシアで出会った赤ちゃん

マラリア4回、足裏に卵を産むダニ、そして、ツツガムシ病で死にかける

いろんな国に行かれていますが、体調とか壊されたりしなかったんですか?

北川
水や食事で体調は壊さなかったのは親に感謝です。アフリカで3回、パプアニューギニアで1回マラリアにかかりました。アフリカで足の裏にダニに卵を生まれたこともありました。これは長いこと痛かった。ケニアではマラリアだと思っていたらツツガムシ病だったんです。最初は原因がわからなくて、マラリヤの薬は効かないし、もう痛くて、痛くて。熱も出て1週間以上、入院しました。

アフリカ縦断も経験したそうだが、ツツガムシ病のときは死の恐怖もあったそうだ。そんな目にあって、もう、アフリカには行きたくないとは思わなかったんですか?

北川
それが思わへん。初めてアフリカに行ったのは1999年で、高校生の息子も一緒に連れて行きました。息子も写真の道に進んでいるんですが、今でもアフリカに行きたがっているねえ。ケニアを回る1年間使えるオープンチケットを取ったりしましたよ。今でもアフリカには一番行きたいです。人が、魅力的なんです。アフリカのいろんな国に行きましたが、どこもよかったねえ。

ケニアのスラムの住民たちが力を合わせて作った寺子屋

風景写真だけでなく、動物の写真も数多く手がけている北川さんにカナダの流氷にいるアザラシの赤ちゃんの写真を見せてもらった。ヘリコプターで流氷に降り立ち、撮影したそうだ。アザラシの赤ちゃんはどう見ても笑っているように見えた。笑ってる?そんな訳ないですよね。

タテゴトアザラシの赤ちゃん

北川
これは、笑っているんじゃなくて目をつぶっているところなんです。アザラシはグリーンランド(北極圏)から流氷に乗って子どもを産むために1000キロの旅をしてカナダの「マドレーヌ島」に集まってくるんです。温暖化問題はアザラシにも深刻です。

目を開けたところ

このときは、本当はキューバへ行くのが主目的だったそうだが、空路がカナダ経由だったため、このチャンスを逃がすまいと、赤ちゃんを生みに来る時期に合わせて予定を立てたのだ。寄り道する場所が流氷の上とは、すさまじい行動力だ。

一番好きな国は人種差別が全くない国、キューバ

行ったことのない国に積極的に出向いたり、アフリカでは様々な部族の子どもたちの笑顔を撮影してきた北川さん。一番、好きな国はどこなのか聞くと・・・

北川
キューバですねえ。最高ですよ。小学校へも行きましたが、白人も黒人もアジア人も一緒に机を並べててね、まったく人種差別がないんです。みんな古いアメ車に乗ってるんですよ。1950年代を中心にアメリカ車が圧倒的に多いんです。



キューバ・世界遺産の町、トリニダの小学校

子どもたちの笑顔の写真を撮るためにめぐった国は50カ国にもなった。2017年に発刊された写真集『百年先の笑顔へ』(智書房)の最初の写真展は、さだまさし氏からの依頼で「ナガサキピースミュージアム」(長崎出身のさだまさし氏の呼びかけで全国から集められた募金によって建立)で開催された。

北川
さだまさしさんとは、20年前からの付き合いなんです。写真のスライドショーで使用する音楽もさだまさしさんの曲ですが、無料で使用させてくれてます。

自然豊かな富田林市に拠点を移す

北川さんは、3年前に大阪市内にあったスタジオを大阪府富田林市に移した。きっかけは、ある女性との出会いだったそうだ。

北川
田舎で古民家とかを探していたんですよ。なかなかいいところが見つからなくてねえ。そんなとき、友人の紹介で富田林に住んでいる女性が遊びに来てくれて、無農薬、無肥料の自然農法でお米や野菜を栽培している話をしてくれたんです。面白そうだって思ってね。

自然豊かな富田林にスタジオを移転したのは、3年程前のことである。人工透析で病院に通っているという北川さんだが、とても元気そうで、好きなお酒は飲んでもいいらしい。撮影旅行は取りやめているが、撮りためた写真の見直し、作品展、講演と忙しい。世界の国々とその実情を伝えるために富田林市立川西小学校では、2つの空き教室を利用して、笑顔の写真が半永久展示されている。同小のSDGsの取り組みで「世界の国々とその実情を子どもらに伝えたい」という趣旨に北川さんも賛同したからだ。

北川
市立川西小学校の生徒達が田植え体験をしているところを撮影してあげたのが縁でした。自然栽培の畑や田んぼには、普通の農家にはあまり来ないシラサギが飛んできたりするんですよ。

撮影した子どもたちの笑顔は4万点にも及ぶ。今年の7月にはアメリカのペンシルバニア、10月にはロスアンジェルス(パサディナ)で『笑顔をありがとう』の写真展が開催されることが決まった。写真集のタイトルにもあるように百年先も世界中の笑顔が続きますように。北川さん、貴重なお話をどうもありがとうございました。

北川孝次『百年先の笑顔へ』

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  • 著者: 北川 孝次
  • 出版社:智書房
  • 発売日:2017年9月7日
  • 定価:1,222円(税込)

取材・文=湯川 真理子
写真提供=北川 孝次

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