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77歳『地面師たち』で大ブレイク 手術乗り越え波乱の人生を歩む俳優・五頭岳夫の生き様

「ライフの方が、安いので」

2024年7月、Netflixで配信されたドラマ『地面師たち』。高額な土地売買を持ちかける不動産詐欺集団を描いた本作だが、そのなかでも大きな反響を呼んだのが、このセリフだ。

地面師たちは詐欺を働く際に、地主になりすます“代役”を立て契約の場に挑むのだが、その代役の老人・佐々木丈雄を演じたのが、今回インタビューを実施した俳優・五頭岳夫である。

五頭氏が登場した一連のシーンは、SNSを中心に大バズり。ホームレス役のリアルな演技と、“ライフ爺”という愛称で注目を浴びた。

『地面師たち』をきっかけに話題になった五頭氏だが、過去には『凶悪』や『教誨師』など数えきれないほどの名作に出演している。そんな五頭氏は、そんな自身のことを「Oneday、OneScene役者」と語る。今回は、76歳で大ブレイクに至るまでの、波乱万丈な人生を聞いた。

五頭岳夫(ごずたけお)
1948年新潟県出身。GMBプロダクション所属。
舞台俳優を経て、55歳からエキストラとしてふたたび役者の世界へ。
2024年Netflixシリーズ『地面師たち』でブレイク。
目次

夢が燻り続けた青春時代

役者には、昔から憧れがあったのでしょうか?

五頭岳夫(以下、五頭)
姉たちが『明星』(集英社)や『平凡』(平凡出版・のちのマガジンハウス)という雑誌を読んでいて、そこが原点です。『新諸国物語』(NHKラジオドラマ)や『ヤン坊ニン坊トン坊』(NHKラジオ第一)なんかも好きでしたね。実家は新潟の農家だったのですが、小学生のときはテレビが置いてある家に集まって、『月光仮面』( KRテレビ・のちのTBS)や『夢で逢いましょう』(NHK)というテレビ番組を見るのも好きでした。

エンタメが昔から好きだったんですね。

五頭
ミーハーな性格でしたからね(笑)。最初は、流行歌手になるのが夢だったんです。『NHKのど自慢』にも出場したのですが、当時まだ10歳くらいの小林幸子さんが、“のど自慢荒らし”と言われるほど活躍していたんですよ。ほかにも橋幸夫、舟木一夫、西郷輝彦という、“御三家”も活躍していましたからね。歌手の道はなかなか難しかったんです。

その後高校では、演劇部に入りました。当時、市民劇場で4校の演劇部が集まって演劇祭というものを行っていたんです。そこで、新劇団の方たちに芝居のいろはを教わりました。演劇部での出会いをきっかけに役者の道に進もうと決めて、『東宝芸能学校』の願書を取り寄せたんです。でも、その願書が母に見つかって、ビリビリに破られてしまいました。

家族には、芸能の道に進むのを反対されたのですか?

五頭
うちは農家だったので、しょうがないですよね。そのころは農地改革で、商人から田んぼを買い取らなければいけなかったんです。小作人の家だし、子どもが10何人もいたので、昔から母が苦労している姿も見てきました。僕も家族の食事の用意をしたり、風呂を炊いたり、家のことを手伝っていました。だから高校時代は、ミーハーな面と生活をしっかりとしなければいけない面が混在していましたね。

その状況だと、なかなか芸能の道に行くのは難しいですね。

五頭
そうですね……。でも役者になるんだ、芸能に行くんだ、という想いがずっと頭のなかにあったんです。その後は上京し、自動車技能専門学校に通うことになりました。そのあいだもこっそり歌番組に応募していたんです(笑)。ずっと、どこかで夢が燻っていました。

そのまま自動車会社で働き4年ほど経ったころに、会社が合併することになりました。そのタイミングで、競輪選手のサポートをする会社に転職をしたんです。新しい職場では仕事が5時に終わるので、働いたあと夜間の養成所に通っていました。働きながら2年間学校に通い、卒業してからは『青年劇場』に入って本格的に舞台俳優になりました。でも、周りはどんどん辞めていきましたね。

それはなぜ?

五頭
食えないからです。お金にならない、食べられない、役者は貧乏ですからね。

五頭さんは、どのように生計を立てていたのでしょうか。

五頭
幸い車の運転ができたので、役者をしながら送迎の仕事をしていました。運転手さんも2人ほど雇って、それで生計を立てながら全国を回っていました。そうして幸運にも、20年以上役者を続けることができたんです。

挫折を機に海外逃避ーー55歳からの再出発

五頭さんは、大きな手術を経験したとお伺いしました。

五頭
39歳のときですね。熊本で公演を行っているときに、「歯がぐらつくな」と思ったんです。大学病院で診てもらったところ、歯が埋没して顎の骨が溶けていたようなんです。ですが、すでに先々の公演のスケジュールが決まっていましたからね。とりあえず悪いところだけ取り除いてもらって、41歳のとき本格的に切開手術をしました。そのとき顎に金属を入れたのですが、それがもう4回ほど割れてしまって。そのたびに切開をしたのですが、5回目でチタンを入れることになり、ようやく治療が終わりました。割れたときの破片が、いまも脳の近くに残っているんですよ。

そうなんですか!?

五頭
脳を傷つける可能性があるから触らないほうがいいと、お医者さんに言われました。それでやっと元通りになったと思ったら、次は胃がんが見つかったんです。

見つかったときには、もうステージⅢまで進行していました。2回の手術を経て胃の全摘出を行い、無事治療は終えました。そのときの手術代は兄弟が工面してくれて、もう本当に頭が上がりません。

ただ、顎の手術をしたときに「もう役者はできませんよ」とお医者さんに言われていました。その上胃がんにもなってしまって……。劇団の仲間にも「役者以外の道だってあるだろう」と言われたのですが、「役者をやった以上、役者の道から外れるなんてできねえ」という思いがあり、不貞腐れて海外に行くことにしたんです。

海外ですか?

五頭
逃避旅行みたいな感じですよね。アメリカに2か月滞在して、ニューヨークに2週間、ニューオリンズは1週間過ごしました。現地の人は陽気でね。「俺はなんでこんなちまちま悩んでいたんだろう」「ひとつ一つ計画して達成して……と生きてきたけど、自分は細かすぎたのかもしれない」と、次第に吹っ切れてきたんです。旅はすごく楽しくて、もう一度青春時代を取り戻したような気持ちになりました。

そして帰国後、地方公演を行なっている最中に母の訃報を知りました。兄弟は、僕が母と会えるまで4日間ものあいだ荼毘に付さずにドライアイスを使って対面するのを待っていてくれたんです。10人もの兄弟が私のために待っていてくれて、深い愛を感じました。

母に会えたときは「お袋、不幸にしてごめん」と、一晩中泣き腫らしました。それからは、せめてもの罪滅ぼしになればいいと思い、毎年兄弟と一緒に1泊2日の旅行をしました。それを機に、家族旅行は23年ほど我が家の恒例行事になったんです。いま1番上の姉は施設にいて、このあいだ100歳の表彰をされました。もう兄弟はみんな亡くなってしまいましたが、僕はいまでもみんなに頭が上がりません。

波乱万丈な人生で得た、77年分の“引き出し”

病気に、お母さまとのお別れ……。立て続けにいろんなことがあったんですね。

五頭
いま思えば、あのころが人生の転換期だったように感じます。それから10年間、リハビリをしながら、エキストラで役者を続けました。舞台は辞めて、映像の役者を目指したんです。でもそのときはもう55歳。どこの事務所も拾ってくれなくて、そのとき登録していたエキストラ事務所がマネジメント会社を設立するというので、頼み込んで所属俳優にしてもらったんです。

それが、現在所属しているGMBプロダクションなんですね。

五頭
そうです。「わかった、入れてやる」と言ってもらって、本当にありがたかったです。そしたら7年後、『図鑑に載っていない虫』(2007年)という映画でホームレス役を演じる機会をいただきました。そこで初めて、三木聡監督と出会ったんです。その後は『凶悪』(2013年)という作品で、生き埋めにされる島神剛志という役を演じ、白石和彌監督と出会いました。

これまで出演した作品のなかでとくに印象に残っているのは、『教誨師』(2018年)という作品です。撮影はたった2日間でしたが、会話劇が中心だったので舞台俳優のころを思い出しましたね。また、最初は上映館が『有楽町スバル座』の1館だけだったのですが、口コミが広まって最終的には50館以上で上映されたというのも、記憶に残っています。

大杉漣さんの遺作となった映画ですよね。『地面師たち』の大根仁監督との出会いは、いつごろだったのでしょうか。

五頭
『リバースエッジ 大川端探偵社』(テレビ東京)というドラマが最初の出会いです。僕は「喋楽」という中華料理屋の主人役で、ヤクザの親分の思い出の中華料理を作る、という役でした。その後は、『バクマン。』(2015年)にも出演させてもらいました。大根さんにはほかにも作品に呼んでいただいて、『地面師たち』は大根さんが監督した作品ですと5回目の出演になりますね。

 しかも『地面師たち』の佐々木丈雄という役は僕に当て書きをしていただいたみたいで、本当にありがたかったです。無事、期待にも応えられたみたいで……よかった。

あのシーンはとてつもない反響でした。

Netflix Japan 動画サムネイルより

五頭
撮影をしていたときは、ここまで反響があるとは思っていなかったんです。しかも僕が出演したのは第1話で、物語の本筋は2話からです。そこにつなぐ事例という部分だったのですが……。あまりの反響に「え、え?どういうこと?」と戸惑いました(笑)。

私も作品を拝見しましたが、かなり緊張感のあるシーンでしたね。

五頭
本人確認のために保険証などを出すシーンがあるのですが、美術さんが印鑑を用意してくれていたんです。本当は出す必要がないんですけどね。でも、この時代の人間って“印鑑”がどれほど大事なものかってわかっているじゃないですか。だから僕はアドリブで印鑑を出そうとして、綾野剛さんも「印鑑は大丈夫ですよ」とアドリブで返してくれました。そこで、少し老人のリアルさが出せたのではないかなと思ってます。

こう振り返ってみると、五頭さんの出演作品はダークな作品が多いように感じます。

五頭
ホームレスの役は多いですね。容姿でいうと、顎の骨の手術をしたのも大きいと思います。骨を取ってからはグッと痩せたので、貧相に見えるんです。でも、自分のキャラクターと役柄が合っているだけでは、印象には残らないと思いますよ。

具体的には、どんなことを意識して演じているのでしょうか。

五頭
どれだけリアリティを出せるかですね。先ほどの印鑑のくだりもそうですが、どんな人間にもその人の人生、その人のバックグラウンドがあります。僕が本編に写るのはごく一部ですが、その人の背景はどうなっているのかは絶えず考えています。普段電車に乗っているときや、通行人を見るときも、その人のバックグラウンドはどうなんだろうと想像することも多いです。

五頭さんは、ご自身のことを「Oneday、OneScene役者」と表していますが、ワンシーンで本作の世界観に入り込むのは、かなり難しいことなのではないでしょうか。

五頭
ワンシーンと言っても、自分が出演していない部分に絶対伏線があるんです。僕が演じるこの役が、どうしてそこにいるのか。そういう伏線を探していくと、次第に役の背景が見えてくるんです。どうやったらリアルさを出せるのかを、僕は生涯追求しています。

挫折でもあった手術の経験は、リアリティを出すのに活きているんですね。

五頭
そうですね。自分には生きてきた“77年分の引き出し”がありますから。その引き出しがいっぱいあればあるほど、人間は豊かになるんじゃないかなと思います。とくに役者をする上では、引き出しは持っておかないと。

改めて、役者人生を振り返ってどのように感じますか?

五頭
僕が生きてきた人生は最高だったなと思います。だって、ほかの人は僕と同じ経験は2度とできないじゃないですか。しかも役者という仕事は、やろうと思えば死ぬまでできますからね。僕にとっては運命共同体です。

そのためには、健康でいなければいけませんね(笑)。もちろん年齢もあって不足に感じることもありますよ。でも僕に残ったのは、ずっと一緒に歩いてきたこれしかないですから。

インフォメーション

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皆さまの温かいご支援を賜りましたら幸いです。

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取材・文=はるまきもえ
写真=鈴木 潤一

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