アルツハイマー病専門医の新井平伊先生に聞く!【前編】 認知症は「予防」できるのか?
医療の進歩にともない、「がんは治る病気」と言われる現代において、より恐ろしいとされる病気のひとつが認知症だ。厚生労働省が2015年に発表した新オレンジプランの推計によると、2025年には高齢者の5人に1人が認知症になるという。
そんな中、「早期診断、早期予防で認知症の患者数を半分に減らす」ことに挑戦している医師がいる。『脳寿命を延ばす』(文春新書)の著者で、東京・丸の内の「アルツクリニック東京」院長の新井平伊先生だ。
がんのように、まだ原因さえわかっていないという認知症を本当に予防することはできるのか? できるとすれば、どのようにして予防するのか? その全容を明らかにしていこう。
インタビューは前編、後編の2度に渡ってお送りします。
- 新井平伊(あらい・へいい)
1984年、順天堂大学大学院医学研究科修了。東京都精神医学総合研究所精神薬理部門主任研究員、順天堂大学医学研究科精神・行動科学教授を経て、2019年よりアルツクリニック東京院長。順天堂大学医学部名誉教授。アルツハイマー病の基礎と臨床を中心とした老年精神医学が専門。日本老年精神医学会前理事長。1999年、当時日本で唯一の「若年性アルツハイマー病専門外来」を開設。2019年、世界に先駆けてアミロイドPET検査を含む「健脳ドック」を導入した。
アルツクリニック東京
本来はアルツハイマー病より、
統合失調症の専門家になりたかった
「医師になる」という道は、多くの人が願ったとしても、そう簡単にかなえられることではないと思います。そんな中で新井先生が医師になったのは、どんな動機があったのでしょう?
新井
医師以外には、建築家とか、学校の教師に憧れたこともありましたが、最終的に医師の道に進んだのは、父が精神科医だったことが大きいと思います。
茨城県筑西市(旧下館市)の片田舎で開業していた父は、自宅の敷地内に入院施設を構えていました。
そして、そこに入院している患者さんが、幼いころの私の遊び相手だったんです。
中でも、ある統合失調症の患者さんは、私を肩車して外を散歩してくれたり、補助輪なしの自転車に乗るためのトレーニングに付き合ってくれました。両手で自転車の荷台を支えてくれて、どうにか一人で運転できるようになるまで見守ってくれたのです。
統合失調症というと、今も昔も誤解や偏見があって、理解を超えた異常な精神病というイメージを持っている人が多いかもしれません。でも、私が接した統合失調症の患者さんは、とてもやさしい人でした。むしろ、やさし過ぎるが故に悩みが多く、精神的負担から破綻をきたしてしまったのではないかと思います。
ですから、父と同じ精神科医になって、統合失調症を治療する専門医になりたいという思いは、つねに私の頭にありました。
自身の原体験から、将来の道を定めたわけですね。
新井
その通りです。ただ、順天堂大学の大学院に進み、脳の神経病理を専門とする飯塚禮二教授に師事したとき、国内留学した都立松沢病院の神経病理研究室の先生方から「今の医療技術では、統合失調症で大した論文は書けない。それより、アルツハイマー病を研究したほうがいい」というアドバイスを受けて、目標を変更したのです。
さまざまな検査技術の進歩によって、
脳の障害のメカニズムが明らかになった
神経病理学の先生方は、なぜそのようなアドバイスをされたのでしょう?
新井
医師として研究課題を決めるにあたっては、「いつ医師になったか?」という要素が重要な意味を持ちます。
あらゆる臓器の中で、脳という臓器を扱う精神医学は、レントゲンしかなかった時代はそれ以上に科学的に研究することがむずかしく、心理学や哲学など人文科学領域から研究するしかありませんでした。
それが、1970年代にCT(X線コンピュータ断層撮影)という画期的な装置が登場して、脳腫瘍や脳出血、脳梗塞などの病気の診断が容易になりました。
そのあと10年ほどして、MRI(磁気共鳴断層撮影)が出てきて、さらにはSPRCT(単一光子放射断層撮影)、PET(陽電子放出断層撮影)といった技術が次々と開発され、さらに生化学的分析法や分子生物学的手法まで進歩してきたことによって、脳を形態学・機能的および生化学的に研究することが可能になりました。
医療技術の進歩にともなって、脳のことをよく知ることができるようになったわけですね?
新井
そうです。その通りです。
そんな時代に精神科医になった私は、大変な幸運に恵まれていたと言えるでしょう。さまざまな画像検査が発達することや、ドーパミンやノルアドレナリンといった神経伝達物質をとらえることが可能になり、脳の神経細胞の障害による病気のメカニズムが解明されてきたからです。
例えば、運動機能に関わる神経系を中心に侵されるのがパーキンソン病で、生化学的にはドーパミン代謝異常です。そして、認知機能に関わる神経系が侵されるのがアルツハイマー病で、アセチルコリン代謝異常が中心です。
ただ、私が研究したいと願っていた統合失調症について言えば、神経細胞ダメージは形態学的にも生化学的にも少なく、画像技術がいくら進んだからといって、病気に至る道筋が見えにくいのです。ですから、恩師である飯塚先生はじめ、神経病理学の先生方の言葉は、非常に説得力のあるアドバイスだったわけです。
アルツハイマー病は、
100年以上前に発見されていた!?
ドイツの精神科医であるアロイス・アルツハイマー博士(1864~1915)によって、最初の症例報告が行われたのは、1906年だといいます。すでに100年以上前に知られていたというのは驚きです。
新井
そうですね。さらに驚くべきは、博士がアルツハイマー病患者の脳に「老人斑」と「神経原線維変化」という2つの重要な形態学的特徴があることを指摘していることです。現代のものと比べれば、かなり未発達だったであろう当時の顕微鏡でこれらの特徴を指摘できたというのは、大きな驚きです。
ただ、アルツハイマー病は当時の世の中で、あまり注目を集めなかったそうですね。
新井
ええ。博士が診たアルツハイマー病の患者が50代の女性でしたので、初老期の稀な病気であることや、当時は感染症などにより現代ほどに平均寿命が長くなかったため、老年期の認知症も多くなかったでしょうからね。
私は1978年に順天堂大学を卒業していますが、学部時代の教科書にも、アルツハイマー病については「初老期認知症」という項目の中にほんの数行出てくるだけで、深く学ぶ機会はありませんでした。
アルツハイマー病が注目されるようになったのは、人類の平均寿命が長くなって、高齢者の認知症が増えてきたのがきっかけです。1980年代半ばには、老人斑からアミロイドβというタンパク質が抽出されるという重要な研究成果もありました。
「老人斑」を作り出すアミロイドβは、
脳にとって単なる悪者ではない
アミロイドβとは、どんなタンパク質なんですか?
新井
アミロイドβは、もともと正常な脳にあるタンパク質です。
脳の神経細胞膜の構成成分であって、興味深いことに、脳の血管がつまる脳梗塞が起きたり、脳が損傷する脳挫傷が起こったとき、その周りに出てきて脳を保護する働きをします。
ですから、それ自体は脳にとって悪者ではないのです。
代謝が正常に行われているときは、自然な形で分解され、脳脊髄液から血液の中に出ていって排泄されます。
ところが、まだ解明されていない何らかの原因で、水溶性の性質が変異して不溶性になって分解されにくくなることがあります。すると、脳の神経細胞の周辺にとぐろを巻くようにアミロイドβが沈着し、塊となってシミのようなものを作ります。これが、約100年前にアロイス・アルツハイマー博士が発見した、「老人斑」の正体です。
「老人斑」は、どれくらいたまるとアルツハイマー病になるのですか?
新井
それは個人差もあり、現代の医療技術をもってしても、まだはっきりと分かっていません。
アミロイドβの沈着は、タウという別のタンパク質の蓄積も引き起こします。
実は、このタウタンパクも、もともと脳の神経細胞の中にあるものなんですが、やはり、代謝異常により、とぐろを巻いて神経細胞内にある線維にねじれを生じさせます。これを「神経原線維変化」といって、神経細胞の代謝にも影響を及ぼし、最終的には神経細胞が死滅して、脳を萎縮させるのです。
アルツハイマー病の症状が進行するレベルは、このタウタンパクの変化が加わってくることが関わっています。
アミロイドβを減らすことが
正しいのか、まだ明らかにされていない
アルツハイマー病のメカニズムがそこまでわかっているのに、治療法が確立していないのはなぜでしょう?
新井
アミロイドβとタウタンパクの変化が神経細胞を変性させ脳を萎縮させる。そうしたメカニズムでアルツハイマー病が起こるとする考えを「アミロイドβ仮説」といいますが、アミロイドβタンパクを除去することが本当に適切なのかという根本的に問題に加え、認知症の発症前後で知見を行っても「時すでに遅し」ということも指摘され、有効性が確認できていないからです。
ちなみに現在、アルツハイマー型とレビー小体型の認知症の薬として使われているのはアリセプトという薬ですが、これは1970年代に脳内ホルモンのアセチルコリンがアルツハイマー病によって減ることがわかったことで開発されました。
ただ、アリセプトはアセチルコリンを補充して、認知症の進行を抑制させようとするもので、良い薬であることは間違いないのですが、根本的な治療につながる薬とは言えないのです。
現在、アミロイドβ仮説に基づき、アミロイドβの発生を抑えたり、取り除いたりする新薬の登場が期待されていますが、先ほど述べたように、アミロイドβはもともと正常な物質として存在するものですから、脳内のアミロイドβを減らすことが果たして正しいのかどうかについては、今後も充分な検討が必要です。
発症を止めることはできないが、
進行を遅らせたりすることはできる
何だかお話を聞いていると、「日暮れて道遠し」の感がありますね。
新井
そうですね、でも「峠は超えて、夜明けが近い」との思いも持っていますよ。
私たちは、新しい治療薬の登場を「待つ」こと以外、やれることはないのでしょうか?
新井
もちろん、今でもやれることはあります。それは、認知症の「予防」に関することです。
認知症の予防については、次の3つの段階があります。
新井
一次予防については、未だ原因不明な病気であるし、先ほど述べたような新薬の開発に関係することなので、今の医療では完全に果たすことはできません。
でも、二次予防に関しては、生活を健康的に改善することで発症を遅らせることができます。さらに三次予防についても、発症の初期であるほど、認知機能の低下スピードをゆっくりにすることができます。
その際の重要なポイントは、いかにして「早期発見」をするかということです。
認知症の「早期発見」には、どのような方法があるのですか?
新井
現在、広く行われている脳ドックは、人間ドックのオプションとしてMRI(磁気共鳴断層撮影)が使われています。
強い地場の中で人体に電波を当て、体内の水素原子が出す微弱な電波を画像化する装置で、自覚症状のない脳梗塞や、くも膜下出血の原因となる動脈瘤、脳腫瘍、血管性認知症といった脳の病気を見つけるのに適しています。
とはいえ、そんなMRIも、認知症の原因の約7割を占めるアルツハイマー病の早期発見には役立ちません。なぜなら、脳の形態を見るMRIでは、脳の萎縮がある程度進んでからでないと、異常を見つけられないからです。
新井
こちらがMRIによる脳の水平断面画像です。左が健常者、右がアルツハイマー病患者で、脳が萎縮している様子が観察できます。
ただ、脳の萎縮がそこまで進んでしまうと、「発症を遅らせる」という二次予防が手遅れになってしまうのです。
アミロイドβをダイレクトに
観察できるアミロイドPET検査
では、どうすればアルツハイマー病を診断できるのですか?
新井
現在、アルツハイマー病診断の最終兵器にして、ゴールドスタンダードとして注目されているのが、アミロイドPETという診断方法です。
PET(陽電子放出断層撮影)は、放射線を出す製剤を体内に注射して、スキャナーで検出してコンピュータで画像化する技術で、これまでがんや炎症の病巣を調べたり、腫瘍の大きさや場所の特定をする際に用いられてきました。
そんな中、米国ピッツバーグ大学の研究チームが、脳に沈着したアミロイドβに取り込まれる性質を持つ放射性製剤を開発したのです。これによって、アミロイドβの有無をダイレクトに見ることができるようになりました。
新井
上の画像は、アミロイドPET検査による脳の断面画像です。左が健常者で、右がアルツハイマー病患者なんですが、脳に明らかなアミロイドβの沈着が見えるのがわかります。
発症を5年遅らせると、
認知症の患者数は半数に減らせる
脳に沈着したアミロイドβを直接観察するのは、どんな意味で重要なのでしょう?
新井
アミロイドβを早期に発見して、二次予防、三次予防の対処をすれば、発症を遅らせたり、進行を遅らせたりすることができます。
実は、アミロイドβは、アルツハイマー病を発症する20年も前から溜まり始めることがわかっています。70代で認知症になりやすいことから逆算すると、50代からアミロイドPET検査を受けて対処しておけば、かなりの数の認知症を減らすことができるはずです。
下の左の表は、年齢層別の認知症患者の割合を示したものです。
新井
認知症の65~69歳の患者数は、人口比で2.2%に過ぎませんが、実は65歳から5歳ごとに倍増しているんです。85歳以上だと、実に55.5%を占めます。
もし、早期発見によって発症を5年遅らせることができれば、計算上はその年齢層の患者数を半分に抑えることができることになります。上の右の表を見てわかる通り、緑色で示した増加数を、深緑色のレベルに抑えることができるのです。
2019年3月、私は順天堂大学を定年退職しましたが、そのあと、東京・丸の内に「アルツクリニック東京」を開業しました。それは、最先端のアミロイドPETを用いた「健脳ドック」によって「認知症の患者数を半分に減らす」ことをライフワークにしたかったからなのです。
興味深いお話をありがとうございます。後編では、具体的な認知症の予防の仕方について、お聞きしていくことにしましょう。
好評発売中!
新井平伊・著 『脳寿命を延ばす 認知症にならない18の方法』
- 著者:新井平伊
- 出版社:文春新書
- 発売日:2020年12月17日
- 定価:880円(税込)
脳の健康のために何かやっていますか?
肝臓の数値を気にしたり、血圧を毎日測る人がいても、脳の健康状態を意識している人は少ないはずです。脳は身体の中でももっとも大切な臓器であるのに。
近年、身体の寿命ははどんどんのびているのに、脳の寿命はのびていません。このアンバランスをどうにかしたい、ということで本書は書かれました。
著者の新井氏は順天堂大学名誉教授で、同大医学部でアルツハイマーに治療に専心してきた、脳の専門医です。脳の働きについてはまだ20%ほどしかわかっていないと言います。それほど謎の臓器なのです。
本書では、まず、その脳の謎から説き起こし、なぜ、脳が老化するかについて解説します。
その後に、本題である「脳の健康寿命」をいかにしてのばすかを詳述していきます。そのためにどうすれば良いのかを、「18の心得」としてまとめました。
「お酒はタバコよりも脳に害をなす」とか、「認知症に聞く食べ物はない」とか、けっこうショッキングな項目もありますが、ほとんどは普通の事柄です。要は、それを実行できるかどうです。
その実践編では、運動はどのようにやれば効果的であったり、睡眠と脳の関係に関しても触れます。ゲーム(トランプ、麻雀、将棋、囲碁)なども脳には良いのですが、「脳トレ」はあまり効果がないそうです。
最後に、「脳に良い食事」、「サプリメントは効くのか?」について話して、終わります。
人生が100年までの射程に入ってきたいま、これは必読の書です。