かっこよい人

俳優・長谷川初範さんが20歳の時に立てた『80歳で達成したい大きな目標』とは?

1980年代に一斉を風靡した北条司の人気漫画『CAT’S♥EYE』が舞台化され、舞台『メイジ・ザ・キャッツアイ』として2024年2月より東京・明治座で上演される。この作品は、明治座の創業150周年記念公演のファイナルとして注目を集め、怪盗三姉妹の父親役として長谷川初範さんが登場する。

テレビや映画での活躍で知られる長谷川さんが本格的に舞台に挑戦し始めたのは50歳を過ぎてからのこと。そのキャリアの途中では、持病だった喘息が悪化し2年の休養を経験している。

困難な時期を乗り越え、還暦を過ぎてなお新しいことに貪欲に挑戦する長谷川さんのパワーの源はなにか?

舞台『メイジ・ザ・キャッツアイ』の製作発表会見があったこの日、長谷川さんに今作に臨む意気込み、俳優を目指したきっかけと恩師への感謝の思い、これからやりたいこと、そして自己肯定感を保つ秘訣などを語ってもらった。

長谷川初範(はせがわ・はつのり)
1955年6月21日生まれ、北海道出身。
1977年に映画監督 今村昌平主宰の映画塾(現:日本映画大学)卒業。同年今村昌平製作の舞台『ええじゃないか』で主演に抜擢。78年テレビドラマ『飢餓海峡』でデビュー。以来、テレビ、映画、舞台と幅広く活躍を続けている。
【主な出演作】
テレビドラマ:『ウルトラマン80』(TBS)、『101回目のプロポーズ』(CX)、『太平記』(NHK) 、『純情きらり』(NHK) 、『科捜研の女』(EX)『一橋桐子の犯罪日記』(NHK) 、 『俺の話は長い』(NTV)、『夫婦が壊れるとき』(NTV) 、『100万回言えばよかった』(TBS)
映画:『南極物語』 、『TAKAMINE ~アメリカに桜を咲かせた男』 、『真白の恋』『クレイジークルーズ』(Netflix)
舞台:『双頭の鷲』 、『キューティ・ブロンド』 、『No.9-不滅の旋律』 、『ピサロ』 、『ファースト・デート』
目次

話題作! 舞台『メイジ・ザ・キャッツアイ』への出演について

舞台『メイジ・ザ・キャッツアイ』は、人気漫画『CAT’S♥EYE』の時代設定を明治に移したオリジナルストーリーとのことですが、ぜひ見どころを教えてください。

長谷川
まず脚本が非常にダイナミックで面白いです。衣装も華やかで歌やダンスや宙吊りなど多彩なエンターテイメントがこれでもか!というくらい凝縮されています。メンバーは皆さんとても明るく、藤原紀香さんを始め素晴らしい仲間たちです。劇場に足を運んでいただいたお客様が感激し、おもしろかったと思って帰っていただけるような作品にしたいですね。

明治座は幕間に特製のお弁当を楽しんだり、劇場内にお土産物屋さんがたくさんあったりと、観劇以外にも楽しい体験ができる劇場ですよね。

長谷川
家族や友人と来れば1日中楽しめますね。若い頃はどちらかというと尖った演劇に触れてきましたが、歳を重ねた今はあらためてこのような劇場で芝居をすることに喜びを感じます。私が本格的に舞台作品に出るようになったのは50歳を過ぎてからなのでまだ18年目なんです。

長谷川さんは映像作品でよく拝見していましたが、最近では舞台だけでなく、ミュージカルにも出演していますね。

長谷川
最近では『ファースト・デート』というミュージカルに出演しました。これが2本目で、ミュージカルは60歳から挑戦しました。ミュージカルはまず楽譜があって、台本があって、歌、セリフ、ダンスのすべてが含まれています。若い役者たちはすぐに覚えてこなせるけど僕はそうはいかない。年齢は上でもその場では一番新人でしたから本当に大変でした。でも本番ではちゃんとやれたのでさすがベテランと褒められました(笑) 必死でしたがそういう普段と違う場でのギリギリの緊張感が楽しいんですよ。

今度の舞台『メイジ・ザ・キャッツアイ』も、僕はけっこうやることが多いんです。でも 舞台ってお客様から拍手をいただける瞬間があるから楽しいんですよね。公演が始まったら毎日ちゃんと同じパフォーマンスができるように、アスリートみたいに食事に気を使い睡眠時間をしっかりとって体力づくりをしてます。

家業の倒産でアメリカ留学を断念。映画監督の今村昌平さんとの出会い

長谷川さんは、小学生の時に剣道の北海道代表として全国大会に出場して、高校では留学先のアメリカでレスリング部に入って活躍されていたとか。

長谷川
はい、スポーツが得意で高校を卒業したら南カリフォルニア大学に進学する予定でした。しかし家業が倒産して学費の用意ができなくなり、結局あきらめざるを得なかったんです。

そんな中、映画監督の今村昌平さんが映画学校を始めるという話を聞いて、僕は映画が好きだったので興味本位でその学校を訪れたんです。そうしたらパンフレットを受け取るカウンターの向こうに映画評論家の淀川長治さんがいて、他にも有名な監督たちがいるんですよ。「わ!本当にいる!」って驚きました。
僕は10代の頃から、吉田松陰の松下村塾のような場所で教育を受けることに憧れていました。創始者の哲学に共感し、受けに来る人たちも同じ志を持っている。そんな環境に身を置きたいと思ったんです。

しかし入学してみたら、そこは潰れたボーリング場のレーンの床にパーテーションで仕切った壁があるだけの教室でした。だけど映画を見る教室だけはちゃんと贅沢にできていて、そこで淀川長治さんがイタリア映画の監督について語る講義を毎週のように聴ける環境でした。最高の2年間でしたね。

現役で活躍してる方々に直接教わることができるなんて、映画が好きな人にはたまらない授業ですね。

長谷川
僕はもうとにかくここでの2年間でもらえるものはもらっておこう! と思って、いつも一番前に座って、前のめりになって授業に参加していました。

その後、いろんな事情で学校の経営が危なくなった時、今村プロで後に映画になる『ええじゃないか』という台本で舞台をやろうという話になりました。でも主演の藤田弓子さんの相手役だった俳優が出られなくなってしまったんです。
『ええじゃないか』は、幕末が舞台で主人公が船でアメリカに渡り民主主義を学び帰国して民衆運動を起こす話なんですが、僕はこの台本にすごくのめり込んでしまい、この主人公は自分だ! って思っちゃったんですよ。で、言ったんです「この主役は僕がやる!」って。

そうしたら、いつも一番前に座って熱心だったこともあってか、監督が「よし! お前に賭ける」と言ってくれたんです。演技は素人、でも体力だけはありあまるほどある。とにかく体を動かして、セリフを言って、2ヶ月稽古をつけていただきました。この舞台が評判になって僕は今村賞を受賞して学校を卒業したんです。

病魔を乗り越え、その後も精力的な活動を続けてこられた理由

一番最初は舞台だったんですね。その後はテレビドラマ『飢餓海峡』でデビュー、『101回目のプロポーズ』などの人気ドラマにも多数出演されましたが、喘息が悪化して仕事を休んでいた時期もあったそうですね。

長谷川
25歳の時に発症して以来、約20年間苦しい思いをしてきました。当時はまだ効果的な薬がなくて、毎年多くの人が喘息で亡くなっていたんです。
とにかく体力をつけなくてはと思って、かつてレスリングをやっていた経験からプロレスラーの佐山聡さんのトレーニングを受けることを決意しました。佐山さんは「治るよ!」と断言してくれたんです。それは僕にとって医者から「完治は難しい」と言われていた中での希望となりました。この言葉に励まされ、「病気なんてなにくそ! 」と前向きな気持ちになったんです。

それからひたすら佐山さんのメニューをこなして、走って、稽古して。その間に発作もありましたが体力をつけていたから凌げたんですね。

人生ってわかんないですよね。今は舞台に出て大きな声を出してます。だから絶望しても必ずそれを乗り越えることができるという信念が僕にはあるんです。

病魔を乗り越えてからもずっと第一線で活躍されていますが、ご自分がここまで続けてこられた理由は何だと思いますか?

長谷川
元々は芸能界に入ったというより職人の世界に入ってきたような気持ちなんですよね。俳優も職人だと思ったから。技術が身につくまで20年ぐらい掛かってしまいその間は辛かったです。実力が足りなくて逃げるように現場から帰ったこともたくさんありました。

地方出身者はやっぱりコンプレックスがあるんです。東京生まれとか誰かの二世とか子供の頃からキャリアがあるとか、そんな華やかな人たちばかりのところに入るのだから。だから名前のないエキストラでもこのシーンはどうやろうとか考えて、工夫して、もっと努力しなきゃいけない、もっと勉強しなきゃいけないって、とにかく一生懸命やるしかなかった。

基本がやはり努力家なんですね

長谷川
僕は子供の頃から剣道をやっていて北海道代表として全国大会にも出たんですけど、当時は野球が人気があって周りはみんな野球をやっていた。でも自分たちは剣道、極端なくらい剣道しかやってこなかった。だけどそれで僕らは幸せなことに全道制覇できたんです。そういう何か最後に与えてもらえるプレゼントっていうか、成功体験があったから生真面目に努力ができたんだと思います。

最終的に50歳を過ぎてからですね。コンプレックスがあっても自分は自分以上のモノではないし自分以下のモノでもないから、このままの自分で頑張ってみようと思えたのは。

人生の師匠たちから頂いた恩を返していきたい

そして50歳の時に美輪明宏さんから声をかけられて本格的に舞台に出るようになったそうですが、その時のことをお聞かせください。

長谷川
美輪明宏さんが10年おきに演じていた『双頭の鷲』というジャン・コクトーの演目があって、それをご自分の70代最後の作品としてやる時のキャストに僕を選んでくれたんです。主人公二人を死に追い詰める警察の署長という難しい役でした。それを演じきることで、シェイクスピアにも挑戦できるようになりました。

美輪さんは喘息から復帰したばかりの僕を舞台に誘ってくれました。驚きと感謝の気持ちでいっぱいです。

『双頭の鷲』に出演した時に、3階席までの観客からスタンディングオベーションが贈られて、拍手が止まらなくて、カーテンコールが10回も続いたことがありました。舞台でこんな熱狂を体験させてもらえてすごく感動しました。僕にとって美輪明宏さんとの出会いは特別で、とにかく鍛えられて、怒られて、舞台におけるさまざまな技術や知識を教えていただきました。本当に恵まれていると感じています。

自分を引き上げて鍛えてくれる師匠や先輩がいるって有り難いですね。

長谷川
森光子さんもそうです。若い頃に森光子さんと芦屋雁之助さんの舞台『おもろい女』に出演したのですが、まだ芝居が全然下手でね、でもその時森さんは「この子は一番下手だけどセンスがいいから」って言ってくれたんです。だから落ち込んだ時は「そっか、俺はセンスがいい、大丈夫だ」と、その言葉をお守りのように頼りにしていました。

デビュー作の『飢餓海峡』では半年くらいの撮影の間、主演の若山富三郎さんと山崎努さんが、毎日のように話し合う部屋に僕を呼んでくれました。まだ新人の僕に自分たちの話を聞かせるためです。

ありがたいですね。当時の自分はまだ若くて先輩方がしてくださることの意味に対して鈍感でしたが、そうした素晴らしい人たちとの出会いが僕にとっての宝物であり、その恩を返していくことが大切だと感じています。

目標は80歳でカンヌで賞を取って師匠に報告すること

師匠へ恩返しをする、長谷川さんにとって例えばそれはどのようなことでしょうか?

長谷川
北海道から出てきた田舎者の僕を面白がって拾ってくれて、この世界に出してくれた師匠たちに対する御恩をちゃんと返したい、必ず返そうと思っています。

西郷隆盛の座右の銘に「敬天愛人」という言葉があるじゃないですか。天を敬い、人を愛すること。僕の寿命も天が決めることで、一度は「もうないよ」って言われたけどこうやって生かしていただいて、50歳から舞台をやらせていただいて、それは僕が決めたことじゃないんですよね。天が決めたこと。だからそれを精一杯やって、できるだけ人に慈愛を持って生きていこうって思うんですよ。

僕はね、80歳になった時にフランスのカンヌ映画祭で、あの赤い絨毯を歩いて賞もらうって目標を20代の時に立てたんです。

20代で自分が80歳になった時の目標を立てたのですか??

長谷川
そう。例えばピアニストになる人は4〜5歳からピアノをはじめるわけです。それを18歳からやろうと思ったら必要な技術の習得まで20年以上は掛かる。そこから自分の理想の演奏ができるまでを計算するとおそらく80歳になってます。

俳優も同じです。だから僕は自分が望む演技ができるようになるまで努力して努力して、そして80歳で憧れのカンヌで賞を取るんです。そして人生が終わったら師匠の今村昌平先生のところに行って先生!僕も先生と同じカンヌで賞を取りましたよ!」って報告するんです。

そしたら先生に「それは良かった! でも俺は2個取ったぞ!」 って言われる、というオチがあるんですけどね(笑)

先生の弟子である僕らが先生と同じ賞を取って師匠孝行がしたいですね。自分のためっていうのはなかなか折れやすいけど、僕は師匠たちに対する御恩をちゃんと返したい。そう思うと頑張ることができるんです。

※ 1983年『楢山節考』、1997年『うなぎ』でカンヌ国際映画祭パルムドールを2回受賞している

絶望しない。自分を信じてまずはスタートラインに立とう!

長谷川さんは若い俳優との共演も多いと思いますが、人生の先輩として悩みの多い若い世代を励ますとしたらどんな言葉をかけますか?

長谷川
「絶望するなかれ」ですね。周りの人たちに認められなくても必ず俺はできると自分を信じることです。

それはまず言葉ありきなんです。「よくやったお前、天才だよ!最高だよ!」って自分に言ってあげていいんですよ。
僕は毎朝「おはよう!今日も絶好調!」って言うんです。絶好調って自分で言うと、そうか俺は絶好調なんだと脳が身体の器官に訴えて、本当に絶好調になるんですよ。

自分だけではなく相手にもいい言葉をかける、全ては全部自分に返ってくるんです。僕は車にも言います。「いつも最高の走りと交通安全をありがとう!」って。僕が80歳になったらカンヌで賞を取るんだって周りに言い続けているのもそれです。叶わなくても別に罪になるわけじゃないからね。

ポジティブな言葉が自分にも周りにも良い影響を与えてくれるんですね

長谷川
あとはあきらめないことですね。

僕のおじさんは若い頃、大学を辞めてプロスキーヤーになりたかったけど家族や親戚に猛反対されて諦めたんです。でも、僕が映画の専門学校へ進学したいと言った時、おじさんは「俺はあの時諦めたけどそれを未だに後悔してる。たとえダメだったとしてもやれるだけやってみたかった。」と言って応援してくれました。

僕はそれを聞いて、どんなに才能があっても行く前に反対されてヨーイドンの場所に立てなかったら、何もなかったのと同じだってことがわかったんです。

まだ何者になれるのかは分からなくても、まず自分を信じるということでしょうか。

長谷川
そう、願いはシンプルであればあるほどいいそうです。人々を喜ばせるためとか世界の人を救うためとかそういう修飾は必要なくて、あれが食べたい、あれが欲しい、みたいに原始的なほうが脳にもいいみたいです。

誰に期待されてなくても、無理だと思われていても、自分だけは自分を信じて、まずスタートの位置に立つことですね。

僕は「カンヌで賞を取る」、そこに向かうためにコツコツやってきて今68歳です。声に出して人に言い続けて、自分を信じて、今日も絶好調で。なにかいいことがあったらありがとうありがとうってね。

素敵ですね!今日はいいお話を聞かせて頂きありがとうございました。次は明治座のキャッツ・アイですが、これからも舞台にご出演されますか?

長谷川
もちろんもちろん!お客様の前に立つと、存在感っていうか、舞台って怖いくらいに自分のそれがどのくらいかわかるんです。やはり俳優は舞台を中心にしてやっていかないと駄目だなと感じます。舞台で緊張すると全身の細胞がよみがえるというか、力が出るんです。舞台の経験との相乗効果で映像でも良い仕事をしていきたいですね。

長谷川初範さんの舞台出演情報
明治座創業150周年ファイナル公演 舞台『メイジ・ザ・キャッツアイ』

舞台『メイジ・ザ・キャッツアイ』ポスター

あらすじ
時は明治。東京の夜を騒がせるのは、麗しき女泥棒・キャッツアイ。その正体は喫茶猫目を営む、来生 瞳(藤原紀香)・泪(高島礼子)・愛(剛力彩芽)の三姉妹だった。ある日喫茶猫目に、車いすの少女・栞とその執事・藤堂が現れる。外国から帰って来たばかりという二人が、喫茶猫目にやってきた目的とは…?
同じ頃、キャッツアイが盗みに入った浅草の料亭では、突如として謎の怪盗・ホークスクロウが現れる。瞳のピンチを救ったホークスクロウは意味深な発言を残して去っていく…。
ある日、栞と藤堂に招かれて足を運んだ栞の屋敷には、3姉妹が探し求めるミケール・ハインツの絵があり、あまりの偶然に驚く3姉妹。栞と藤堂の目的は一体なんなのか。ホークスクロウの正体は一体何者なのか…?

  • 公演期間:2024年2月6日(火)~3月3日(日)
  • 会場: 明治座
  • 原作:北条司『CAT’S♥EYE』
  • 脚本:岩崎う大(かもめんたる)
  • 演出・共同脚本:河原雅彦

出演:藤原紀香・ 剛力彩芽/染谷俊之 上山竜治/川久保拓司 佃井皆美 新谷姫加/長谷川初範/前田悟 松之木天辺 若井龍也 石井亜早実 吉田繭 那須沙綾 花柳のぞみ 浅野琳 佐藤マリン 廣瀬水美 大橋美優 金川希美 小泉丞/美弥るりか/高島礼子

舞台『メイジ・ザ・キャッツアイ』 – 明治座 公式サイト

文=大関 留美子
撮影=溝口 拓

※掲載の内容は、記事公開時点のものです。情報に誤りがあればご報告ください。
この記事について報告する
この記事を家族・友だちに教える