命の始まりと終わりを見つめ続けた人生。
助産師・石村あさ子
母親の精神的支えであり、生命に関わる仕事「助産師」。
今回お話をお伺いするのは、この道28年、数々の自宅出産をサポートしてきた助産師・石村あさ子さんです。
常に生死と隣り合わせの出来事を体験してきた石村さん。なぜこの道を選んだのでしょうか。多くの母親と一緒に悩みと喜びをともにしてきて、人生をどう考えているのでしょうか。石村さんだからこそ感じた想いを、お伺いしていきます。
- 石村あさ子
大学病院で看護師として勤務したのちに、助産師になる。自身の結婚・出産を経て訪問看護の仕事へ。そしてまた助産師への道に戻り、現在は江東区で「助産婦石村」を設立し、多くの自宅出産のサポートを行っている。
自分の出産を経てステップアップした、助産師の道
助産師は大きな責任が伴う仕事だと思うのですが、そもそもなぜ石村さんは助産師になろうと思ったのでしょうか?
石村
私は、助産師になる前は看護師だったんですよ。
そうだったんですね。なぜ看護師から助産師の道を進んだのでしょうか。
石村
健康な人がより健康になるような仕事がしたいと思ったんです。21歳のときに看護師になり、大学病院で5年間、看護師として働いてきました。外科や小児科などいろいろな部署を回り、いろんな患者さんの治療をサポートしてきましたが、健康な人がさらに健康になって、幸せな生活を送れるような手助けがしたいと思い始めたんです。それで、助産師に興味を持ち始めました。
石村
助産師になってからは、毎日が幸せでしたね。もちろん慣れないころは大変なこともありました。困っているお母さんにいつ呼ばれるかわからないので、夜中は出かけられないし、ときには大変なお産に立ち会うときもあります。でも、赤ちゃんが元気に成長して、その家族の方が幸せになっているのを見ることができたら、そんな大変さは吹っ飛んでしまいますね。
なかなかハードな仕事だと思いますが、それすらも乗り越えられるやりがいがあったんですね。その後、石村さんはご自身の出産を経験しているんですよね。
石村
そうですね。自分の出産、育児のタイミングで、1度専業主婦になりました。
ご自身の出産を経験してからは、助産師という仕事の捉え方に変化はありましたか?
石村
すごく変わりました! 独身のころは妊婦さんにしてもらわなきゃいけないことや、やらなきゃダメなことを1から10までお母さんに説明していたんですけど、自分の出産を経験してからは、状況に合わせてポイントを絞り、アドバイスをするようになりました。だって、ダメなときはダメだし、お母さんもすべてを完璧にこなすと疲れちゃいますもん(笑)。
出産を体験したからこそ、お母さんの気持ちがより理解できるようになったんですね。
石村
体験って大事ですよね。今は助産師として、妊娠中も楽しめるような時間をお母さんには過ごして欲しいと考えています。不安な気持ちをとにかく取り除いてあげるのが、私の仕事だと思っています。
専業主婦になってから、また助産師の道に戻ったんですか?
石村
子どもを幼稚園に通わせていたときに、幼稚園のとなりに健康センターがあったんです。そこで訪問看護の仕事を初めて、そこで出会った“ある人”をきっかけに、また助産師の道に戻りました。
自分のしたことが返ってくる、人生の輪
石村
訪問看護をしていた方の1人に、勝海舟の本妻の奥さんに育てられたお手伝いさんがいたんです。団地に住んでいて、いたって普通の方なんですけど、実はすごい方でした。普通、寝たきりになると床ずれが原因で褥瘡(じょくそう)が起きたりするんですけど、その方の体はピカピカだったんです。ご自宅に1人で住まわれている方なんですけど、毎日家族が来てくれて、お世話をしていたみたいなんです。
愛されていた方なんですね。
石村
その方は自分の子どもをとても愛情深く育てていらっしゃったそうです。娘さんにお話を聞いたら、ハイカラなお母さんだったそうで、ホットケーキを焼いてくれたのが自慢だったそうですよ。お母さんとお父さんには寂しい思いをさせられたことがなかったから、自分も寂しい思いをさせたくないと言って、いつも様子を見に来ていました。
親がどんなことを自分にしてくれていたのか覚えていたから、そうして来ていたんですね。
石村
人はこういった局面に、今までしてきたことが返ってくるんだなと感じました。訪問看護でお伺いする方はほんとうに普通の生活をしている人たちが多いんですけど、その中でも光っているものがありますよね。そうした人たちに出会い、子育ての大切さを改めて学んで、また助産師の道へと戻ったんです。
妊娠期間は、周りの家族の心の準備期間
現在石村さんは、自宅出産を中心にサポートする仕事をしているんですよね。
石村
そうですね、お産はもちろんですが、妊娠期間や出産後の悩みなどを解決する仕事もしています。むしろ私は出産前の妊娠中のケアに、1番重きを置いています。
妊娠中のケアで1番大切なことはなんだと思いますか?
石村
パートナーと、その家族の協力ですね。健診もお母さんだけではなくて、パートナーの方や上の子がいれば、その家族みんなが予定の会う日を選んでお伺いします。家族が生まれるんだという気持ちの準備を、子どもが生まれるまでにしてもらうんです。
本人だけではなくて、周りの人たちのサポートまで視野に入れているんですね。
石村
パートナーや周りの人たちも不安な気持ちになっていたら、お産ってうまくいかないんですよ。何もできないかもしれないけど、「頑張れ!」って心の中で強く想っていれば、それは必ずお母さんに伝わります。最終的にはパートナーの方が助産師になれるくらいまでにしますね(笑)。
それはすごい(笑)。それだけ周りのサポートは重要なんですね。
石村
生まれたときに、家族みんながウェルカムムードになっていて欲しいじゃないですか。昔は出産や育児に関しての講習会なんかがもっとあったんですけど、今はコロナになってそれも減ってしまっているので、私がお家にお伺いして、何かあったときに応用ができるように、いろいろアドバイスをしたりしています。
日々の生活が、局面を乗り越える力へと変わる
石村さんは助産師の道を歩んできて、人生に対してどう考えていますか?
石村
看護師、助産師、自分の出産、訪問看護を通して、私は命の始まりと終わりが見える場所にずっと立ってきました。それで感じたことは、生まれるときと死ぬとき以上の苦しみはないということです。その苦しみをどれだけ減らせるかは、日々の生活をどれだけ努力しているかなんですよね。
石村さんが考える、日々努力するとは、どういったことですか?
石村
努力と言ってもそんなに難しいことではなくて、人を傷つけないとか、悪いことはしないとか、人として当たり前のことです。その当たり前をどのくらいしてきたのかによって、出産するときや死ぬときに、どれだけの恩が返ってくるのかが決まります。そのことを、私は助産師という仕事を通して痛感しました。
石村
あとは、どんなにどん底でも希望を捨てないことが大切ですね。過酷な環境でも諦めずに幸せになった人たちを、この仕事を通してたくさん見てきました。辛いときでも、小さな幸せを感じながら善良に生きていく。そうすれば、大事な局面を乗り越えられる力になると思います。
今はコロナ禍などもあり、厳しい環境でもありますよね。
石村
もちろん今も大変な世の中ですが、歴史を辿れば戦争もあったし、今よりももっと大変なときもありました。それでも、お母さんたちが安心して子どもを産みたいと思えるような世界に少しでもなるよう、これからも頑張っていきたいです。