エンターテイナー井上順に聞く【後編】
日常に感謝と喜びを見つける生活術
インタビュー前編では、井上順さんが生まれ育った渋谷愛について、理想とするエンターテイナー像などについて語ってもらったが、後編では50代半ばで発覚した感音性難聴の話、70歳を過ぎて始めたTwitterの話などについて聞いてみよう。
年をとっても元気に生きるヒントが満載のインタビューだ!
前編記事はこちら→エンターテイナー井上順に聞く【前編】 僕は「スター」よりも「太陽」になりたい
- 井上順(いのうえ・じゅん)
1963年、16歳でザ・スパイダースに加入。「夕陽が泣いている」「バン・バン・バン」「あの時君は若かった」など多くのヒット曲でGSブームを牽引。解散後はソロ歌手として活動。テレビドラマ『ありがとう』出演のほか、『夜のヒットスタジオ』では司会を担当した。現在もドラマ、映画、舞台、テレビ番組、ラジオ、CM、ディナーショーなど多岐にわたって活躍中。
自分が難聴だとわかったときは
さすがにショックでした
順さんは50代半ばで感音性難聴になったそうですね。そのことに気づいたきっかけは?
井上
実は、難聴というのは高齢者がなるものという思い込みもあって、なかなか気づけなかったんです。
映画館に映画を見にいったとき、音が小さく感じて「この劇場はスピーカーが壊れているのかな」なんて思ったことはありましたけど。
舞台を見にいったときも、セリフが聞きとりにくくて「最近の俳優さんはお腹から声を出さないようにしているのかしら」なんて理屈をでっちあげたりして。
人から通院を薦められたのは、確か、橋田壽賀子先生の『渡る世間は鬼ばかり』の本読みをしていたときのことだったかなぁ。泉ピン子ちゃんをはじめとする5人姉妹と一緒に台本を読んでいて、舞台を見たときに感じたセリフの聞きとりづらさを感じたんです。そこで、「ねぇ、みんな。元気ないよ。もっと大きな声を出そうよ」と言ったら、「順ちゃん、おかしいよ。病院で診てもらったら」ということになってね。
お医者さんの診断は、感音性難聴。耳の奥のほうの聴神経に障害が起こるタイプの難聴です。
病気の名前がわかれば治療してもらえるんじゃないかと一瞬、希望が湧いたけど、その次に出てきた言葉が「治せない」というのでショックを受けました。
50代という若さで難聴になってしまったのは、どうしてなんでしょう?
井上
先生からは「職業病」と言われました。そう言われてみれば、思いあたる節はいくつかありました。
ほら、僕はアコースティックじゃなくて、エレキ楽器で演奏するステージに立つ機会が多かったでしょ? そうすると、大きなアンプで大音量の音を聞きながら歌うんです。楽器の音に負けじと大声を出せば、楽器のほうでも歌に負けないように大きな音を出す。最近は機材の性能がよくなって、ミキサーさんが音のバランスをとってくれるようになっているけど、当時はそんな技術はありませんでしたから知らずのうちに耳を酷使していたわけです。
それから、1日で曲を2曲覚えなきゃいけないなんてときは、ウォークマンで何度も曲を聞いて覚えるんだけど、途中で眠くなって、イヤフォンを耳に挿したまま朝まで寝ちゃったりしたこともありました。これも耳にはよくないよね。
補聴器のおかげで僕は生まれ変わった
人と会っておしゃべりするのが大好きな順さんにとって、難聴は誰にも増して辛かったことでしょうね?
井上
もちろんです。仲間たちが集まって、ワイワイ騒いでいる中、会話に入れなくなってしまったのはすごく辛かった。
「えっ、何? 今なんて言ったの?」なんて会話に割り込んでも、そうやって何度も聞き返すうちに場の雰囲気を乱してしまうからね。自然と自分からそういう場を避けるようになりました。
だけど、しばらくして「おい、順。人と会って話をするのが大好きって言ってたのは誰だよ。難聴になったくらいで人から離れていくなんて、おかしくないか?」と自問自答して、考えを改めるようになりました。
それで、お医者さんに薦められていた補聴器をつけるようになったんです。
補聴器というと、耳全体を覆うような様子を想像してしまいますが、今の順さんは着けているように見えませんね。
井上
そうです。補聴器も進化してますからね。僕が使っているのは「耳あな型」といって、耳の中にすっぽり入るくらいの小さいサイズで、しかも集音性能も高いんです。
ただ正直なところ、使ってみる前は、補聴器をつけることに抵抗感がありました。視力の低い人がメガネをかけるのと違って、補聴器をつけていると「あっ、あの人は難聴なんだな」ってことが丸わかりになってしまうから。
でも、補聴器をつけていることをコソコソと隠しながら会話をするなんて、相手に失礼じゃないですか。だから僕は、会話を始める前に「難聴で補聴器をつけています」と堂々と相手に伝えることにしました。
初めて補聴器を使ったときの感想は、いかがでしたか?
井上
それまでモノクロに見えていた景色が、パーッと色鮮やかなカラーに変わったくらいの感動でした。まるで、生まれ変わったかのような気分。
だから僕は、ハンデを克服する手段があるなら、変な思い込みを捨てて大いに活用すればいいと思ってます。薄毛が気になる人は、カツラを使えばいいし、歯が抜けたら入れ歯にすればいい。今の時代は性能のいいものが揃っているんだから、使わない手はありませんよ。恥ずかしいと引け目に感じたり、みっともないと自分を蔑んだりする必要なんて、全然ないと思う。
順さんがこうして自らの難聴を公表して、このような話をされるというのは、多くの人の励みになると思います。
Twitterを始めた理由は、ひとりでできるから
ところで、順さんは2020年4月15日からTwitterを開設しましたね。これには、どんなきっかけがあったのですか?
井上
直接のきっかけは、渋谷区の名誉区民に任命されたこと。
僕はスパイダースで芸能界デビューをしたけれど、本当の意味で全国区の芸能人になったのは、スパイダース解散後の25歳のとき、石井ふく子プロデューサーのテレビドラマ『ありがとう』に出演したときだったと思ってます。
このドラマの原作者だったのが、小説家の平岩弓枝先生。実は平岩先生は僕と同じ、渋谷生まれの渋谷育ちで、「順ちゃん、私の家からあなたが住んでいる井上馬場が見えたのよ」なんて言われるくらいのご近所さんだったの。
その平岩先生が年に1回開催される「渋谷区くみんの広場 ふるさと渋谷フェスティバル」というイベントの実行委員長をつとめてらっしゃって、あるときからその役目を僕に引き継いでくださったんです。
その大役をつとめるかたわら、渋谷区で開催されるその他のイベントに出演して応援したり、地域のゴミ拾い活動に参加したりするうち、渋谷区名誉区民という身に余る称号をいただいたわけです。
僕は古い世代の人間だから、いただきものをしたら何かお返しをしなきゃいけないと考えるんです。じゃあ、何をお返ししたらいいだろうと考えた結果、渋谷区の魅力を多くの人に伝えることかなと思って、YouTubeのチャンネルを開設しました。
最初はTwitterではなく、YouTubeだったんですね。
井上
そうそう。ところが、その矢先にやってきたのが新型コロナの感染拡大です。
YouTubeというのは、動画を撮影するだけじゃなくて、それを編集したり、サイトにアップしたりしなきゃいけないでしょ? とても僕ひとりではできない作業で、たちまち更新が滞ってしまいました。
そこで、自分なりにいろいろ調べてみたところ、Twitterなら自分ひとりでも何とかできそうだぞと、ピンと来たの。
「グッモー!」の合い言葉で始まるツイートを毎朝休まず更新して、いまや多くの人がそれを楽しみにしています。順さんが写っている写真は、誰が撮影しているのですか?
井上
渋谷の街を歩いてお薦めスポットを紹介するときは、そのへんを歩いている人に声をかけて、「写真を撮ってくれませんか?」とスマホを渡してお願いすることもあります。
僕に声をかけられた人は、「あっ、井上順だ」と気づいてくれる人も多いけど、知らない人でも気軽に「いいですよ」とシャッターを切ってくれますよ。
デジタル機器がシニアを救う
2021年7月には「渋谷区シニアデジタルデビュー大使」に任命されて、高齢者のデジタル機器利用を支援するPR活動もされていますね?
井上
僕が「自分ひとりでやるならYouTubeよりTwitter」ということを発見したように、調べてみれば今のデジタル機器でやれることの可能性は無限に見つかるんですよ。渋谷区では今、スマホを持っていない65歳以上の区民に2年間スマホを無料で貸し出しをして、区民と行政をデジタルでつなぐ実証実験をしています。
その一方、僕が個人的にその対象にしているのが朋友の加藤茶さん、みんな大好き加トちゃんです。彼は長年のガラケー派だったんだけど、45歳年下の綾菜さんの薦めもあってスマホに変えたんです。
綾菜さんもしっかり者で、そのとき「順さん、ウチの主人はせっかくのスマホを使いこなせそうにないので、LINEのメッセージでもいいので送っていただけませんか?」と僕に相談してくれて、そうか、お互いの生存確認にいいなと思って、毎日メッセージを送っているんです。
彼からはそのつど返信は返ってくるんだけど、最初のころは文字の打ち間違えで支離滅裂な返信が多かった。でも最近は、絵文字なんかも使いこなして流暢にコミュニケーションをするようになりましたよ。
SNSっていうと、僕ら世代にとっては敷居の高いものかもしれないけれど、新しいものに対する興味は世代を問わず、人類共通にあるものだから、積極的に活用すべきだと僕は思います。
何気ない習慣をひとつ一つ丁寧に
少子高齢化や核家族化などの影響で、高齢者の一人暮らしが年々増えています。一人暮らしの大ベテランの順さんに、暮らしを楽しむコツを教えていただきたいのですが?
井上
僕の家には20年くらい前に購入したゴムの木の鉢植えがあるんです。ところが購入して5年がたったころ、今の家に引っ越すことになって、業者の人と「家の中に置くにはけっこうな大きさだから、処分するしかないかな」なんて会話をした途端、それまで青々していた葉っぱがみるみるうちに茶色に変色してしまったんです。水もちゃんとやっていたのに。
あれ? これって僕の話を聞いていたからなのかな、と気づいて「ごめん、ごめん! 新しい家に連れていくから元気を出して」って言ってハグしたら、次第に元のツヤを取り戻すようになりました。まさに、壁に耳あり障子に目あり、だね。ゴムの木は2本あって、僕はそれぞれにミミちゃん(耳)、メアリーちゃん(目あり)と名づけてかわいがるようになったの。
残念ながらミミちゃんのほうは2年前に寿命で枯れてしまったけど、メアリーちゃんのほうはいまだ健在。僕は毎朝早くに目が覚めるから、葉っぱ一枚ごと裏表にスプレーで水をかけています。
出かける日は「仕事に行ってくるよ」なんて声をかけたりして。変な人みたいだけど、メアリーちゃんが家の中にいて、僕の帰りを待っていると考えるだけで気持ちが落ち着くんだよね。そんな風に、何気ない習慣をひとつ一つ丁寧にすると、日々の暮らしにうるおいが生まれます。
生活の「節目」には、お赤飯を炊くそうですね?
井上
そうそう。お正月明けの初仕事の日、新しい仕事の初日、それから年末の仕事納めの日の食卓にお赤飯があると、気持ちが引き締まるよね。別にご馳走を用意する必要はありません。お赤飯に味噌汁とお新香がついていれば、それだけで大満足。
それから初対面の人に会うときには、何かひとつ、新品のものを身につけることにしています。今日は「キネヅカ」さんに会うため、靴下と下着をストックから卸してきました。今、それを証明したいところだけど、靴下は昔のように新品のタグがついているわけでもなし、かといって、いきなり下着姿になるわけにもいかないし困るねぇ(笑)。
いつも若々しく溌剌としている順さん。最後に読者のために「年をとっても元気に生きるコツ」を教えていただけませんか?
井上
さっきメアリーちゃんの手入れとお赤飯の話をしたけど、これは「こうしなきゃいけない」と強く意識してやっているわけではありません。なぜなら、自分を縛りつけるようなルールを作ると、ストレスになるから。気分が落ち着いたり、機嫌がよくなるからそうする。あくまで「生活を楽しむ」のが大前提の「験(げん)かつぎ」です。
日常生活の必需品の買い置きも、僕にとってそんな「験かつぎ」のひとつ。
さっき言った靴下や下着だけでなく、コーヒー豆や歯磨き粉、石けん、シャンプー、電球など、引き出しにきれいに並べてストックしていると気持ちが落ち着くの。
なぜなら、天のほうにいる人がお迎えにきたとき、「こんなに買い込んじゃって、連れていくのはもったいない。使いきるまで待とうか」と思ってくれるかもしれないでしょ?
僕にとっては人生、楽しいことがまだまだたくさんあるので、お迎えはもうちょっと待って欲しいんだよね。
もちろん、生きていれば「楽しいこと」ばかりじゃなくて、「悲しいこと」、「嫌なこと」だってありますよ。でも、僕は不思議と引きずらない。
例えば、親が他界したときは悲しくて涙を流したけど、悲しさより感謝の気持ちのほうが大きかった。ガールフレンドと別れても、「すぐに次の方が現れるよ」とくよくよ悩まない。
ものは考えようなんだから、物事をいい方向に考えたほうがいいよね。だから、日常のどんな小さなことでも、感謝や喜びを感じられるように「感性をつねにオープンにしておく」こと。それが僕の唯一の健康法かな。
順さん、楽しいお話、どうもありがとうございました。
井上順 待望の初エッセイ
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グッモー! からはじまる日々のつぶやきがTwitterで老若男女に大ヒット!
エンタメ界の星・井上順が満を持して執筆する人生初のフォトエッセイ。
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人生という旅をご機嫌に楽しんで生きる井上流ジャーニー♪
軽妙な語り口で渋谷愛が炸裂する渋谷今昔リポートも収録。