かっこよい人

長田の街で「楽しい文明」をつくった鉄人|近畿タクシー(株)森崎清登さんインタビュー

神戸市内を「パン」や「スイーツ」などのテーマ別にタクシードライバーが観光案内するという「近畿タクシー」をご存じだろうか?元をたどると阪神・淡路大震災の復興活動がきっかけで生まれた事業で、発起人は森崎清登さん(近畿タクシー株式会社 代表取締役)。震災後、「観光」で復興に一役買った骨太な関西商人は、60歳を超えた今もなお現役で活躍している。森崎さんが語る、「仕事の向き合い方」や「定年後の生き方」とは?

森崎 清登(もりさききよと)
1952年(昭和27年)生まれ。神戸市長田区在住。早稲田大学法学部卒業。1986年、近畿タクシー(株)に入社し、1996年より同社代表取締役に就任。社業であるタクシーで地元長田の活性化を図るべく、数々のユニークな観光タクシーを企画。現在多数のメディアでも取り上げられている。長田区のユニバーサルデザイン研究会会長、神戸長田コンベンション協議会会長なども務める。
目次

観光とは「光を観る」と書く

森崎さんが「観光をやる!」と決意したきっかけは1995年に起こった阪神・淡路大震災だった。
森崎さんの地元である神戸・長田は激しい被害をうけ、震災から5年経ってもなかなか復興が進まず更地が多い状態だったという。

森崎さん
本当にひどい被害で、長田の街はテレビで毎日中継されていました。5年経ってもなお、建物は仮設状態だったし、地元のみんなでお客さんを呼ぼうと頑張ってもまるで効果がない。復興が進んでいる近隣の地域と自分たちを比べては落ち込んだ、苦しい5年間でした。


震災直後の長田商店街(写真提供:神戸市)

森崎さん
そんな状況でしたが落ち込んでばかりもいられないので、震災後5年目の節目に、商店街のみんなに思い切って「長田を観光の街にしたい!」と言いました。彼らの反応はというと、「こんな何もない商店街で何言ってるんや。いいかげんにせい!」と言う人が大半。疲れ果てて文句すら言えない人もいましたね。

地元民の気持ちが後ろ向きになってしまうのも無理はない状況で、森崎さんは人々の気持ちをどう「観光」に向かわせたのでしょうか?

森崎さん
観光とは「光を観る」と書きますよね。長田には素晴らしい光があると考えていたので、街の人たちにはこう伝えていました。「ここには、5年間頑張ってきたみなさんの目の輝きがあるじゃないですか。あなたたち『ご自身』が観光名所なんですよ。」

「人」が観光名所、と語る森崎さん

かくして、森崎さんは商店街の人々の協力を得て、JTBと組んで中高生の「修学旅行観光」を始動した。7つの商店街に「歓迎!〇〇中学校」という貼り紙を配り、それが貼ってある店であれば学生が飛び込んで店主にインタビューできるというものだった。

森崎さん
中学生たちは事前に震災について勉強してくるんだけど、「当時は何をしてたんですか?」とか、「なぜお店を開けているんですか?」とか、質問は案外素朴でした。そのフラットな問いに対して、店主の答えがとても良かった。

「困難を乗り越えてきた仲間みんながやっているからや。商売はお金うんぬんよりも、みんなと一緒につながることの方が大事。」と。しかも続けて「みんなが大きくなって家族を連れてくる頃にも、おじちゃん店開けてるから来てや~」なんて言っていて。
それを後ろの方で聞いていた僕が、あとから「え、ずっとお店を開けてるんですか?」と店主に尋ねると、「言ってもうた~(笑)」と、楽しそうに笑っている。

それがこの街の「取りぶん」です。自分たちが伝える言葉を発することで元気をもらったり、もう一度奮い立たされるような。それで震災後を乗り越えたという人もいます。

修学旅行観光の様子

楽しそうにやる

そんな風に長田の人々と密に関わり合いながら、近畿タクシーに入社して32年になる森崎さん。これまでどんな思いで仕事に向き合ってきたのでしょう。

森崎さん
タクシー業界の中では、たぶん僕が1番「楽しくない」と思っていました(笑)。ずっとどうやったら楽しくなるか考えていて、ある日、なんとなくボーっと名刺を眺めていたら「近畿タクシー」の「ク」の字をちょっと変えると「ノ」の字になるなと。「近畿タノシー」!ユニークでいいじゃないかと。
ずっと楽しくなくて、ずっと考えていたから思いついたんでしょうね。今となっては苦し紛れの言葉遊びでしたが、「楽しそうにやる」というのは大事です。

「楽しそうにやる」を念頭に、「近畿タノシー」の観光は立ち上がりました。コースに入っているお店や施設はグルメやレジャーどころ等多種多様あり、どのテーマにしようか迷ってしまうほどです。

(左)近畿タノシーコース(一部) (右)スイーツタノシーコース特集
(提供:近畿タクシー)

森崎さん
お店や施設のセレクト、交渉はすべて自分で行っていますが、「ありもの」を組み合わせてるだけなんです。どんな店も、自分たちで魅力的に作ろうと努力はしていますが、みんな自分じゃ「うちは観光名所です!」とは言いきれない。
そこをタクシー会社が堂々と観光名所に認定してしまうことで、店の「見え方」を変え、最後にはお客様を説得してしまう。そんな流れです。

そんな風に長田の人々と密に関わり合いながら、近畿タクシーに入社して32年になる森崎さん。これまでどんな思いで仕事に向き合ってきたのでしょう。

森崎さん
お店や施設のセレクト、交渉はすべて自分で行っていますが、「ありもの」を組み合わせてるだけなんです。どんな店も、自分たちで魅力的に作ろうと努力はしていますが、みんな自分じゃ「うちは観光名所です!」とは言いきれない。
そこをタクシー会社が堂々と観光名所に認定してしまうことで、店の「見え方」を変え、最後にはお客様を説得してしまう。そんな流れです。

「地元」と「社業」をうまく掛け合わせた観光事業ですが、気になる「取り分」はどうなのでしょうか?

森崎さん
儲けの話をすると、近畿タノシーはそこまで金の儲けはない(笑)。ただ、「人のつながりもうけ」は本当にすごいですよ。200件を超える業態と関わっているので、テーマさえあればいくつもの観光を作れます。

みんなもっとやるべきことがあるんじゃないか?

勢いを絶やすことなく、エネルギッシュに仕事に向き合っている森崎さんですが、「高齢者」という年齢に対しての見解は意外なご回答でした。

森崎さん
もう65歳になるのですが、還暦のタイミングで同級生が定年退職していくなか、「お前は死ぬまで働くのか。エラいところに頭突っ込んだな!」と言われまして。ショックでした。早く気楽になりたいと思う反面、「みんなもっとやるべきことがあるんじゃないか?」とか考えたりね。それからは半年くらい意気消沈してボーッとしてましたよ。年齢の障壁は正直今も引きずっているところがあります。

僕が同世代に言いたいのは、「年金の計算なんかする暇があったら、知恵を組み合わせてつながって、今つくることができる『文明』をつくろう。」ということ。
今の60~70代は社会的に変化の多い時代を生きてきた分、苦労してるんです。70歳が100人集まれば、密度ある7000年分の時間の集積があるわけですから、ピラミッドなんかも作れちゃうんじゃないでしょうか(笑)。

街のシンボルとなっている「鉄人28号」の等身大オブジェは、震災から15年でできたもの。森崎さんも加わり、商店街が中心となって造った。

これからも、第一人者

ずばり、森崎さんのこれからの夢を聞かせてください。

森崎さん
僕自身の夢や天分はこれから作ろうと考えていて、近畿タクシーはタクシー会社から脱皮して「タノシー業界」に転身します。「タクシー」を「タノシー」にする社長なんて、他にはいないでしょ?

長田に対しても同じで、まちづくりの代表選手と思ってやっています。地元に愛着を持っているし、何より地元密着でやってきた歴史や時間を持っていますから。これからもユニークタクシーの第一人者として、長田を楽しく盛り上げていきますよ!

阪神・淡路大震災から23年が経つ。かつて更地状態だった長田に、今では鉄人が拳を上げて力強く立ち、観光客を乗せた近畿タノシーが走っている。森崎さんと街の人たちで生み出した唯一無二の「文明」だ。
森崎さんには震災に次いで「年齢の障壁」が立ちはだかっているが、「どうやって楽しくしようか」とアイデアを語っている。そんな森崎社長の目にはまた光が輝いていて、こちらにもパワーが湧いてくるのだった。

近畿タクシー株式会社

取材=納谷 陽平
文=深澤 彩音
写真=鳥羽 剛
写真提供=近畿タクシー株式会社

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