何歳からでも挑戦して人生を楽しめる|美容研究家 小林照子さんインタビュー
『これはしない、あれはする』(サンマーク出版)という本が、若い女性たちに高く評価され、版を重ねています。著者は、今年83歳になられた小林照子さん。
日本を代表する美容研究家、メイクアップアーティストにして、働く女性の先駆者です。その素晴らしい経歴と肩書に、少し緊張しながら小林さんを訪ねたキネヅカ編集部。しかし、「こんにちは!」と満面の笑みで迎えてくれた小林さん。思わず私たちから飛び出した質問は……。
- 小林 照子
1935年生まれ。(株)コーセーにおいて長年にわたり美容について研究し、「ナチュラルメイク」を創出。そのコンセプトに基づき、多くのヒット商品を生み出す。(株)コーセー取締役・総合美容研究所所長を退任後、91年に(株)美・ファイン研究所を設立。現在は、美容の学校を設立しているほか、美容に特化した高校を東京と京都で展開し、メイクアップを軸に社会貢献を目指すジャパンメイクアップアーティストネットワーク(JMAN)など様々な活動を意欲的に行っている。
「若く見える」って褒め言葉?
本当に83歳ですか? もっとずっとお若く見えます。
小林照子さん(以下小林さん)
ははは。間違いなく83歳よ。私はL’Arc~en~Ciel (ラルク アン シエル)のhydeさんのファンで、80歳のときに知人に紹介してもらったの。私の歳を聞いた彼は「ええっ! 79歳くらいかと思いました」ですって。そのユーモアにあふれるリアクションがとても嬉しかったし、感心もしたわ。たいていの人は、私の歳を知ると、「お若いですね。ビックリしました」って言いますからね。「若く見える」と言われて喜んでいる人を見かけることがあるけれど、「それって喜ぶことなの?」と私は思うわ。
すみません。思わず「若く見える」って言っちゃいました。でも、小林先生は、とてもきれいなお肌をされていて、私が想像していた83歳とは違うと思ったんです。何か特別なお手入れをされているのでしょうか?
小林さん
ある程度年齢を重ねたら、肌を乾かさないことが大切なのよ。潤いが不足してきた肌は、ツヤを出すような化粧をすることで、シワも目立たなくなるし、厚化粧に見えなくなるわ。
「シミが気になる」という人も多いけど、自分が気にするほど、周りの人は見ていないの。私は「手鏡病」って言っているけれど、自分を「近く」でばかり見ずに、「遠く」から客観的に見ることも必要ね。
外のうっとうしい天気を吹き飛ばすようなさわやかなお召し物です。
小林さん
服は、朝起きて、その日に会う人やお天気を考えて選ぶようにしているわ。「今日はブルーと黒のストライプの服を選んだけど、襟が広く開いているから下着は同系色にしてチラッと見えてもいいかな。パンツはストライプの一色である黒にしよう。このシャツにはこのブローチと指輪の色が合っているわ」と一つひとつ組み合わせていくの。
「学芸会の花形」から美容界の第一人者へ
子どもの頃から「演劇の世界でメイクアップをしたい」という夢をお持ちだったそうですね。
小林さん
戦時中、東京から山形に疎開していたのだけれど、テレビもないし標準語も聞き慣れていないような田舎だったから、標準語が話せるかつ歌もうまかった私は、学芸会ともなれば「花形」で目立つ存在だったの。当時の名前「花形照子」(小林さんの旧姓は花形さん)がぴったりでしょう(笑)。それが「演劇の世界でメイクアップの仕事をしたい」という夢の始まりだったわ。
その後、美容学校へ入学、そして化粧品会社であるコーセーで働き始めます。
小林さん
メイクの勉強ができると思って入学した美容学校だったけれど、授業でメイクを実習したのは花嫁さんを作ったときの1回だけ。それでも「演劇の世界でメイクアップの仕事をしたい」という夢はあきらめられなかったから、化粧品会社であるコーセーに入社したの。
教育部門での採用だったけれど、現場を見るために、美容部員として地方の販売店に派遣されたのよ。お客さまをきれいにする方法を一生懸命勉強して、たくさんの技術を身に付けることができたのはこの時代があったから。きれいになってお客さまが喜んでくださる。お客さまが喜んでくださるから私はうれしい。商品が売れるからお店も会社も喜ぶ。みんなを喜ばせることができた「美容部員」は私にとって天職だと心から思えたわ。
そこから、子どもの頃からの「演劇の世界でメイクアップをしたい」という夢にどのようにつながっていったのですか?
小林さん
2年くらいたったとき、「美容部員に販売話法を教えなさい」と、本社に呼び戻されたの。でも、私はお客様にメイクすることしかできない。それなら「メイクの先生をしてみなさい」って。そのメイクが社内で評判になり、いつしか女優さんやモデルさんのメイクアップも手がける機会が増えていったの。
こう話すと、「演劇の世界」から気持ちが離れてしまったように思われるかもしれないけれど、実はこの経験がその後の「演劇の世界」へつながっていったのよ。どんなときも「演劇の世界でメイクアップをしたい」という夢は持ち続けていましたからね。
そして、小林先生の夢がかなうときがやってきました。
小林さん
青山劇場のこけら落とし、それも世界的に有名なパーカッショ二ストのツトム・ヤマシタさん演出の舞台に声がかかったの。宝塚や能、新劇などのさまざまなジャンルから、七十数人の俳優や女優、ダンサーが集まって、衣装はワダ・エミさん、すごいコラボレーションだったわね。
遠回りしているように見えても、運やご縁を大切にして、あきらめずに夢を持ち続けていれば、必ずそれは「向こうからやって来る」ことを確信したわ。もちろん、夢が天から降ってきたときに、それを受け止められる器を作る努力をしておかなくちゃならないけど。
次なる夢は「人を育てる」
コーセーでは、メイクや商品企画など、さまざまなことに挑戦されました。
小林さん
そのなかで、新たに「人を育てる」というもうひとつの夢を見つけたわ。
当時、青山劇場を始め、次々と大きな規模の劇場がオープンし、「演劇の世界」もどんどん広がっていったのね。その機運にのって、「演劇の世界でメイクができる人材を育てる学校を自分で作りたい」と、会社に辞職を申し出たの。しかし、会社がそう簡単に私を手放すはずはなく、結局、私の提案書を基にコーセーで学校を作ることになったの。
56歳のときには、コーセーを辞めて、美・ファイン研究所を立ち上げられました。
小林さん
学校は長く続けることに意味があるけれど、会社にいたらいつかは定年を迎えるでしょ。だからやっぱり、美容でビジネスをして収入を得て、そのお金で「人を育てる」学校を作ろうと思ったの。『[フロムハンド]メイクアップアカデミー』の設立は1994年、59歳のとき。美意識が高くて学校に行きづらい子どもたちが入りたいと思える高校『青山ビューティ学院高等部』をスタートさせたのは、2010年、75歳のときだったわ。『青山ビューティ学院高等部』を卒業して、『[フロムハンド]メイクアップアカデミー』に進めば、ひとりの生徒の面倒を5年間見ることもできるからね。
「世の中を変えていく人材を育てる」ことは、私の夢でありライフワークだから、家庭の事情で学費を工面できないという生徒のための奨学基金も作ったわ。もちろん、個人で援助することもできるけれど、お金を返せないことを理由に、彼らが卑屈になって学校や同窓会に顔を出せなくなってしまってはかわいそうだものね。
そして満を持して「小林照子株式会社」も立ち上げられました。
小林さん
奨学金制度を継続するために、本の印税や講演料などの受け皿となる会社を立ち上げようと思ったの。私にもしものことがあったときも、本が売れれば会社に印税が入って奨学金になる仕組みを考えたの。
もうひとつ、新たなプロジェクトを始められると聞きました。
小林さん
まだ形にはなっていないけれど、私が稼いできたお金や培ってきた知恵、技術を使って、30代の女性を対象に、これからの日本のさまざまな場面で活躍できる人材を育てサポートする『ATドリームアカデミア』という名前の場を作ろうと考えているの。日本の国を根本的に女性社会に変えていきましょうということかしら。「AT」は、日本人なら誰もが知っている歴史上の人物。ジャンヌダルクでもシンデレラでもサッチャーでもなんだかしっくり来なくて、行き着いたのが「AT」だったの。皆さんも考えてみてね。口にすると夢はかなうっていうから、楽しみだわ。
専業主婦は立派なキャリア
小林先生の著書『これはしない、あれはする』の読者は、若い女性だと聞きました。
小林さん
30代の子育てをしながら働いている女性が多いようね。私の時代より恵まれているものの、プレッシャーを感じている人が多いのも事実。華やかな格好をして子どもを預けて出かけているけれど、いつも世間の目や親の言葉を気にして心を痛めているわ。
「仕事をして、子育てして、あなたはえらいわ。一番大切なのは子どもの命。愛情を注いで子どもの心を育てること。だから、周りの目なんて気にする必要はないわ」。そう言葉をかけると、みんなほっとした表情を見せるの。「これまで誰もそんな風に言ってくれなかった」って。誰も理解してくれないと思うから孤独を感じるのね。
小林先生の言葉は、専業主婦の方も勇気づけられると思います。
小林さん
確かに、彼女たちも同じように悩んでいるわね。「私は働いたことがない」というコンプレックスを抱いている人がいるけれど、家事や育児には常に決断と行動が必要だから、これ以上のキャリアはないと思うわ。お仕事を始めたらきっとものすごい力を発揮できるはず。専業主婦だからって自分を卑下することなんてまったくないと思うの。
いくつになっても「~のために」
人生100年時代に突入したといわれていますが、お仕事以外に小林先生が勉強されていることはありますか?
小林さん
月に一度、友人と株の勉強をしているのよ。株の勉強といっても、「儲けよう」「儲かる会社に投資しよう」ではないの。例えば、女性が活躍していたり、若い社長ががんばっていたり、マイノリティーの方がイキイキと働いているような企業を応援するための投資ね。お金を儲けることだけを目的にしてしまうと、株が「上がった、下がった」ということだけに目が行ってエンドレスになってしまって、経済への影響は何ひとつ起きないでしょ。
そして若いときからずっとやりたかった彫刻は、月に2度先生に教えていただいているの。1回5時間、頭を空っぽにして無心に掘り続けていて、最近は木彫りの動物を彫っているわ。
「そんなに忙しいのに、よくそんな時間がとれるわね」と言われることもあるけれど、スケジュールは楽しいことを優先して決めるもの。仕事だけでなく、楽しい予定も書き込んでいたら、私の手帳はこんなに分厚くなっちゃったわ。
最後に、著書『これはしない、あれはする』のなかに、「未来の設計図を描く」という章があります。これから先の人生をどう生きていくのか、展開していけばいいのか悩んでいる方たちへ、メッセージをお願いします。
小林さん
60歳で定年。その後の20年は楽しんで暮らしましょう……という考えは、人生80年の時代のこと。今や、人生は100年時代を迎えているのだから、定年を迎えたあとでも、まだまだ学んだり働いたりする時間はあると思うのよ。
例えば定年まで経理の仕事をしてきたけれど、育児が楽しかったから、これから勉強してプロをめざそう。経理と育児がつながれば新しい仕事が生まれるかもしれない。そうしたら起業も考えられるわね。自分のために、お金のために、地域や社会、世界のためになど、何かの「ため」にもう一度学んで仕事を始めるの。
私に共感してくれて、『[フロムハンド]メイクアップアカデミー』に63歳で入学した人は、80歳になった今も、とても良いお仕事をしていますよ。そう、何歳からでも新しいことに挑戦できるし、人生を楽しむこともできるのね。そう考えたら、これからの人生もいくらでも楽めるでしょ。
自分の夢をかなえるために生きていらした小林先生は、歳を重ねた今、だれかの夢をかなえるために毎日を過ごしていらっしゃいます。まさに人生は循環するもの。自分の受けた恩恵は、次の世代につなげる、愛を注ぐことだと、教えていただきました。「歳をとったらほどほどに」が美徳なんて嘘。一度きりの人生、少し欲張りなくらいでいいと話す小林先生の未来はまだまだ広がっていくようです。
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