「昭和のくらし博物館」館長・小泉和子インタビュー「昭和の家事を多くの人に伝えていきたい」
ドキュメンタリー映画『スズさん~昭和の家事と家族の物語~』(2021年11月公開)は、昭和26年(1951年)に、東京・大田区に建築された木造二階建ての家が舞台。現在「昭和のくらし博物館」として、昭和の暮らし方を伝える場所として運営されています。ここの館長が小泉和子さん。ドキュメンタリー映画『スズさん~昭和の家事と家族の物語~』は、小泉さんのお話しを通して、昭和のライフスタイルと戦争を生き抜いた家族の物語を追いかけています。
特に小泉さんのお母様・スズさんが、毎日行っていた家事は、現代とは大違い。知恵を絞り、手を動かして、家族のために、掃除・洗濯・料理・裁縫をこなしていました。小泉さんは、母親が行っていた昭和の家事とくらしを後世に伝えたいと、スズさんをモデルに昭和の家事に関する記録映画を制作。その作品のことも『スズさん~』で語られています。
母親のスズさんについて、映画で熱く語る小泉さんですが、ご自身も実にパワフル! 「昭和のくらし博物館」の館長をしつつ、家具道具室内史と生活史を研究する生活史研究所を主宰など、活動をしています。そんな小泉和子さんに映画に登場する昭和の暮らしについて、そしてご自身のキャリアについてお話しを伺いました。
- 小泉和子(こいずみ・かずこ)
1933年(昭和8)、東京生まれ。昭和のくらし博物館館長。家具道具室内史と生活史を研究する生活史研究所を主宰。重要文化財建造物の家具・インテリアの復元および博物館・資料館の展示企画などを行っている。『昭和のくらし博物館』(河出書房新社)、『室内と家具の歴史』(中央公論社)、『道具が語る生活史』(朝日選書)『Traditional Japanese Furniture: A Definitive Guide』(Kodansha USA Inc)など著書多数。
昭和の家事の記録映画がカタチを変えてドキュメンタリー映画に!
ドキュメンタリ―映画『スズさん~昭和の家事と家族の物語~』では、お母様のスズさんと昭和の家事について語っていますが、小泉さんのお話しが本作のキーポイントになっています。この映画に関わるようになった経緯について教えていただけますか?
小泉和子さん(以下、小泉)
私は30年程前に亡き母(スズさん)をモデルにして『昭和の家事』という記録映画を撮りました。母の時代、誰もが当たり前にやっていた家事ですが、技術が進み、便利になり、家事を家電に頼るようになったので、昭和の家事が忘れられてしまう、何もかもわからなくなってしまうと考えたからです。
その記録映画のフィルムをずっと自宅に置いていたのですが、保存してくれる場所を探していたところ、東京大学の吉見俊哉先生が、記録映画保存センターを紹介してくださり、そこで保存してくださることになったんですね。そしたら『昭和の家事』を観た記録映画保存センターの方や、元NHKのディレクターの大墻敦さんが「貴重な映像なので、再構成して新しい映画をつくりましょう」とおっしゃったので、お任せすることにしました。
映画を拝見させていただきましたが、お母さまの人生と家族の生活について詳細にお話しされていますね。
小泉
大墻監督は、母のことだけでなく、私の幼い頃のことなども詳細にインタビューされたのですが、記録映画『昭和の家事』を新たに映画化するにあたっての補足の取材だと思っていたんですね。だから、『スズさん~昭和の家事と家族の物語~』を観たときは驚きました。
記録映画『昭和の家事』のことだけでなく、私のインタビューが当時の写真とともに、かなり尺を取って描かれていたので。想像していた映画とは違うなあと思いました。大墻監督が家事の記録をご覧になっているうちに、その背景となっている家族の物語を追求したくなったのではないでしょうか?
そうなのですね。でも小泉さんが語る、スズさんのお話しや家族のお話しも興味深く拝見しました。小泉さんが製作された記録映画ですが、昭和の家事を映像として残したいという強い気持ちがあったとはいえ、すごい行動力だと思います。
小泉
私は家具や道具の歴史を研究しているのですが、道具だけ残っていてもどう使ったのか後になるとわからなくなると思ったのです。昭和の家事についてもいくら文章で説明しても、使っているところを見せないと伝わらないと思ったのです。それで、記録映画の監督だった友人の時枝俊江さんに相談をして、『昭和の家事』を制作することになりました。母に出演してもらったのは、当時でさえすでに昭和の家事を完璧にできる方が見つからなかったからです。母は当時、80歳過ぎていましたが、まだまだ元気に家事をやっていたので、料理、掃除など、仕事別に撮影し、編集をして、映画を完成させました。
日本の家具の歴史を知りたくて、仙台と岩手へ取材旅行へ
そもそも日本の家具の歴史を研究しようと思ったのはなぜでしょう?
小泉
大学を出たのが1958年で、家具を設計する会社に入ったのです。当時は、戦後、何もかも焼けてしまったので、みんな何でもいいから家具が欲しかったんですね。そのときに流行ったのがフラッシュ構造という、木で枠を組み両側に板を貼った家具。大量生産でコストを安く出来るので人気があったんです。でも安っぽくって、もっといい家具はないのかと思っていました。たまたま駒場にある日本民藝館へ行ったところ、面白いデザインの古い箪笥があったのです。民藝館の方に聞いてみたら、仙台でまだ扱っているところがあるかもしれないと教えてくださったのです。さっそく仙台へ箪笥を求めて行ったのですが、残念ながらもうあまり作っていないと。でも、そのとき知り合った職人の方から、岩手県の岩谷堂のタンスを教えていただき、今度は岩手の岩谷堂へ行きました。そこでは箪笥の金具を作る人と知り合ったのですが、やはりここでも昔の家具は需要がないと言われました。でも、古い仙台箪笥も岩谷堂箪笥も面白いし、そこでお会いした職人さんに惹かれて、調べ始めたんです。
ものすごいバイタリティと取材力!
小泉
そうやって古い家具について調べていたら、ご近所に住む明治大学の歴史の先生に学会を勧められたんです。論文を書いて提出したら認めていただけて、学会に入りました。学会で出した本に論文が掲載されたことがきっかけで、東京大学の建築史研究所の研究生になったのです。日本には本格的な家具史の研究がなかったので、建築史の研究方法を学んで参考にしようと考えたのです。
それらの勉強と研究が、その後のお仕事に繋がっていったのですか。
小泉
そうですね。70年代はずっと建築史や家具史の研究をしていましたが、80年代になると、それが仕事に繋がっていきました。大学の非常勤講師をやったり、原稿を執筆したりしていたら、昭和の家具や建築物に関する仕事を頼まれるようになっていったのです。
お仕事の幅が広がっていったのですね。
小泉
いちばん大きな仕事は、重要指定文化財になった建築物の修繕や復元の仕事です。当時、日本の日本家屋やお寺や神社について詳しい人はいたけれど、西洋館の内部や家具について詳しい人はいなかったのです。私は、日本の家具だけでなく、西洋家具についても研究していたので声がかかりました。
北海道から九州まで、多くの重要文化財の修繕と復元の仕事に関わりましたね。そのあと、文化庁の文化財審議委員会で建造物の担当として長く専門委員をやり、登録文化財の審議にも関わってきました。
昭和のくらし博物館の家は、画期的なデザインだった
「日本の古い家具が好き」という気持ちでスタートされたことが、国の重要文化財に関わる仕事へと発展していくなんて、ものすごいキャリアですね。その後、ご実家を「昭和のくらし博物館」としてオープンさせたのですか。
小泉
戦後、日本の家もどんどん変わっていき、古くてもいい家があるのに新しく立て替えてしまうことを残念に思っていました。でも人様の家ですから、私があれこれ言う権利はない。でも自分が暮らしてきた実家は残すことができます。いま「昭和のくらし博物館」になった家は、小さな家ですが、戦後の庶民住宅としては資料的価値があるのです。
戦後、何もかも焼けて家がないという人のために、1950年に日本政府が住宅金融公庫をいう制度を作り、貸付を行ったんです(2007年に廃止。現在は独立行政法人住宅金融支援機構)。都庁の建築技師をしていた父はその審査をやっていました。この制度に詳しく、規則に沿った設計で我が家も建てたんです。
映画『スズさん』で、小泉さんはその家で取材を受けていますよね。
小泉
この家は、当時にしては新しい間取である「居間中心型」なんです。昔の家は部屋を通って移動していたんですが、明治中期に中廊下型といって、真ん中に廊下が通っていて、日の当たる明るい南は客間、暗い北には台所や女中部屋という家になったんです。次に大正末に海外の住宅をモデルに家族が集まる居間を中心に、台所などが配置される「居間中心型」が提唱されたのですが実現には至りませんでした。実現するのは戦後です。父が設計したのはこの「居間中心型」だったのです。
うちは居間が和室の茶の間なのでリビングルームには見えないかもしれないけど、当時としては、新しい設計だったのです。それと住宅金融公庫という制度の最初期に作られた家です。その意味でもとても重要ですから残しておく必要があると思ったのです。
それで「昭和のくらし博物館」にしたんですね。
小泉
住宅は暮らしの器ですから、空き家ではだめだと考えています。だから博物館にして、昭和の家と当時の暮らしを伝えていく場所にしたのです。
家を残し、暮らしを伝え、思想を育てる、それがモットー
企画展なども積極的にやってらっしゃるようですね。
小泉
漫画家の高野文子さん、イラストレーターの南伸坊さんなどの展覧会、ワークショップもやりました。今はコロナ禍で企画展がなかなかできないけれど、今後は、昭和のくらしに関する企画展をいろいろしたいと思っています。「家を残し、暮らしを伝え、思想を育てる」それが昭和のくらし博物館のモットーです。企画展をどう作っていくかを勉強会で勉強して、そこから企画展へと発展させて、その企画展の内容を本にして出しています。
参加者それぞれが企画展のテーマについて自分の研究として調べ、深堀りしていく。書籍化されれば、その人の実績になり、仕事にも繋がりやすくなります。お金はないけど、ないなりに工夫してやっていくのが私のやり方です。
私生活では、6000歩の散歩と草花スケッチが日課
家具や道具など昭和の生活史を研究するお仕事と「昭和のくらし博物館」の館長、二つのお仕事をしっかり行われていますが、私生活でも同じようにパワフルで行動的なのですか?
小泉
私は記録魔なので、いま「老いの記録」をつけていて「外を歩いていたら、後ろから来た人に追い抜かれた」とかメモしています(笑)。衣類の記録もあって、買った服はすべて衣類カードにスケッチで残しています。下着も含めて衣類はすべて。50年前から続けているので、だいぶたまりましたね。
今は毎朝、近くの林試の森公園を6000歩、歩くのを習慣にしていて、歩きながら見つけた花や草木をスケッチしています。林試の森では、それぞれの植物の名前がちゃんとラベルで付けられていて、その名前が面白いの。ハンカチの木なんていうのもあるのよ
ご自身で絵を描いて残しているのが凄いですね。今は何でもスマホで撮ったり、調べたりして、自分の手を動かさなくなりましたから。
小泉
そうですね。家事も食器は食洗器、焼いたり茹でたり蒸したりも電子レンジでできるようになりましたから。便利にはなりましたけど、果たしてそれで良かったのかと思います。
私はすべての電化製品を否定しているわけじゃないんですよ。昭和30年代くらいのハーフ電気の時代がちょうどいいんじゃないかしら。やはり、自分でできることがあった方がいいじゃないですか。私が家事の記録を残したいと思ったのは、そういう時代の流れを見てきて強く思うところがあったから。生きていくためには「暮らし」はいちばん大事ですからね。もう一度、暮らし方や家事を見直していただきたいと思います。
キネヅカ読者は、昭和の暮らしをしてきた世代が多いので、小泉さんのお話しに共感する読者は多いと思います。今日はありがとうございました。
インタビューを終えて
小泉和子さんのパワーに圧倒されました。いくつになっても好奇心旺盛で行動的! 若い頃から、興味関心を持ったことに積極的に取り組んできたようですが、そのアグレッシブさは今も変わりません。今も小泉さんの頭の中には「やりたいこと」があるそうなので、ぜひ挑戦を続けていただきたいです。小泉さんのお話しは映画『スズさん~昭和の家事と家族の物語~』で記録映画や写真とともにたっぷり聞くことができます。ぜひ感染対策を万全にして劇場でご覧ください。
映画『スズさん』
公開日
ポレポレ東中野ほか全国順次公開中
スタッフ・キャスト
監督・撮影・編集:大墻敦
出演:小泉和子
語り:小林聡美
プロデューサー:村山英世 山内隆治
製作:記録映画保存センター