創立101年ベンチャー企業に聞いた「3世代家族のような働き方」|小湊鐵道インタビュー①
小湊鐵道(こみなとてつどう)は、1917年に千葉県の房総で創立した、都心から最も近い里山を走るローカル鉄道です。
近年では四季折々の風景を楽しめるおでかけスポットとして、また、ローカル鉄道では珍しい「黒字経営」を続けている企業としてメディアで注目されていますが、一方で働き方もとても柔軟です。
一体、どんな企業風土が代々受け継がれているのか? 若き3代目社長である石川社長とベテランOB細田さんにお話を伺います。
- 石川 晋平
1972年千葉県生まれ。銀行勤務を経て、2005年に祖父が勤める小湊鐵道に入社し、2009年に同社取締役社長に就任。以降、房総を愉快にする様々な企画を仕掛ける。2017年には養老渓谷駅(ようろうけいこくえき)で『逆開発』を始め、グッドデザイン賞を受賞。
- 細田 幸宏
1940年千葉県生まれ。実業高校を卒業後、1958年に小湊鐵道入社。2018年に60年間勤めた同社を退社。現役時代は車両課で運転手や事務を兼任。趣味は登山で大の日本酒好き。
若き社長率いる
「創立101年のベンチャー企業」
小湊鐵道(以下「小湊」)といえば沿線の豊かな自然が有名ですが、100年前のスタートはどのようなものだったのでしょうか?
石川社長
創立時は、まさにこれから鉄道が日本で広まっていくというタイミングでした。憶測ではありますが、この鉄道を通せば「土地の人が喜ぶだろう」と先人が考えたのだと思います。
当時は船や牛、馬を使った移動や物流が主だったので、どうしても自然に左右されるし、スピードにも限界がある。
鉄道があれば貨物列車で食料の運び込みや物資の輸送がスムーズにできるし、通勤や通学のための客車を走らせることもできます。
鉄道から派生して、今ではバスやタクシーも走らせ、2014年には観光に目を向けてドイツ製・コッペルSLを復元しましたが、どの事業に関しても目線は常に「土地の人のため」にあります。
土地に根ざしながらも、単なるインフラの枠に留まらない企画が興味深いです。昨年はグッドデザイン賞を受賞されました。
石川社長
『逆開発』という里おこしで賞をいただきまして。
土地の人と観光客の方のことを考えて、養老渓谷駅前のアスファルトを剥がして木を植えるというプロジェクトです。
『逆開発』コンセプト(抜粋)
逆開発はじめました。
今から5000年以上前、この辺りでは縄文人が自然との共同生活をはじめました。
養老川の大いなる恵み、雑木からの食料確保、燃料(火)としても活用していたことでしょう。
われわれ現代人は進化したのでしょうか?
自然との共存なしに、これからの生活は成り立つのでしょうか?
こたえは「逆開発」の先にある!のかも・・・。
従来の駅前開発とは「逆」というわけですね。
石川社長
いままで都市化とか、便利な方向にずっと邁進してきたけど、くたびれているわけですよね。
だから、これからはそういった社会の流れに「ほんとか?」と投げかけられる会社であれたらいいなと思っています。
78歳OBが語る、60年前からあった驚きの制度
細田さんは今年の春まで60年間小湊で勤め上げられましたが、様々な新しい試みをどう思われていますか?
細田さん
もちろん、プラスだと思っていますよ。若い社長がやるからいいんです。年寄りの社長だったら、「そんなお金と時間をかけて、もったいない!」と保守的になってしまうでしょうから。
一般的に、細田さんの世代だと「~一筋」が美徳とされていそうですが、意外なご回答です。
細田さん
そうですね。でも、結局その「柔軟な考え方」が小湊がいろいろなことをやれる「もと」なんじゃないですかね。
私は長年列車の運転手として働いてきましたが、運転手が足りている日は事務仕事もやりましたし、子育てもしてきたんですよ。
子育て、ですか!
細田さん
子供を3人育てましたよ。
いい会社でね、運転手には夜勤がつきものですが、子供が小さい時は子守りのために昼間だけの事務や整備の仕事に切り替えてもらえたんです。
「育児日勤」とでもいいましょうかね。
当時は車両課だけで40~50人はいましてね。人が足りなければみんなで補い合っていたし、列車の修理も塗装から何から自分たちでやっていました。
96歳“おっかない元会長”が築いた土壌
様々な世代がまんべんなくいるからこそ、仕事も生活も補い合えたと。若い方だけでなく、シニア雇用に対しても積極的と伺いました。
石川社長
うちは基本的には70歳までですから、シニアの方の応募も多いもので。新しい仕事でも「もう60だからな…」というのではなく、「まだ10年ある」と考えられるでしょう。
特に応募が多いバスドライバーについては、未経験者やシニアの方でも不安なく働いてもらえるよう「安全推進室」というものをつくって、独り立ちするまでは先輩がぴったり張り付いて指導しています。
新しい挑戦を年齢で線引きしない姿勢に懐の深さを感じます。とはいえ、なぜ「60歳なんてまだまだ」というお考えに?
石川社長
うちのおじいさん(石川信太・元会長)が、96歳まで現役で働いていたので、その土壌はあるかもしれないです。
亡くなるまで毎日会社に来ていて、70歳くらいの人を見ても「まだ70か!」というような感じでしたから。
亡くなって10年経ちますが、おっかない人でした(笑)。
細田さん
60歳のときに一応定年ですから挨拶に行ったら、「まだ働くんだろ」が第一声で(笑)。「この若造が!」という感じだったんじゃないですかね。
『キハ』※を小湊に投入して、鉄道の基礎を作った方ですね。
※ディーゼルエンジンを搭載した列車車両のこと
3世代家族の現場とこれから
実際に本社を見渡してみても、多世代が集まっていますね。
石川社長
状況としては会社が「3世代家族」みたいだと思っていて。
70代、30~40代がいて、高校を出たばかりの10代や20代が一緒に働いています。
70代の方が普通に働かれているというのがすごいなと思うのですが、細田さんは若い方と仕事をしてどうでしたか?
細田さん
家に閉じこもっていても気が滅入るだけですし、かえっていい刺激になりましたよ。
力仕事は出来なくなってしまうこともあるけれど、それは若い人に任せて頼ればいい。
若い世代がシニアに救われることも大いにありそうです。
石川社長
いつも助けてもらっています(笑)。特に、ぼくみたいな中くらいの年齢の者は「みんなを引っ張ろう!」と口うるさくなりがちで、若い人たちの逃げ場を塞いでしまっているかもしれなくて。
そういうときに大先輩がいると、うまい具合に彼らを解放してくれます。
肩を叩きながら「ああは言っているけど、大丈夫。いくぞ。」なんて言ってね。そういうようなことが、おそらくあると思うんです。
懐かしい家族ドラマのようです(笑)。細田さんから見ると、石川社長はちょうど子供世代かと思うのですが、見ていてどうですか?
細田さん
もちろん、プラスの面が多いですよ。でも、本人を前にして言うのもおこがましいんですけど…ちょっとまだ若いなと(笑)。
忙しくてこもる事が多いので、作業服を着てもう少し現場を歩くと、また違う面が見えてくるんじゃないでしょうか。
みんな社長の背中を見てますから。
貴重なアドバイスをありがとうございました。101年目からの挑戦も楽しみですね。
細田さん
先代がレールを敷いて、その上に列車を走らせて、鉄道の基礎を築きましたよね。
その列車にお客様を集めるのが大切で。鉄道としては難しい時代でしょうが、それが「これからの続き」じゃないですかね。
石川社長
いまは犬かき状態で。犬かきしないと沈んじゃうからさ(笑)!
60歳を超えても働き続けるのが当たり前となりつつあるいま、これから先、3世代が一緒に働く企業は増え続けていくのかもしれません。
小湊鐵道は、「多世代での働き方」の手本を示してくれているのではないでしょうか?
インタビューは、小湊で実際に働いているシニアに迫った第二弾(バスドライバー編)へ続きます!