主人公は絵本の数だけいる。誰しも立ち帰れる場所として物語を語り続ける、絵本の語り手・三田村慶春
国分寺の片隅に、「おばあさんの知恵袋」という絵本屋があるのを知っていますか?
扉を開けると、壁一面に絵本がずらっと並び、優しい店主が迎え入れてくれます。
今回お話を聞くのは、絵本屋「おばあさんの知恵袋」店主・三田村慶春(みたむらよしはる)さんです。
子どもたちにお話を伝える“語り手”としても活動している三田村さん。言葉を扱う人生を歩んできた三田村さんに、言葉と人生の考え方についてお伺いします。
- 三田村 慶春さん
絵本&カフェ「おばあさんの知恵袋」を主宰。
絵本作家、児童書翻訳家としても活動しており、NPO法人 語り手たちの会・理事を務める。
ドイツ料理屋から絵本屋へ「おばあさんの知恵袋」が誕生したわけ
絵本屋「おばあさんの知恵袋」は、絵本屋でありながら、コーヒーや紅茶、お酒も楽しむことができるお店なんですよね?
三田村
そうですね。絵本を読みながらお酒を楽しめる場所は、なかなか無いと思いますよ。
作品の展示も行っているんですね。
三田村
店内ではギャラリーも行っていて、知り合いのアーティストの方の作品を展示したりもしています。
「おばあさんの知恵袋」は絵本屋としてだけではなく、多方面で利用されている場になっているんですね。
そもそも三田村さんは、どうして絵本屋を始めようと思ったのですか?
三田村
ここはもともとドイツ料理のお店だったんですよ。ですが、店を営んでいた母が倒れてしまって、料理の提供をするのが難しくなってしまいました。その出来事をきっかけに、2004年に絵本屋としてリニューアルをしたんです。
もともとドイツ料理のお店だったんですね。それがどうして絵本屋に?
三田村
そのころ私が図書館で働いていたので、そのつながりもあって絵本屋にしました。コロナ禍になる前は、たくさんのお子さんと親御さんがうちの店に集まって、絵本を読み聞かせる“お話会”を開催していたんですよ。
三田村さんは「おばあさんの知恵袋」のオーナーとしてだけではなく、語り手としても活動されているんですよね。そもそも、なぜ語り手として活動するようになったのでしょうか?
本でつながる不思議な縁
三田村
私はもともと教育委員会に勤めており、小学校・中学校で児童、生徒たちと関わり合う仕事をしていました。そのとき、子ども同士でのイジメに出会いました。イジメの現象が起こるのは、子どもが大人の世界を反映しているからだと考え、未来の社会を担う子どもたちに、大人は何を伝えるべきか、と思って始めたのが、童話の翻訳でした。
翻訳、ですか。
三田村
私自身、外国語が少し得意だったのもあって、大学や大学院で語学を学んだ方たちと翻訳活動を一緒にすることにしました。何かを通して一緒にいることで、元気が出ればと考えていたんです。そのころ、「おばあさんの知恵袋」はすでにドイツ料理屋として営業していたので、店に来ていた大学生たちも巻き込んで、みんなで翻訳をしていましたね。
いろんな人が集まる、憩いの場となっていたんですね。
三田村
そうですね。そのときに、ちょうど父が倒れてしまったんです。悲しんでいる母を元気づけさせようと、中国語の翻訳も始めました。
どうして中国語の翻訳を?
三田村
母は生まれてすぐ、祖父の仕事の関係で上海で暮らしていたんです。父と結婚して帰ってくるまで向こうにいたので、かれこれ20年ほどですね。中国語に触れれば、そのころを思い出し元気になってくれるかなと思ったのですが、逆に生きた中国語のアドバイスを得る機会になりました。
誰かを元気にするために、いろんな翻訳活動を行っていたんですね。
三田村
そうですね。そして、みんなで翻訳していた中国の童話の原稿がかなり溜まってきたので、中国の大使館に持って行ってみようか、ということになったんです。すると、日中友好のためにもこれを書籍化をしようということになり、訳していた原稿が本になったんですよ。
すごいですね! まさか書籍化までになるとは。
三田村
このことが新聞に取り上げられることになり、各地の学校から中国に関連する講話やお話などの依頼が私のもとに舞い込んできました。そして、本を出した職員がいるなら、ということで、私は教育委員会の職員から図書館の職員へと仕事を変えることになったんです。
なるほど。そういった経緯で本の世界へとつながっていったんですね。
語り手の鍵は、「物語の世界に引き込む力」
図書館で勤務されてから、語り手としての活動を始めるきっかけはなんだったのですか?
三田村
2つあるのですが、1つは先ほどの翻訳の書籍化がきっかけで、みなさんの前でお話をする機会をいただくことがあったからです。もう1つは、国分寺の子どもたちを50人くらい山に連れていく機会があったんですよ。そのとき、夜寝かしつけるために急遽お話を聞かせることがあったんです。
そんな機会があったんですね。そのときは、当時覚えている物語をお話したんですか?
三田村
記憶している物語は3つほどあったんですけど、子どもたちが「次は? 次は?」と、どんどん聞いてくるので、頭をフル回転して話しました(笑)。そういったことがあって、改めて語り手として物語や技術を学びたいなと思い、セミナーに通い始めたんです。お話ができるようになってからは、児童書の担当になり、本格的に語り手としての活動が始まりましたね。
語り手としてお話を話すときに、大切なことはなんですか?
三田村
語り手に正解はないんですよ。お話のしかたは地域によっても違いますし、その違いこそが、物語がより生き生きとする要因だと思っています。その人その人によって、語り手として大切だと思うものは違ってくるのですが、私は聞いている人を“物語の世界に引き込む力があるかどうか”が大事だと思います。
具体的には、どのようにして物語の世界に引き込むのでしょうか?
三田村
登場人物の息遣いを、どれだけ伝えられるかなんですよね。よく物語の中の登場人物を演じ切ればいいと思う方もいるのですが、それは劇的な表現の仕方なんです。語りというのはそれとは少し異なっていて、その場の臨場感を出すことなんですよ。その場を演じるのではなくて、まるでそこで聞いていた人がいるかのような語りをするんです。
む、難しい……。しかも、相手が子どもだと、飽きて遊び始めちゃったりする子もいるんじゃないんですか?
三田村
いますね。寝転がったり、となりの子どもにちょっかいをかけちゃう子もいます。そういうときは、いきなり物語に入るのではなくて、最初に“つかみ”となるお話をします。彼らの普段の生活の中で興味を惹くようなエピソードを、最初に選んで話します。そうすると、こちらに注目して物語を聞いてくれやすい状態になるんです。でも、そういう子たちも、実は飽きているように見えて、ちゃんとお話を聞いているんですよ。
「絵本は、生きる道がこんなにもあることを教えてくれる」
三田村さんは、語り手として多くの物語と言葉に触れてきたと思うのですが、物語を通して人生をどう捉えますか?
三田村
絵本って、誰しも子どものころに読んだり聞いたりするものですよね。これから大きくなって、成長していく、そんな子どもの時代に読むものです。絵本は、大人へと成長するための、人生の養分になるんですよ。本を読めば頭が良くなるとかそういうことではなくて、個性を持ったまま自然に成長していく助けになるものなんだと思います。
絵本は、人生の土台になる存在なんですね。
三田村
そうですね。大人になったら、何かと規格に当てはめなければいけないこともあるかと思うんですけど、窮屈に生きるのではなく、自分らしく自由に生きる道があることを、絵本は教えてくれます。絵本は世界中にたくさんありますが、絵本には絵本の数だけ“主人公”がいるんです。その主人公たちが、生きる道というのはこんなにもたくさんあることを、いつかの自分に教えてくれているはずなんです。
子どもだけではなく、大人になっても、絵本には気づかされることがありそうですね。
三田村
ふと、「おばあさんの知恵袋」にやってきた大人の方が、絵本を読んで涙を流されることも多々あります。絵本って、人生で5回楽しむことができるんですよ。1回目は字も読めないくらい幼いとき。2回目は、小学生になり文字が読めて内容がわかるくらいのとき。3回目は、中高生くらいになって作家の意図がわかるようになったとき。4回目は、大人になったとき。5回目は、高齢になったときです。
絵本は、一生を通して楽しむことができるんですね。
三田村
絵本は、人生の原点回帰の場所でもありますよね。私の作った言葉で、「言葉は武器としてではなく、楽器として交わし合う」と、いうものがあるんです。私のような語り手は、言葉を使って子どもたちに絵本の世界を伝えていきます。昨今いろんなことがありますが、お話を通して、相手を大切に想える言葉の使い方を知ってくれると嬉しいですね。
おばあさんの知恵袋では、毎月1回、絵本好きなら誰でも参加できる、大人のための絵本の会《ビブリオ・パドル》を開催しています。8年ほど続けてきて、3月で90回目になりますが、参加者それぞれの絵本への思いが多様なことに気づかされます。