毎日が楽しい!64歳で夢実現
大阪ミナミのアメリカ村で念願の「おかん食堂」を開いた上野由美子さん
大阪・ミナミのアメリカ村は、昭和、平成、令和と若者文化の発信地として知られている。そのアメリカ村のシンボルともいえる三角公園から徒歩1分、アメリカ村のど真ん中に2021年の1月に「おかん食堂」が誕生した。店主の上野由美子さんが64歳にして長年の夢を叶えた店である。腕を振るうのは、もちろん上野さん本人である。おかんの味を求めて老若男女が通う食堂は、訪れた客を笑顔に変えてくれ、たちまち人気店になった。コロナ禍の真っ只中にオープンしたみんなのおかんこと、上野由美子さんに思いをたっぷり語っていただきました。
- 上野由美子(うえの・ゆみこ)
1956年、大阪府生まれ。結婚後、専業主婦として2人の息子を育てる。
2021年1月、大阪のアメリカ村に「おかん食堂」オープン。西城秀樹の大ファン。
好きなことしてみんなに栄養ある美味しいもんを食べさせたい
夢の舞台「おかん食堂」
大阪・ミナミの心斎橋地区にある「アメリカ村」、通称「アメ村」に、コロナ禍の真っ只中にオープンしたのにも関わらず、常に売り切れてしまう定食屋「おかん食堂」がある。
メニューなし、料理は店主が毎日考える栄養バランスを考えた定食のみだ。若者の流行の発信基地でもあるアメ村の雑居ビルにその店はあった。店主の名は上野由美子さん。64歳にして長年の夢だった定食屋のオープンにこぎつけた。店はまたたくまに評判となり、人々をひきつけている。今、青春を謳歌している上野さんに、思いを語ってもらった。
アメリカ村のシンボル・三角公園から徒歩1分、雑居ビルの2階に「おかん食堂」はある。店内のBGMは西城秀樹、店内のどの壁を見ても西城秀樹がいる。店にはとりたててメニューはない。作っているのはおかんこと上野由美子さん、出てくる定食はすべて1000円だ。専業主婦だった上野さんがアメリカ村に店を出したきっかけはなんだったのか。70年代に急激に広まったアメリカ村は、上野さんにとっては、青春まっただ中だったはずだ。
上野
店を決めるとき、アメリカ村にしようと、おりてきたというか、なんか絞り込めたんです。昔から自由なところだし、ここが好きだったから選んだのと、若い子を応援したい気持ちがあったんで、アメリカ村で物件を探しました。
なかなか64歳で自分の店を出すという踏ん切りがつかないと思うのですが、きっかけはなんだったんですか?
上野
コロナ禍で、最初の頃、芸能人の方が亡くなったときに、私もコロナにかかったら死ぬって思てて、死ぬんやったら好きなことやる!そう思ったんです。
同じように思った方はけっこういたかと思いますが、すぐに実行に移す行動力が素晴らしいですね。その好きなことが「おかん食堂」だったんですか?
上野
はい。子どもの頃から料理が好きで、高校を卒業したら父に調理師学校へ行きたいと言ったら「何をいうてんねん!嫁に行くの遅れたらどないすんねん」と言われて、断念したんです。調理師学校へ行って、料理の先生か飲食店をしたいと思っていたんです。Gパン履いても怒るような父親だったんですよ。父は19歳の時に亡くなったんですが、調理学校へ行くこともなく、専業主婦になりました。結婚後は京都に住んでいたんで、専業主婦の傍ら、祇園の料理屋にパートに出て、調理の手伝いをしたりしてました。50代くらいから、また、店をやりたいという気持ちが湧いてきたんです。
出した料理を誰も残さなかった
それまで封印していた気持ちが50代で湧き上がってきたのは、なにかきっかけがあったんでしょうか?
上野
料理はずっと好きだったんです。6年前に大阪に戻ったときに、息子が自宅を改装してシェアハウスを始めたことですね。最初は、掃除とか雑用を手伝っていたんです。食事は各自、自分たちで食べるというシステムだったんですが、みんなコンビニのお弁当ばっかりで「あ~あ~」って思って。息子のごはんだけは私が作っていたんですが、他の子にも「ほうれん草のおひたし食べるか?」って聞いたら「食べる!食べる!」「ひじきの炊いたのは?」「食べる!食べる!」って。みんな美味しそうに食べるんで、それならみんなのごはんを作ろうかってことになって、だいたい10人くらいのごはんを作っていました。息子の友達まで食べに来たりしてました。3年ほど続けたんですが、コロナ禍のこともあって2020年にシェアハウスをいったん、辞めることになりました。ただ、シェアハウスをしながら週に一度だけ大阪の南森町というところで、お昼間のバーを借りて「おかん食堂」をしていたんです。このとき、今と同じで、メニューなしで、1000円の日替わり定食のみの限定30食だったんですが、いつも売り切れで、それに誰も残さないんです。
それが、アメリカ村の「おかん食堂」に繋がっていくわけですね。30食限定にされた理由はあるんですか?
上野
私の限界が30食なんです。しんどいからじゃなくて、調理道具も家で使っていたお鍋を持ってきてるんで、30食しか作れないんですよ。鍋の厚みや大きさが変わると作りにくいです。定食は、毎日日替わりで、基本は、メインに小鉢料理が4品作っています。
栄養バランスのいいものを食べさせたい!使命感がおかんに芽生える
得意料理はなんですか?
上野
小鉢には力を入れています。定食には必ず4品の小鉢をつけているんですが、きんぴらごぼうとかひじきの炊いたんとか、体にええもんを出さなあかんて、勝手な使命感を持っています。栄養をバランス良く取るために小鉢は絶対必要なんです。出汁のかつお節は京都の祇園で働いていたときに使っていたものと同じかつお節をつこてます。お米は岐阜の無農薬のお米、めちゃめちゃ高いし、探してもなかなか売ってないお米なんですけど、息子の仕事の経理をしている子の実家で作っているんで、特別に分けてもらっています。塩は、宮崎で海水をくみ上げて作っている天然ミネラル塩で、野菜はすべてではないですが、大阪の高校の先輩が作っている無農薬野菜です。
かなり原価がかかりそうだが、採算は取れているのだろうか。少し、心配になってきたので聞いてみると・・・
上野
長年の主婦のやりくりの経験を生かして無駄を出さないようにして、なんとかやってます。「むっちゃおいしいよ」って言って料理を出すんです。そしたらお客さんも「おいしいよって」、だっておいしいんだもん。やりたいことをやって、今はいつもずっと幸せ。毎日が楽しいですよ。もし、お客さんの品評会があったら、うちのお客さんを見せたいです。ええ人ばっかりで。ええ人しか来ない。
西城秀樹50周年、60周年、70周年も「おかん食堂」で会いましょう!
アメリカ村ですから、若いお客さんが多いですか?
上野
それが若い子もいれば、50代、60代のおっちゃんの常連さんも多いんです。それと、秀樹ファンもようきます。秀樹が亡くなってからファンになった30代の女性の方もいてはります。
西城秀樹のデビュー50周年を記念したスペシャルコンサート『HIDEKI SAIJO CONCERT 2022 THE 50』が開催された。その日の昼のおかん食堂は秀樹ファンで一杯になった。
「おかん食堂」で、上野さんが毎日幸せなように、ここに来るお客さんも幸せになっている。そんな上野さんにこれからの目標を聞いた。
上野
店を始めた時は、いつ辞めることになってもいいと思っていたんですが、息子のお嫁さんも手伝ってくれているし、家族でつくったお城のようなものなので、頑張ってできるとこまではしたいです。秀樹ファンも全国から来てくれはります。50周年と言わず、60周年、70周年もここに来たいと言ってくれているんで、店を続けなあかんと思ています。自分だけでなく秀樹ファンのためにも長いこと続けたいと思っています。
上野さん、元気の出るお話をありがとうございました。