かっこよい人

デザインはすばらしく面白い仕事!
デザイナー 奥村昭夫さん

美術の学校を出たわけでもなく、高校卒業後に就職募集を見て入ったデザインの世界で数々の実績を残してきた奥村昭夫さん。奥村さんがデザインしたグリコのロゴや牛乳石鹸の赤箱のデザインは、今も変わらず使い続けられている。80歳を超えた今なお新しいことに挑戦し続け「今がデザインの仕事をしていて一番楽しい」という奥村さんに話を伺った。

奥村 昭夫(おくむら あきお)
1943年生まれ。京都市在住。デザイナー。京都大学学術情報メディアセンター客員教授(2007年7月~2016年3月まで)。奥村昭夫デザイン塾(開校中)。京都大学iPS細胞研究所、江崎グリコ、牛乳石鹸、ロート製薬VI、月桂冠、ハウス食品、近鉄百貨店パッケージ、京都大学ウェイヴサイトなど数多くのデザインを手掛ける。ニューヨーク近代美術館(MoMA)にポスターがコレクションされるなど、海外でも高い評価を得ている。著書に「デザイン発見」(六耀社)、「干支の本」(アムズアーツプレス)、「奥村昭夫的平面設計」「奥村昭夫的包装設計」「奥村昭夫的VI設計」(広西美術出版社)他。
目次

まるで超能力!
打ち合わせなしでデザイン完成!

京都の先斗町で会った奥村昭夫さんは満面の笑顔で出迎えてくれた。その若々しさにまず驚かされる。「僕は80歳になるんですよ」と奥村さん。とてもそうは見えない。いただいた真っ白な名刺の中央には、Aの文字の上に大きな〇がのっかっている。「これは、頭でっかちなAKIOくんを表しているの」と奥村さん。もう、すでに楽しくなってきた。

奥村昭夫さんの名刺

まずは、僕がどんな仕事をしてきたかを話しますと言って、見せてくれたのは「京都大学-稲盛財団合同シンポジウム」のロゴマークだった。

奥村さんが京都大学の客員教授をしていたとき、「京都大学-稲盛財団合同シンポジウム」のロゴマークを急いでいるとたのまれた。そのとき、奥村さんはインターネットで、稲盛さんと松本京大総長が握手をされている写真と財団の三重の塔のマークを見て、会議や打ち合わせをする前に完成させた。なんでそんなことができたのだろうか。提出したのは1点のみ。デザインを見て誰もが声がでなかったという。

京都大学-稲盛財団合同シンポジウムのロゴマーク

奥村
これを見てポイントを見つけてください。

次に奥村さんが見せてくれたのは稲盛和夫さんが書かれた「京都賞の理念」※1 。「財団30周年」のロゴマークを依頼された際にこの理念から着想を得たという。
※1 「京都賞の理念」(京都賞ホームページ)

奥村
人という文字がいくつも出てくるでしょ。

確かに、人生観、人のため、人間、人類、人々、人は、人でなければなどなど、随所に人という文字が出てくる。奥村さんは、それを見つけ出し、「人」という文字と「30」を組み合わせたロゴマークをデザイン。またも提出した1案で決定となった。

稲盛財団30周年ロゴ プレゼンテーション資料

奥村
僕が超能力者とはいいませんが、こんな例もあるんです。

そういって、いたずら小僧のような笑顔を見せてくれた。

商業高校卒、デザイナーになる

奥村
僕は美大は出てないんです。高校を出て就職募集を見て「株式会社 第一紙行」に就職して、 図案部に入ったんです。その頃はポスターカラーを指で溶いてね。包装紙のデザインとかをしていました。

こうしてデザインの世界の第一歩を踏み出した奥村さんは、しばらくしてデザイナーの登竜門である「日本宣伝美術会(略して日宣美 ※2 」に応募し、準入選を果たした。当時の日宣美は、新人の登竜門として注目されていた。

日宣美の展覧会を見に行った奥村さんは、普段自分がやっていることと別世界、デザインの可能性や別世界があることを知ることとなる。

※2 日本宣伝美術会:通称、日宣美。1951年に設立。日本のデザイン史に大きな足跡を残し、新たなグラフィックデザイン領域を確立した。1953年第3回展から公募形式をとり、新人の登龍門としても注目される。

その後、奥村さんはデザインにはもっと違う世界もあるのではないかと考え、それを知るために、いくつかのデザイン事務所を経て、27歳の時に大阪市内で自身の事務所を立ち上げた。

「会社をつくってからは本当に仕事をしましたし、よく飲みました」と奥村さんは当時を振り返る。

40歳目前、電車に中吊り広告を実費で出す

仕事に邁進していた奥村さんだが、40歳を前に仕事の転換期を迎える。そんな頃、使い捨てライターを製造していた知り合いの姫路の会社の社長から、ライターのブランドを構築したいと頼まれた。そこで使い捨てライターを使ってイベントをしようということになった。

奥村
ライターにシルクスクリーンでデザインを刷れるんで。

デザインはイベントに参加する面々が考案し、それを使い捨てライターにシルクスクリーンで刷って出展するというイベントだった。テーマは「火遊びはいつも面白い」である。参加者は層々たる面々だった。ライター展に出品していた写真を見せてもらうと、作家の村松友視、まだ東京進出前の明石家さんま、内田裕也、中森明菜の名前もあった。大阪でのイベントの大成功を受け、東京でも開催することになる。そこで奥村さんがとった行動に周囲は度肝を抜かれる。

奥村
大阪の地下鉄・御堂筋線にイベントの中吊り広告を出したんです。

お金を出したのは姫路の会社の社長でもスポンサーでもない。奥村さん本人だ。なかなかのお金がかかったはずである。もちろん、大成功を収めた。

大阪の小さなデザイン事務所が電車の中吊り広告を実費で出したという噂が広がり、電通から仕事の依頼が舞い込んだ。そのひとつが江崎グリコの仕事であった。その後グリコのマークの製作依頼。ただし、複数のデザイナーから提案を求め、最適なものを決めるコンペだ。提出後、奥村さんに電話がかかる。「社長が決めかねているんで社長に会ってくれますか?」と。

奥村
3人のコンペだったんですが、社長が決めかねているというので「一晩おいて、朝、もう一度見られたらどうですか」と言ったんです。

決まったのは奥村さんの提案だった。それが、1992年、グリコの創立70周年に誕生したロゴマークである。テーマは「美味しさと健康」だったが、奥村さんはそれを「母の優しさ」と読み替えて表現した。

江崎グリコ ロゴマーク

当時の日本食料新聞によると、こう書かれていた。

江崎グリコ㈱は創立七〇周年を迎えたが、これを機に英語のロゴタイプ「Glico」を一新した。新しいロゴタイプはスクリプト(筆記体)を採用した、あたたかみのあるもの。 また、新ロゴマークには①人のもつ創造性を大切にしていく姿勢②すべての文字がつながっており、人と社会のふれあいや絆をもっと深める、といった願いも込められている。今後、屋外広告や営業車・商品パッケージなどに順次採用される・・・
(1992.02.17 7336号 1面より一部抜粋)

このロゴタイプは、今も変わることなく使い続けられている。

奥村さんがデザインしたもので企業が長く使い続けているものが他にもある。1994年に奥村さんがリニューアルデザインした牛乳石鹸赤箱のロゴやパッケージだ。(その後2013年と2015年にリニューアル)実は、このときまでは「COW」と牛のマークは、中心に配置されていなかった。牛を中央に配置したデザインを奥村さんがプレゼンしたとき、こういったそうだ。

牛乳石鹸赤箱パッケージ

奥村
「牛乳石鹸の牛を時代に合わせて一歩進めました」と。

提案した翌日には採用したいと連絡がきた。実はこのプレゼンは自主的なプレゼンだったそうだ。

奥村
この赤箱、もっとよくなるんじゃないかと思ったら、やろう!って思い立って自主的にプレゼンしたんです。

取材している間、奥村さんは何度か口にした言葉がある。「僕のやっているデザインは作品ではなく仕事です」と。奥村さんは、自身がデザインしたものを決して作品とは言わない。テーマを受け取る相手へ簡潔に伝えることが重要であると奥村さん。
一見、シンプルなロゴには、ちゃんと意味が込められている。
普通、デザインといえば絵から考える人が多いが、奥村さんは、まず文字で誰に何を伝えるかを考え、そこからデザインする。
奥村さんは、「デザインは言葉です」という。言葉に変えてみてカタチにしていくのだ。

奥村
本質を見て答えを出せばいいんです。私は自分で答えを出していきましたね。

面白いと思ったことをやり続けてきた

奥村さんは、どんなときも自分で決めてきたという。57歳で会社を辞めると奥さんに告げたとき、ずっと会社の経理をしてくれていた最愛の奥さんはこういったそうだ。
「次の月からお金をうちにいれなくてもいいですよ。自由にしてください」と。

奥村
ありがたかったです。僕はそのときの楽しさやこうしたいことをひとつずつしています。

そうはいっても世間は奥村さんを放っておいてはくれなかった。2007年には京都大学学術情報メディアセンターの客員教授に着任し、授業を担当するだけでなく、数々のグラフィックデザインを手掛けた。

奥村デザイン塾も開催しており、デザイナーにもデザイナーでない方にもお勧めの講座だそうだ。奥村さんから学ぶことはきっと数多くあるはずである。

もうひとつ、奥村さんが力を入れていることがある。「アート」と「ケア」の視点から、さまざまな事業を実施している市民団体「一般財団法人たんぽぽの家」の活動である。

奥村
すごくいい文字を書く女性がいるんです。彼女が書く文字をフォントにするために協力しています。

たんぽぽの家 フォント樹里

新しいフォントをつくるのは並大抵ではない。漢字、ひらがなのバランスを考え、文字の魅力が出るようにしなければならない。挫折しかかったこともあったそうだが、あと3年ほどで完成するところまで来ているそうだ。完成したフォントを多くの人に使ってもらえれば良いですね。

奥村
やりたいことをやるのは純粋に楽しいです。今がデザインしていて一番楽しいです。

「今が一番楽しい」という奥村さんには、まだまだやりたいことが沸いてきそうだ。

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取材・文=湯川 真理子
写真=納谷 陽平
イメージ提供=奥村昭夫

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