かっこよい人

『孤独のグルメ』原作者・久住昌之に聞く!【後編】「こういうのでいいんだよ」っておいしさもあるんだよ

インタビュー前編では、『東京都三多摩原人』(集英社文庫)で描かれた少年時代の話から始まって、和泉晴紀さんとのコンビ「泉昌之」としてマンガ家デビューしたころのエピソードを語ってくれた久住さん。

後編では、漫画、ドラマ、そして映画と、形を変えて私たちを楽しませ続けている人気コンテンツ『孤独のグルメ』の誕生のいきさつについて聞いてみよう。

前編記事はこちら→『孤独のグルメ』原作者・久住昌之に聞く!【前編】絵を描くのは好きだけど、人に描いてもらうのも好きなんです

久住 昌之(くすみ・まさゆき)
1958年7月15日 東京・三鷹生まれ。法政大学社会学部卒。美學校・絵文字工房で、赤瀬川原平に師事。1981年、泉晴紀(現・和泉晴紀)と組んで「泉昌之」名でマンガ家としてデビュー。実弟の久住卓也と組んだマンガユニット「Q.B.B.」作の「中学生日記」で1999年、第45回文藝春秋漫画賞を受賞。谷口ジローと組んで描いたマンガ「孤独のグルメ」は、2012年にTVドラマ化され、劇中全ての音楽の制作演奏、脚本監修、最後にレポーターとして出演もしている。2025年1月10日には劇映画版も公開される。
目次

オジサンがただ飯を食うだけの
マンガが売れるわけない

イタリア、フランス、ブラジルなど世界十カ国で飜訳出版されている『孤独のグルメ』は今から30年前の1994年、扶桑社の「月刊PANJA」で連載が開始されました。どんなきっかけで企画が生まれたのですか?

久住
ある日突然、編集者から電話があって「食べ物がらみのマンガ原作を書いてほしい」って頼まれたんです。

1994年っていうのは、まだバブルの残り香みたいなものがあるころで、山本益博さんたちが火をつけたグルメブームというのが世の中にあって、ミシュラン店だとかの高級な店の料理をウンチクを傾けながら食べる風潮も残っていて、その編集者はそういうのを忌み嫌っていて、そのアンチテーゼ的な漫画ができないかと言ったんです。どこにでもあるような定食屋やラーメン屋で、普通においしく食べるだけの、おもしろいものを作って欲しい、と。

僕は高級店の料理なんか、ハナから知らないからアンチテーゼと言われても全然ピンとこないけど、普通においしいものの滑稽な話ならできそうだなと思って引き受けることにしました。

作画を谷口ジローさんが担当することは、その時点で決まってたんですか?

久住
いや、その編集者と企画を煮詰めていく段階で1~2カ月くらいでなんとなく決まっていったんじゃないかな。うーん、そのあたりもうよく覚えてない。ただ、谷口さんは「なんでオレが?」って、反応だったようです。

というのも、谷口さんは幕の内弁当をどんな順番で食べたらうまいかってことを、ただひたすら書いただけの僕のデビュー作『夜行』(作画は和泉晴紀氏でコンビ名は「泉昌之」)が収録された単行本『かっこいいスキヤキ』(扶桑社)を仕事場でアシスタントたちと読んで、ゲラゲラ笑ってたんだって。だから、谷口さんにしてみれば、「普通に和泉さんとやればいいんじゃないか」と思ってたようです。

実際、第1話と第2話を描いたところでも谷口さん自身、まだ手探り状態だったみたいで、第3話の「東京都台東区浅草の豆かん」で井之頭五郎が甘味屋で豆かんを食べて「うん! これはうまい」と言うシーンの表情がうまく描けたことでやっと感じをつかんだそうです。

僕もその回を初めて見せてもらったとき、ペン画のモノクロ原稿なのにもかかわらず、豆かんの隣に置かれたお茶が、緑に見えましたからね。驚くと同時にうれしくなって、「次は谷口さんに何を描いてもらおう」って、わくわくしながらお話を考えるようになった。

久住さんは原作者として、「この企画はイケる」という感じだったんですか?

久住
いや、イケるとか売れるとかいう邪念はずっとなかったですね。流行のことはわからない。ただ、今までにない漫画かもしれないという思いはありました。何しろ谷口さんが本気で描いてくれてるから。

僕のほうは締め切りのたびに、行ったことのない町や、行ってみたい町を最初にピックアップして、そこに行って、店探しから始めて食事をしてくるだけだから、最初から最後までずっと、暗中模索の手探り状態です。それがいつの間にか積み重なったという感じ。

久住さんは取材先で、五郎と同じ行動をしているんですね?

久住
基本、そうです。だから、お腹をすかして行くんだけど、僕は五郎のように大食漢ではないから店選びも真剣になります。お話にできない店に行っても、もう一食、食べられないからね。

19歳のときに1年間、美學校で赤瀬川原平さんから学んだのは、「おもしろいことは、はしゃがず淡々と丁寧に形にしたほうが古びない」ってことだったと、後からつくづく思っています。

赤瀬川さんは、はしゃぐのがキラいな人で、真面目な顔をして淡々とおかしいことを表現するのが好きだった。後の「トマソン」とか「老人力」もそうですよね。「なんですかこれ! めっちゃおもろいやん!」っていうのは絶対にしなかった。学問の顔をして、すごい冗談を言う。そういうところ、知らずに影響受けていますね。それは66歳になった今、僕の表現活動すべての基本になっているかもしれない。ドラマ『孤独のグルメ』の静かさ、五郎が「うまい! 美味しい!」とほとんど言わないのも、ちろんその姿勢です。

『孤独のグルメ』は連載中だけでなく、18話分の作品が収録された単行本が発売されても、それほど話題にはならなかったそうですね?

久住
それは僕自身も、なかば予想していたことでした。特にドラマチックなストーリーがあるわけでもない、オジサンが飯を食うだけの作品が爆発的に売れるとは、普通に考えられない。

ただ、単行本が発売されたのが1997年10月で、その後、2000年2月に文庫版が出たんです。それが半年おきに3000部くらい、規則正しく増刷されるようになって、それが3年くらい続いたころ、若者たちが本を手にしながら「五郎ちゃんごっこ」と称してモデル店を食べ歩きしたことをブログに投稿している、という話を聞くようになったんです。

ドラマのほうでも、作品に登場したお店を訪問する「巡礼」ブームが起こりましたが、そのムーブメントは単行本のころからあったんですね?

久住
そういうことになりますね。そんな話を受けて、出版社が2008年4月に初版サイズの新装版を出すことになったんです。考えてみたらいつの間にか息の長い作品になったよね。

松重さん起用の理由は
「ロケ弁をうまそうに食べる人」だったから

『孤独のグルメ』は2012年、いよいよドラマ化されることになります。どんないきさつがあったんですか?

久住
ドラマ化の話が来たのは、それが初めてではなくて、企画ものっぽい感じの話はあったんですが、話を聞いてお断りしたんです。有名タレントを使った話題作りっぽい話で。「ちゃんと漫画読んでくれてるのかな」って思うような企画書で、谷口さんの絵の世界がめちゃくちゃにされそうな気がして警戒しました。

ただ、吉見健士プロデューサーは、そうとう真剣に僕らの漫画世界を読み込んでドラマ化しようとしていることがわかりました。いろんな人に原作の文庫本を配り歩いて、3~4年くらいかけて実現したそうで。

それからは、僕と吉見さん、監督、助監督、脚本家たちと何度も酒を飲みながら「どういうドラマにしようか」っていう作戦会議を重ねました。

井之頭五郎役は、どの段階で松重豊さんに決まったんですか?

久住
もう覚えてないなぁ。でも、決まるまでに何度か打ち合わせしました。候補は確か3~4人いたと思います。谷口さんが描いたキャラに似た俳優さんも候補にあがっていた。

そのなかで松重さんが最終的に選ばれた理由を聞くと、「ロケ弁をものすごくうまそうに食う人なんですよ」っていうから、「それ、それ大事!」ってオッケーしました。

久住さんは自身のバンド「ザ・スクリーントーンズ」を率いてテーマ曲や劇中の音楽も担当していますが、それ以外にも番組最後のミニコーナー「ふらっとQUSUMI」に出演されていますね?

久住
オヤジが飯を食べるだけのドラマだから、最後は若い女の人がやればいいんじゃないかと思ったんです。オヤジ主人公の後に、もっとオヤジが出てくるというのもいかがなものかと(笑)。

本当は2回だけって話だったんだけど、第1回のお店のときに壁に並んだメニューを見て「しりとりみたいだね」とか言ったら、制作会社の社長が「あの人おもしろいな」って言って、そのツルのひと声でボクが続けることになったんです。

僕は、その他のところでは、食べてるときの五郎のセリフの監修を担当しています。

大晦日スペシャルがはじまって
「え、そういうことになっちゃうわけ?」と思った

ドラマ放映が始まった当初の反応は、いかがでしたか?

久住
僕自身、「こんなドラマが果たして受け入れてもらえるのかなぁ?」と半信半疑だったんだけど、放送中にSNSをチェックしていたドラマスタッフから話を聞くと、放送開始時、「顔が(原作と)ちげーよ!」みたいなネガティブな書き込みがじゃんじゃんあって、ところが松重さんが食べ始めた途端、「うまそう」「うまそう」「うまそう」って(笑)。

ドラマ開始からほどなくして、「夜食テロ」という言葉も生まれましたね?

久住
そうね、深夜という時間帯に放送されたからね。あんな時間に肉焼かれちゃったら、誰だってツラくなるよ。

ドラマがヒットしたことを確信したわけですね?

久住
いや、当初はヒットしたという実感は、全然ありませんでした。何しろ視聴率は2%台が長くて、「夢の4%」って言ってたほどで。静かにやってたって感じ。

「え、そういうことになっちゃうわけ?」と思ったのは、6年目になって、NHKの紅白歌合戦のウラで大晦日スペシャルが放送されることになった時かな。さすがに驚きました。

それからずっと、年末のテレビ東京の恒例番組になって、多くの人に見てもらえるようになった。それは、とてもありがたいことだと思っています。でも、いつまでも続くとも思っていません。今年で終わっても残念ではない。

そして、いよいよ2025年1月10日には『孤独のグルメ』が劇映画として公開されます。

久住
それはもう、レベルとして紅白の裏番組を超えましたから、さらに驚いてますよ。最初に話を聞いたときは、どんなものになるのか想像できなかったです。正直、シナリオを読んでも心配でした。松重さんは何しろ初監督だし、これがちゃんと一本に繋がるのか、って。

だけど試写会で、冒頭、甲本ヒロトさんが「腹減ったぁ! オイオイオイ!」とシャウトするテーマソングが五島列島の美しい風景に重なるのを見た時は、もやもやした心配が吹っ飛んで、「やったぁ、いいなぁ!」と思いました。松重さんとヒロトは二十歳の時のバント仲間ですからね。40年来の友情に胸が熱くなる思いだったです。

テーマの後、ドラマと同じ基本静かな面白さはずっとキープされているし、劇映画としても充分な見応えがある。娯楽映画としてしっかりとしたものになっていると思いました。それより何より軽いのがよかった。最後まで気軽に見れます。

ですから、この記事を読んでいるみなさん、安心して劇場に足を運んでください。『劇映画 孤独のグルメ』はきっと、肩の力を抜いて楽しめる作品ですよ。

「御馳走が食べたいとばかり思うのは、
みっともない」というおばあちゃんの教え

今回、文庫化された久住さんの著書『東京都三多摩原人』(集英社文庫)の話をしたいと思います。この本のなかで、久住さんは自身が生まれ育った三多摩地区を縦横無尽に歩きまわっていますが、その距離は長いもので1回の取材で十数キロに及びます。普段からそんなに歩いているんですか?

久住
そうですね、僕の母親もけっこう、歩く人だったんですよ。だから、遺伝もあるかもしれない。母は歩くのが「好き」というほどではなく、隣町へ歩いて買い物に行くのも全然「苦ではない」という程度なんですが。でもよく歩いてた。

僕も、山登りみたいなのは好きじゃない。ツラい。あと車道をずっと歩くのも精神的にすぐ疲れる。緑、森、川、海の傍ならいつまででも歩ける気がする。今まで訪ねたことのない町を歩くのは、そこに知らない人の暮らしがあって、出会いや発見があるから疲れない。

ついこの間は、福岡の春日市という初めて訪れる街に行ったんです。 あいにく雨が降ったりやんだりで、傘をさしたり閉じたりしながら長く歩いた。 途中、公園でトイレに入って出てきたら、見たこともないでっかい虹の二重のアーチが現れたんです。感動しました。公園管理のおじちゃんも「これはすごいです」って言ってた。

雨だからこそ見られたんですね。そんなふうに出会いは、どこから飛んでくるかわからない。「どこへ行こう、行かなきゃ」ってガツガツしてると、虹にも気がつかないです。

『東京都三多摩原人』には、田無駅前の480円の「正しい昔ラーメン」を食べて、「こういうのでいじゃん」とうなる描写があります。その価値観は、『孤独のグルメ』にも通じるものだと思いますが、どう説明すればいいですか?

久住
「こういうのでいいんだよ」っていう表現は、ある人から「上から目線じゃないか」って言われたことがあるんだけど、そうじゃないんです。自分の心の中だけの声なんだから。

どんな素材がどう調理されてるか、どこで誰が高評価してるか貶してるか、そんなこと関係ない。「俺は今こういうのが食べたかったんだよなぁ」っていう自分自身への深い納得、喜びの言葉です。それがつまり『孤独のグルメ』なんだけど。

井の頭自然文化園のサル山の章で久住さんは、母方のおばあさんの教えについて語っています。いわく、「いつも御馳走を食べたがるのは、みっともないこと。でもね、おいしいものの味は、知っておかなきゃダメ。そうしないとマズいものの味がわからないから」。

久住
そうですね。そのおばあちゃんの影響は大きい。言われた当時は意味がわからなかったけど、ずいぶん時間がたって、おばあちゃんが亡くなってから、わかるような気がしてきました。そしたら自分がおじいちゃんになってる(笑)

最後の質問です。久住さんは今年で66歳になりましたが、「老い」との付きあい方について、どのように思いますか?

久住
歳をとってわかってきたのは、「老い」というのは地球の引力に屈していくありさまだってこと。

引力というのは、生命を土のなかに帰そうとする力ね。
若いころは元気だから、その力に負けないで成長する。だけど、年をとってくると、ほっぺたも目の周りもお尻もどこそこ垂れてくるでしょ(笑)。引力に負けてくる。
でも、それが自然で、あらがいようがないことなんだよね。死ぬってのは全身が地面に引きずり込まれて消えるってことだな(笑)。

そう考えてみると、生きている人はみんな、土に帰る途中なんだから、その途中をできるだけ楽しむのがいいと思う。

とてもおもしろいお話、ありがとうございました。


『孤独のグルメ』の原作者が綴る、町歩き&自伝的エッセイ。
『東京都三多摩原人』 待望の文庫化!

久住昌之『東京都三多摩原人』表紙
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  • 著者:久住昌之
  • イラスト:久住卓也
  • 出版社:集英社
  • 発売日:2024年11月20日
  • 定価:825円(税込)

三多摩とは、東京都の、23区と島嶼部を除く市町村部分のこと。
その一つ、三鷹市出身の著者はふと思う。
「三多摩に関心が無さ過ぎた!」
とにかくこの目で見てみようと地元から奥多摩、さらには相模湖(!?)まで、縦横無尽に歩いて、食べて、また歩いているうちに、蘇ってきたのは幾つもの懐かしい記憶だった――。
『孤独のグルメ』の原点がここに!?
人気漫画原作者が綴る、町歩き&自伝的エッセイ。

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取材・文=内藤孝宏(ボブ内藤)
撮影=八木虎造

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