赤穂の御崎は日本のナポリだ!
全ての人を笑顔にしてくれるピッツァ
赤穂御崎(兵庫県赤穂市)の海岸にある伊和都比売神社(いわつひめじんじゃ)を越え、きらきら坂を通り抜けたところに「SAKURAGUMI (さくらぐみ)」はある。テラス席から見える穏やかで美しい海の景色は、いくら眺めていてもあきることがない。ピッツァで有名な料理店を営む西川明男さんは初めてナポリに行ったときに感じた「ナポリと御崎は、全く一緒やん!」という思いを基本姿勢に赤穂を愛し、ナポリを愛し、訪れる人を幸せな笑顔にしてくれる料理を提供し続けている。一度、ここを訪れた人はきっと「おいしかった。また、来るね」というに違いない。気が付けば60歳を超えていたという「SAKURAGUMI」のオーナーシェフ、西川明男さんに話を伺った。
- 西川明男さん
1960年生まれ。赤穂市出身。「SAKURAGUMI(さくらぐみ)」(イタリア料理店) 「Hotel CASA VICO(ホテル カーサ ヴィーコ)」 「SALITA(坂利太(サリータ)」(ナポリ菓子店) オーナー。1981年に「SAKURAGUMI」を赤穂市内の中心部にオープン。1997年にイタリア料理の国際普及団体「真のナポリピッツァ協会」からアジア初の認定を受ける。2010年に瀬戸内海が見渡せる御崎地区に店を移転。市内外から多くの客が訪れる。2024年には「SAKURAGUMI」2階に宿泊施設「Hotel Casa Vico」をオープン。
最初の師匠はナポリの料理本
「SAKURAGUMI」の絶品ピッツアを目当てに平日でも訪れる客が絶えない。食事を楽しんだ後は、誰もが付近を散策し、海沿いの景気に魅了される。
西川
きれいでしょ。今日は天気がいいので目の前に小豆島が見えますよ。ほら、あそこ。あっちが淡路島です。ここはカプリ島 ※1)やイスキア島※2)が臨めるナポリの景色と同じなんです。気候も海岸沿いの絶景や海の幸が豊富なところまで似ています。
ほんとにそうですねと、ナポリに行ったこともないのに思ってしまうほど、いつまで眺めていても飽きない景色がそこにはあった。
西川さんは21歳で「SAKURAGUMI」をオープン。「SAKURAGUMI」は、本拠地をイタリアのナポリに置く『真のナポリピッツァ協会』からアジアで初めて認定された店である。まだ、日本には根付いていなかった”ナポリピッツァ”を広めた第一人者だ。
自らの歩みを止めることなく、2024年には念願の宿泊施設「Hotel Casa Vico」をオープン。自慢のナポリ料理に加え、内装も景色も含めた贅沢な時間を過ごすことができる西川さんの御崎ナポリ化計画の集大成のような場所である。
カプリ島※1)イタリア南部のティレニア海に存在する島。ナポリ市街からナポリ湾を挟んで南へ約30 kmに位置する。
イスキア島※2)イタリアのナポリ湾の西部に浮かぶ火山島。
西川さんが初めて店を出した1981年は、日本ではまだイタリアのトマト缶も出回っていなかった時代だ。
どんなお店だったんですか?
西川
ナポリの料理本を元に作ってたんですが、本に載っている材料がない。バジルもモッツァレラチーズもイタリアのトマト缶もない時代なんで、シャバシャバの台湾製のトマト缶を煮詰めてトマトソースを作っていました。モッツァレラチーズもなかった、そんな時代です。その3年後にカゴメが今のホールトマトの缶詰を出したんです。それを使ったら今までのと全然違うやん!と。
1970年代は、スパゲッティーといえば、喫茶店で食べるミートソースかナポリタンの時代だ。西川さんは、1981年に創業した頃からボンゴレやバジリコを作っていたという。
西川
おかんには「焼きそばやカレーでもしたら?」なんて言われてました。
ナポリは2つ目の故郷
その頃人気のあったテレビ番組でたびたび紹介されたナポリは、ピッツァ、魚介パスタ、トマト、太陽、人懐っこい人々という西川さんがイメージしていたイタリアそのものだった。まるでナポリに手招きされているかのように、西川さんはナポリに行く決意を固める。
西川
テレビで出てくるナポリの“ボンゴレ”や“ピッツァ”を見て「うまそうや、食いたい!」と。当時の日本は北イタリアの料理が主流だったんで、南イタリアのナポリ料理を始めれば最先端だと思い、ナポリに行きました。魚介のパスタもアルデンテやし、ピッツァもどの料理もめちゃくちゃうまかった。それからナポリには年に4回は行くようになりました。
アルプスのふもとにある北イタリアと三方を海に囲まれた南イタリアとでは気候も食文化も異なる。北イタリアは湿度の高い寒冷地帯で酪農地域でバターや生クリーム、チーズなどの乳製品と、肉を使ったこってりとした料理やリゾットなどが多い。一方、地中海に囲まれた南イタリアは新鮮な魚介類、乾燥パスタの材料である硬質な小麦にも合った土壌だ。 ピッツァは南イタリアのナポリが発祥である。
こうして1996年から西川さんのナポリでの料理修行が始まった。料理修行をしながら店で使用する食材メーカーを探し、購入したそうだ。
西川
加熱用のトマトやルッコラの種を買ってきておかんに育ててもらいました。
西川さんは、今でも年に2回はナポリに出かける。通算すれば100回以上はナポリに行っているという。赤穂生まれの赤穂育ちの西川さんであるが、ナポリの方が友人が多いらしい。 何度も通ったナポリで西川さんはシェフ、食材メーカー、菓子メーカーの人達とどんどん仲良くなっていき、今では街を歩けば声をかけられるほどだ。
西川
日本よりナポリの方が友人が多いかもしれません。今では赤穂とナポリどちらも僕の故郷です。
「真のナポリピッツァ協会」のアジア人初の認定店になる
赤穂の「SAKURAGUMI」が1997年に「真のナポリピッツァ協会」のアジアで初の認定店となったことは、当時は誰もが驚き、マスコミでも話題になった。
西川
真のナポリピッツァ協会の会長に会ったら、ちゃんとシステム化されていなかったんで、僕が提案してソフト面とハード面の両方が揃ってから認定できるようにしたんです。当時のナポリの認定店にも食べに行きました。
帰国後、西川さんは、真のナポリピッツァ協会の日本支部を立ち上げ、日本支部長として、日本のナポリピッツァ界をけん引してきた(現在ではナポリ本部が直接統括)。多くの料理人、ピッツァ職人達も「SAKURAGUMI」を訪れ、勉強に来ている。
ピッツァを焼く窯は日本で作られたんですか?
西川
ナポリの祭りでピッツァを焼くんです。祭りが終わったらその窯はいらなくなるっていうんで、それならちょうだいって。もらって帰りました。
「SAKURAGUMI」のピッツァの生地は、ナポリから直輸入された粗引きの粉・天然酵母・赤穂塩・水のみである。チーズも100%水牛のミルクで作った、いまではイタリアでも入手困難なモッツァレラ・ブッファラを可能な限り独自に入手している。それをナポリ直送のドーム型特大窯で焼き上げるのだ。薄いピッツァ生地であるが、弾力があり、歯ごたえもある。おいしくないわけがない。
ピッツァは、女性なら1人で一枚を食べるのは無理かと思いきや、軽くておいしくて、あれよあれよという間にぺろりと食べてしまった。
赤穂の御崎は日本のナポリだ!
「ここでやるしかない!」
西川さんは、2000年に現在の場所、赤穂市御崎に店を移転する。
移転を決めた理由はやはり、この海岸沿いの景色ですか?
西川
そうですね。最初にナポリを訪れた時に感じた感覚を御崎でも感じていました。
店は坂の下にあり、石畳の階段を降りると海岸に出られる。今はカフェやガラスショップなどもあり、「SAKURAGUMI」の人気もあり、この周辺を散歩する観光客が絶えない場所になっている。
しかし、西川さんが、ここに移転すると決めたときは、周囲から「あんた、ようこんな場所に店を出したねえ」と言われたそうだ。
西川
僕はこの景色を見て育ったんです。ここでやるしかないでしょ。
店には関西、中国地方の方を中心に全国から訪れる。以前は行列ができ、予約が取れない店と言われてきたが、それを解消するために1日8回転できるようにしているそうだ。
赤穂に根付き、ナポリと赤穂の架け橋になりたいと邁進してきた西川さんには、長年思い描いてきた夢があった。それが、2024年に実現した。
念願の宿泊施設をオープン、ホテルの中もナポリだった
夢が実現したのは、2024年3月。店の2階に「Hotel CASA VICO(ホテル カーサ ヴィーコ)」 がオープンした。「カーサ ヴィーコ」とは、漢字では「美虹」。ナポリとの架け橋となる美しいところという意味だ。西川さんが「南イタリアをイメージして造ったんです」というホテルの中へ入ると、ナポリに行った経験がなくてもナポリの上質なホテルに案内されている気分になってきた。随所に西川さんの思いが込められたものが使用されている。タイル、ランプ、オブジェなどの調度品、バスタブ、寝室、どれをとってもそこはもうナポリだ。タイルは入手不可能な約400年前のアンティークタイルを使っているという。西川さんが作るナポリ料理に加え、宿泊を通じて朝・昼・夜の移り変わる景色が楽しめる。朝食は世界一の朝食をめざしているそうだ。
西川
カンパ二リズモです。教会の聞こえる範囲で生活するということです。
カンパニリズモ。つまり、教会の鐘=カンパニーレが聞こえる世界が宇宙の全て、そういう郷土主義的思想をカンパニリズモという。南イタリア料理はある意味カンパニリズモの集合体と言えるのではないだろうか。
最初から決してぶれずに赤穂に根を下ろし、ナポリ料理を追求し続けてきた西川さん。信念をもってやり続けてこれた秘訣はなんだろうか。
西川
目標を持って、その目標をイメージしました。イメージができれば、どうやればそこに近づけるか考える。それを実行していっただけです。
ナポリに行ってナポリにありそうでない料理を作って食べてもらうのが楽しいという西川さん。このありそうでない料理というところがミソだ。例えば、煮干しを使ったイタリア料理を作って驚かせたりしているという。
店から見える姫路市の家島諸島(姫路市家島町)をつなぐプロジェクトも始めた。赤穂の御崎が日本のナポリであれば、家島諸島はカプリ島だそうだ。
西川さんの活躍の場はまだまだ広がりそうだ。
地元の赤穂を愛し、ナポリに惚れ込み、迷うことなく自らの道を歩いてきた西川さん。これからも時代に左右されない昔ながらのナポリを再現し続けてくれるに違いない。
みんな、日本のナポリに来ませんか。