かっこよい人

田原総一朗インタビュー!【後編】
僕が90歳まで生きてこれたのは、仕事のおかげ

「遺言」として語り下ろした『全身ジャーナリスト』(集英社新書)を上梓した田原総一朗さん。

インタビュー前編では、軍国少年期、文学青年期を経て、ジャーナリストになったいきさつをはじめ「朝まで生テレビ!」、「サンデープロジェクト」などの人気番組で日本社会に多大な影響を与えてきた軌跡を語っていただいたが、後半では90歳になった現在のご自身について、語っていただこう。

「生涯現役」を貫くバイタリティの秘密を田原さんは、「自分がやりたいと思うこと、おもしろいと思うことしかやっていないからだ」と語る。このインタビューでは、その秘密をさらに深掘りしていこう。

本記事は前編から続く記事です。
前編記事はこちら→田原総一朗・90歳インタビュー!【前編】 「朝まで生テレビ」で死ぬのが僕の理想

田原総一朗(たはら・そういちろう)
1934年、滋賀県に生まれる。1960年、早稲田大学を卒業後、岩波映画製作所に入社。1964年、東京12チャンネル(現・テレビ東京)に開局とともに入社。1977年、フリーに。テレビ朝日系「朝まで生テレビ!」、「サンデープロジェクト」などでテレビジャーナリズムの新しい地平を拓く。1998年、戦後の放送ジャーナリスト一人を選ぶ城戸又一賞を受賞した。現在「激論!クロスファイア」(BS朝日)、「朝まで生テレビ」(BS朝日)に出演中。
目次

病気は山ほどしたけど、仕事が僕を生かしてくれた

田原さんは、2024年の4月15日の誕生日で90歳の卒寿をむかえました。これほど長生きするということを田原さんは予想していましたか?

田原
思ってもいませんでした。僕の親父が死んだのは72歳、オフクロが84歳ですからね。とっくに追い越してしまった。

僕は幼いころから病弱で、大学時代に十二指腸潰瘍で入院して、その後も会社員時代、フリーランス時代に2度も同じ病気に罹っています。

特にフリーランスになりたてのころ、体の異常に見舞われたときはつらかった。ある日突然、新聞の文字が読めなくなったんです。一文字ずつなら読めるんだけど、単語になると理解できなくなる。

新聞だけじゃない。本棚に並んでいる本の題名も意味がわからない。そんな状態が2カ月くらい続きました。

今思えば、フリーになったばかりで、仕事を軌道に乗せようと働き過ぎていたんだね。月刊誌に同時並行でいくつも連載を持って、締めきり前には徹夜で原稿を書くことも多かった。

それでも何とかしなきゃいけないと思って、口述筆記で原稿を書いたり、取材済みのテープをもとに原稿を起こしてもらったりしてその場をしのぎました。だけど、ネタが尽きてしまったらもう打つ手がない。そのとき僕は、廃業も覚悟しました。

病院には、行かなかったのですか?

田原
そう、行かなかった。再起不能の病気だと言われるのが怖くてね。

2カ月くらいたって、症状が少しずつ和らいできた。どうにか文字を読めるようになって、原稿も書けるようになった。ホッと胸をなでおろしました。

体の不調はそれだけではありません。還暦をむかえたときには胃腸がまったく動かなくなって、便が出なくなった。

このときはさすがに病院に行って、50日ほど入院しました。だけど、「朝まで生テレビ!」と「サンデープロジェクト」で忙しい時期だったから、外出許可をもらってテレビ局のスタジオと病院を往復していました。

スポーツ誌に「激ヤセ 田原総一朗はガン?」なんて書かれて、僕もがんを疑ったけど、検査の結果、がんではないことがわかった。その後、別の病院で診てもらったときには、自律神経失調症と言われました。

このときは体調だけでなく、精神のほうもまいってしまって、「死にたい」とまで思ったものです。

その後も、自律神経と胃腸の不調には何度も悩まされました。

テレビで意気盛んに弁舌をふるっている田原さんを見た視聴者は、田原さんがそのような病に苦しんでいることなど、想像だにしていなかったと思います。

田原
結局のところ、仕事が僕を生かしてくれたんだね。仕事は、病のつらさを忘れされてくれるほど、おもしろいものだから。

僕は、趣味と言えるような趣味はひとつもないけど、仕事があれば、それで満足なんです。おもしろいことを遠慮なくやる。だからここまで生きてこれたんでしょう。

僕が80歳を過ぎたころから、つねづね「朝生で死ぬのが理想」と言っている背景には、そういう思いがあるからです。

妻が亡くなったときはつらかった。でも、僕には「鈍感力」があるようです

田原さんが70歳のとき、最愛の妻である節子さんが亡くなりましたね。そのときのことをお聞かせください。

田原
僕にとっては、大ショックな出来事です。節子とは2度目の結婚だったんですが、結婚して10年になろうとしていた1998年に乳がんになってしまった。

摘出手術をしたけど、5年後にがんが脊椎と腰椎に転移していることがわかって、歩けなくなりました。以後1年間、つねに寄り添って介護をしましたが、その甲斐なく、2004年の7月に亡くなりました。

そのとき、僕が感じたのは悲しみというより、喪失感です。これからどうして生きていけばいいんだと思って、自殺を考えたこともある。

そこまで思い詰めてらっしゃったんですか……。

田原
でもね、節子が亡くなってからは、次女の綾子と三女の眞理が仕事の調整からお金の管理まで、何から何までやってくれるようになって、それが大きな励みになりました。

眞理に言わせると、僕には「鈍感力」があるそうです。すっかり立ち直ったとき、「彼女を作ろうと思う」と言ったら、呆れられました。

「朝生見てます」ではなく、「YouTube見ました」と言われるようになりました

2023年1月から田原さんはYouTubeチャンネルを起ちあげています。東京・早稲田にある老舗喫茶店「ぷらんたん」を舞台に33歳以下限定の若者と交流するイベント「田原カフェ」の模様がアップされているほか、田原さんが散歩したり、マッサージを受けたりするプライベートの姿の動画がアップされています。これには、どんなきっかけがあったのですか?

田原
「YouTubeをやらないか」という話は何度か受けていたんだけど、断ってきました。僕はネットにはあまり興味がないから。

だけど、以前に僕を密着取材した元テレビ局のプロデューサーが誘ってくれたので、やってみようと思いました。

僕は、自分のプライバシーはゼロだと思っている。お金も、女性関係も、家族も全部オープン。誰かにバレたら困るような弱みを握られるようなことがあったら、僕の理想とするジャーナリズムを貫くことはできなくなるからね。

「伝説の朝食」のコンテンツがいくつかアップされていますが、「2023年2月編」の再生回数は84万回、「通勤タイムス」の中の朝食動画再生回数は360万回、大いにバズっています。すごいですね。

田原
ありがたいことです。街を歩いているとき、「朝生見てます」と声をかけられることがよくあるけど、最近は「朝食動画、見ました」と話しかけられるようになりました。

ネットの影響力はすごいなと思った。驚いたのは、僕と同年代の高齢者から同じように言われること。病院の待合室で会った女性には「朝ごはん、たくさん食べるんですね。だから元気なんですね」と言われました。

朝食を全部自分で作っているのも驚きですが、トーストにバターをたっぷりと塗っているのにはビックリしました。

田原
僕は胃腸が弱いから、脂っこいものが苦手。だから、肉はほとんど食べないし、魚も脂身の少ない白身魚だけ。

だから、少しでもカロリーと脂質を摂るために朝食のトーストにはたっぷりバターを塗るんです。以前は1センチの厚みで塗っていましたが、最近、YouTubeで共演した毒蝮三太夫さんの助言を受けて、多少は控えめにしています。
目玉焼きは、フライパンに油を引かないで、1センチくらい水を張って茹でて作っています。

食事のほか、健康のために気をつけていることはありますか?

田原
散歩をして、1日3000歩から4000歩は歩くことにしています。

梅雨時で1週間近く、散歩に出られなかったことがありました。すると、テレビ局の打ち合わせの後、自分で椅子から立ち上がれなくなってしまってヒヤッとしました。以来、雨の日は階段の上り下りをしたりして、なるべく体を動かすようにしています。

娘が「今日は体を動かしたの?」と厳しく指導してくれるので、杖なしで歩けています。
もともと、生活には一切こだわりを持ってきませんでしたから、娘が言ったことには何でもハイハイと言いなりになってます。

こだわるのは仕事だけ。僕が今でもこうして元気でいられるのは、自分が心底「おもしろい」と思える仕事があることのおかげだからね。好奇心が、僕の唯一の活力なんです。

興味深いお話、ありがとうございます。田原さん、いつまでもお元気でいてください!

田原
うん、ありがとう。

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最高齢にして最前線にいる稀代のジャーナリスト、田原総一朗。
長寿番組「朝まで生テレビ!」での言動は毎度注目され、世代を問わずバズることもしばしば。
「モンスター」と呼ばれながらも、毎日のように政治家を直撃し、若者と議論する。
そんな舌鋒の衰えないスーパー老人が世に問う遺言的オーラルヒストリー。

その貪欲すぎる「知りたい、聞きたい、伝えたい」魂はどこからくるのか。
いまだから明かせる、あの政治事件の真相、重要人物の素顔、社会問題の裏側、マスコミの課題を、自身の激動の半生とともに語り尽くす。
これからの日本のあり方を見据えるうえでも欠かせない一冊!

取材・文=内藤孝宏(ボブ内藤)
撮影=八木虎造

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