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高田純次に聞く!【後編】「5時から男」から「適当男」に至る、行き当たりばったり人生論

前編のインタビューでは、3度の受験失敗という挫折体験や、バイト三昧だった劇団員時代の話をしてくれた高田純次さん。
後編では、そんな高田さんがテレビの世界に進出してグロンサンのCM「5時から男」としてブレイクした話、そこから転じて「適当男」と呼ばれるようになったいきさつなどについて聞いてみよう。
2024年で77歳の喜寿を迎えた「適当男」はなぜ、こんなにも元気なのか?

高田純次(たかだ・じゅんじ)
1947年1月21日、東京・調布市生まれ。1968年に東京デザイナー学院卒業。1972年、自由劇場の研究生になり、翌年、イッセー尾形らと劇団を結成するも1年足らずで解散。宝石の卸会社に就職して、3年半のサラリーマン生活を送る。1977年、劇団「東京乾電池」に入団。1987年、グロンサンのCM「5時から男」でブレイク。2015年にはテレビ朝日系「じゅん散歩」開始。特にCMでは「CMの帝王」などといわれるほど、数多くのCMに起用されている。
目次

得意の即興劇を武器にテレビの世界へ進出

演劇活動と並行して、テレビに進出した東京乾電池と高田さんですが、バイトをせずに暮らしていけるようになったのは、いつごろですか?

高田
そうだなぁ、30代はまるまるバイトをしていたような気がしますね。

初めてテレビ番組のレギュラーをもらったのは、フジテレビのお昼の『笑ってる場合ですよ!』って番組で、「日刊乾電池ニュース」という月曜から金曜のコントのコーナーでした。

朝の10時ごろに新宿アルタに集まって、作家を交えてあーでもない、こーでもないとアイデアを出し合いながらその日のニュースをネタにコントに仕立てていく。これをリハーサルなしで本番でやるんだから、普通ならビビッちゃうところだけど、即興劇でアドリブ力を鍛えていたオレたちには平チャラだった。

ところが、漫才ブームの勢いに乗ったB&Bやツービート、紳助・竜介といった人たちがドッカンドッカンと笑いをとっているのに比べて、オレたちのコーナーはさっぱりウケなかったんだよ。

東京乾電池は当時、演劇の世界では渋谷ジァン・ジァン(※小劇場ブームの発信地と言われた聖地)を満員にするほど名が知られていたけど、新宿アルタの若いお客さんとは水が合わなかったんだね。

でも、「日刊乾電池ニュース」で土用波三助というキャラに扮し、ハイテンションな早口でセリフをまくしたてる高田さんの姿はインパクトがあって、とてもおもしろかった記憶がありますが、斬新すぎたんでしょうか?

高田
そうかもしれないね。最初のころは、ニュースを再現したあとに「そのころ、江戸城では」と時系列を江戸時代に移すような、ひねくれたことをやっていたから、お客さんたちもどう笑っていいのか、わからなかったみたい。

プロデューサーの横澤彪(たけし)さんも、そんなオレたちを降ろしたいと考えていたみたいね。
でも、「江戸城では」というのをやめて時間も少し長くするようになったら、少しずつそのスタイルが理解されたようでウケるようになった。オレが土用波三助になったのは、そのころからだね。

オレの好きな言葉、それは
「大器晩成とは、無能な者を慰める言葉なり」

その後、高田さんは『笑ってる場合ですよ!』の後継番組である『笑っていいとも!』や『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』(日本テレビ系)などの番組にも劇団とは別に単独でレギュラー起用されますが、それでもバイトは辞められなかったんですか?

高田
『元気が出るテレビ』は、MCの(ビート)たけしさんとか松方(弘樹)さんがギャラの大半を持っていっちゃうんで、オレたち新人のギャラは本当に安かった。やっているうち、どんどん貧乏になっていくの。

女優の清川虹子さんの豪邸に押しかけて、愛用の指輪を口に入れたりして無茶したのは、当時のノイローゼ気分がそうさせたのかもしれないね。

ただ、この番組で「早朝バズーカ」や「勉強して東大に入ろうね会」などの伝説的コーナーを担当していた高田さんの存在は大きかったと思います。ギャラアップの交渉はしなかったんですか?

高田
もちろん、したよ。

『元気が出るテレビ』のロケは毎週の土曜と日曜で、翌週の月曜にスタジオ収録というスケジュールだったんだけど、「ギャラは上げられないけどそのかわり、月曜の夜に『11PM』の仕事を入れるから」って条件を引き出すのが精いっぱいだったよ。テレビのギャラというのは、なかなか上がんないものなんだなと思ったね。

ようやくバイトをせずに暮らしていけるようになったのは40歳のとき、グロンサンの「5時から男」のCMに起用されて、CMタレントとして世間に認知されてからだね。

『最後の適当日記(仮)』には、好きな言葉として「大器晩成とは、無能な者を慰める言葉なり」を挙げられています。40歳でブレイクした高田さんは、まさに大器晩成型の人生を歩んだと言えますね。

高田
その言葉、確か高校の便所の落書きだったと思うんだけど、忘れっぽいオレが今でも憶えているのは、それが未来の自分を予言した言葉だったからなんだね。

ただ、オレは自ら「大器」を名乗るほど、うぬぼれ屋じゃないよ。だから、「大器晩成」のところは、「小器晩成」と言い換えてもいいね。

「5時から男」って、自分から
そう名乗ったわけじゃないんだ

グロンサンの「5時から男」のキャッチフレーズは、1988年の新語・流行語大賞の流行語部門・大衆賞を受賞しました。高田さんご自身は、そう呼ばれることにどう感じましたか?

高田
1988年というと、ちょうどバブルのころでしょ? 夕方の5時、仕事に疲れたサラリーマンがグロンサンを飲んで元気になって、夜の街へと遊びにくり出すという、CMで描かれた風景は、当時の時代の空気にマッチしていたんだね。

ただ、どっちかというと実際のオレは、仕事は真剣に臨んで、それが終わればぐったりしたままってタイプだったから「5時から男」というより、「5時まで男」のほうがピッタリくると思っているけどね。

そんなふうにキャッチフレーズというのは、誰かがオレをそう呼ぶことで定着していったものなんだよね。「自分はそんな人間じゃありません」なんて否定するんじゃなくて、「あ、そうですか。じゃあ、5時から男で行きます」って受け入れていくスタイル。

「5時から男」のほかにも、「平成の無責任男」とか、「芸能界一いい加減な男」と呼ばれたこともあるけど、どれも自分からそう名乗ったわけじゃないんだ。

「適当男」も、そのうちのひとつだよね。

「適当男」がどんな男かって、
オレ自身、よくわかっていないんだ。

高田さんが「適当男」と呼ばれるきっかけは、何だったんでしょう?

高田
2006年、オレが59歳のときに『適当論』(ソフトバンク新書)という本を出したんです。

精神科医の和田秀樹先生が、オレとの対談を通じて性格とか言動を分析するという内容で、この本がかなり売れたんだ。実際は90%以上、和田先生の力だと思ってるけどね。
ただ、本が売れたことで「高田純次」イコール「適当男」というイメージが定着したんだと思う。

だから、「適当男」はオレの60代以降のキャッチフレーズということになるね。そんなに昔から、そう呼ばれてきたわけではないんだ。

「適当」という言葉には、「量や程度がほどよいこと」という意味と、「その場かぎりでいい加減なこと」というふたつの意味がありますが、「適当男」には後者の意味が含まれているんでしょうね?

高田
よくわからないな。オレ自身、「適当男」がどんな男かって、分析したこともないし、どれだけ分析しても最後までわからないんじゃないかな。

だから、人から「いつものように適当にしてください」って頼まれるとオロオロしちゃうんだ。で、そのオロオロぶりが周囲に「適当男」っぽく見えてるってだけなんじゃないかな。どうも、そんな気がする。

『最後の適当日記(仮)』のなかで高田さんは、「年をとったらやってはいけない三原則」を挙げられています。この三原則は、どんなきっかけで出てきたんですか?

高田
昔話をしない、自慢話をしない、説教をしない、ってヤツね。

確か、数年前に『情熱大陸』(MBS毎日放送)の取材を受けたとき、気の利いたことを言わなきゃと思ってひねり出したんじゃないかな。

でも、今も質問されるがままにいろいろとしゃべってるけど、人から聞かれればバンバンするよ。昔話も自慢話も説教も、自分からしないってだけで、ジジイからそれを取っちゃうと、あとはエロ話するしかないじゃない。

今の時代、そんな話ばかりしてるジジイは、芸能界からも世間からも消されるよ。

大腸ポリープを取ったことが
オレにとってせめてもの「終活」だね

『最後の適当日記(仮)』には、生まれて初めて受けた人間ドックで大腸ポリープが見つかった話を書かれていますね?

高田
実は、今までずっと受けたことのなかった人間ドックを受けたのは、コロナのおかげなんですよ。

ドラマの仕事が入って、半年先までスケジュールを押さえられていたんだけど、最初の数シーンを撮ったところでほかの俳優とスタッフがコロナに罹って撮影が中止になったの。

で、何かの拍子にオレが一度も健康診断を受けたことがないことをしゃべったら、「嘘でしょ」とか、「絶対行くべきです」とかいう周囲の反応に驚かされて、受けることにしたんです。

ポリープは10個あったそうですが、最初の健診では7個しか取らなかったそうですね。なぜでしょう?

高田
さぁ、よくわからないね。お医者さんもオレだけ診てるわけじゃないから、疲れちゃったんじゃないかな。こう見えても気の弱いところがあるので、くわしい理由は聞けなかったんだ。

でも、その後、全部取ってくれたから問題はないよ。これからは定期的に検査を受けようと思ってる。

そのほか、「病気」や「老い」と付き合うために気をつけていることはありますか?

高田
2014年の年末、腰痛がひどくなって、椎間板ヘルニアと脊柱管狭窄症の手術をしたんです。

ところが結果が思わしくなくて、正月は痛みで七転八倒。病院を変えて2度目の手術をして、通算で20日ほど入院した。

その後の経過は順調で、タイミングのいいことに、その直後にテレビ朝日の『じゅん散歩』の仕事をいただいてね。

もし、手術の経過がよくなければ、散歩どころではなかったわけですね?

高田
そうだね。だから、健康のありがたみを身に沁みて知ったよ。

そもそもオレ自身、体は丈夫で「病気で仕事に穴をあけたことは一度もない」ってことを誇りに思ってたけど、これからは油断しないように気をつけなきゃいけないなと思ってるよ。

ところで、『最後の適当日記(仮)』の最初のタイトルは、『適当日記 終活編』だったそうですが、終活している様子はまったくうかがえませんね。

高田
大腸ポリープを取ったことがオレにとって、せめてもの終活かな。

ホントは女房と離婚しようかと考えたこともあるんだけど、女房はオレに無関心だから、そんなつもりもないみたい。そのうち、女房が終活を始めて、オレのほうが捨てられるかもしれないね。そうならないよう、せいぜい気をつけておくよ。

楽しいお話、ありがとうございます。


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  • 著者: 高田純次
  • 出版社:ダイヤモンド社
  • 発売日:2024年1月17日
  • 定価:1,430円(税込)

売れてももう本当にこれが最後の本だよ。
すごい売れたら考えるけど。

高田純次、最終章。
喜寿を目前とした1年間の日記をベースに、過去の人生を語るのか、語らないのか。
付録にデビュー以来出演歴をまとめた「全仕事」も!

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取材・文=内藤孝宏(ボブ内藤)
撮影=八木虎造

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